一章 21話 誰が為に空へと挑む
見上げる瞳は、天の如きの威圧感と、夜の如き美しさを兼ね備えた、部屋の中心に佇む迷宮の主から離せずに、身体はまるで縛り付けられた様に動かなかった。
太陽に挑む愚か者は居ない様に、月に挑む愚か者は居ない様に、ただその下で漠然と暮らす様に、人々はそれらには逆らえない。
全く動けない中、そんな不思議な例えが自然と頭の中に浮かんでしまう。
けれど、ガレムはそれがどうしたと言わんばかりに、剣を構え前に進む。
(……そうだ、私の前世の記憶が証明している、いつか人は月にさえ辿りつけるって)
それは私からしても信じられない事で、それはきっとこの世界から見たら狂った事なのだろう。
だからこそ、不敵に剣を構え、迷宮の主に臆さずに立ち向かっていくガレムが何よりも羨ましく見えた。
(私もガレムを理解できたなんてほざいたのならッ! 足くらいはッ……)
情けない自分を嘆く前に、迷宮の主から視線を外し部屋を見渡す、そして動かなかった筈の足を必死に動かす。
羽を広げ、その圧倒的な威圧感を以て威嚇したのにも関わらず、何の躊躇もせずに此方へと歩むガレムに、迷宮の主は静かに羽を畳み、足を広げ、体を前に倒し、構える様にじっとガレムを睨む。
そんな迷宮の主に対して、見たことの無い程の真剣な顔をし、間合いを測るかの様にじっくりと、じっくりと歩みよるガレム。
凄まじい程の激闘の予感に、私は急いで部屋の隅へと走り出す。
――ガィィィインッ!!!
その直後に、まるで空すら裂いてしまう様な凄まじい程の風切り音がなり、まるで金属同士ががぶつかった様な音、鉄の悲鳴の如き、恐ろしい音が何度も、何度も鳴り響く。
(……始まった)
荒い息をぜぇぜぇと抑えながら、この戦いを決して見逃しては行けないと、急いで振り返る。
「ちっ、硬えな」
自らは動こうとしない迷宮の主に対してガレムは、さっきまでの似たような奴とはちげえな、と一旦、剣を確かめるかの様に後ろへと引き下がる。
けれど、迷宮の主はそんなガレムを逃さない。
――ッギギギィィィインッ!!!
「……っおいおいッ!」
私には何も分からなかった一瞬で、冷や汗を掻きながら必死に刃を受け止めるガレム。
よくもまぁ反応できたな、なんて感情と、何が起こったんだ、なんて感情が同時に私を襲う。
(……ここから見ていたのに、分からなかった、羽を広げたのしか分からなかった)
人、一人分程に間合いから下がったガレムへ、それまで自分から動かなかった迷宮の主が一瞬にして自身への間合いにガレムを捉えて、その凶悪な鎌を振り下ろしたのだ。
それだけでも十分な脅威だけれど、でもそれだけならガレムはきっと焦らずに対処できた筈だ、ガレムはわざわざ敵に隙を見せる様に剣を見ていたから。
……けれどその距離の詰め方が異常だった、その攻撃の方向が異常だった、その動きが異常だった。
「おいおい、お前よ、どんな速度だ……っ魔物如きがこんな緩急つけた動きを」
僅か一瞬にして距離を詰め、自身を回り込み、斜め後ろから斬り掛かってきた迷宮の主に対して、ガレムは話しかける様に敵を正面に捉えて、崩れた姿勢を立て直す為に、再び距離を離そうとするが、
(また……!)
今度は見える、分かっていたから、注意深く見ていたから、離れて見ているから、全てが合わさって、今度は見えた。
その美しい七色の羽を一瞬だけ広げ、まるで虹色の残像を残す様に、刹那の間に踏み込み、ガレムの背後へと回る迷宮の主を。
「……っ!」
けれど、私が安全地帯からやっと理解したそれを、もうガレムは見破っていた。
ならば前へと、まだ地面から離して居なかった左足を軸にして、思い切り地面を蹴り飛ばし、その勢いで出来るだけ距離を取ろうとする。
(私にも眼で追える、なんとか眼なら追える……)
だからこそガレムが非常に不味い状況だと分かってしまう。
無理矢理に方向を変えたせいか姿勢が崩れきったガレムに
迷宮の主はそこから、今度はより距離が近いからか、先程よりもっと疾く、ガレムの動きを小細工かと嘲笑うかの様に、その動きに一瞬で追いつき、回り込み、そのまま流れる様に恐ろしい斬撃を放つ。
――ガッギギギィィィインッ!!!
「くくくっ! 魔物がッ! 今ので仕留めきれなきゃ、もうお前の負けだぞッ!? もう3回目だッ! お前はその3回の内に俺を殺すべきだったッ!」
けれどそんな斬撃を、なんとガレムは崩れきった姿勢で平然と弾き返す。
仕留めきれなかった事に驚いたのか、警戒する様に距離を離し、一旦攻撃の手を止める迷宮の主。
そんな迷宮の主に、崩れた姿勢でその刃を受け止めたからか、腕から血を流しながらも、ガレムは不敵に嗤う。
何処からそんな余裕が出ているのか、まだ何の傷さえも負っていない迷宮の主と、傷を負ってしまったガレム、どちらが不利かは明らかだ。
けれど彼のその台詞は唯のハッタリには到底思えなかった、思わなかった。
(思えるはずがない、あの男は……)
一度目でその一撃をなんとか受け止め、二度目で見切り、三度目はあそこまで崩れた姿勢で受けきったのだ。
(……凄い、凄い)
歯がガチガチとぶつかり合う、目の前で起こっている戦いに心臓が高鳴り、鼓動が激しくなる。
……ここまで来てよかった、ここまで生き残ってよかった、この戦いを見る為に私は生まれてきたのかもしれない、今日一日で起こった事を、いま走馬灯の様に思い出す、なんて事はしない。
この戦いの全てを目に納め、脳に刻み込むのだ、だから余計な事なんて直ぐに忘れて、戦いに集中する。
「はっ、所詮、魔物は魔物か」
血を流しているのに攻めてこない所か、近づくと警戒する様に後退する迷宮の主を尻目に、ガレムは傷ついた腕の止血を始める。
そんなガレムを見ても、まだ迷宮の主は警戒する様にジッと、ジッと、置物の様に動かない。
そんな迷宮の主をつまらなさそうに見ながらも、やがてガレムの止血は戦いの最中にも関わらず、何事も無く終わってしまう。
するとソレを見計らって居た様に、迷宮の主は動く出す……先程よりも疾く。
(……まさか止血し終わるのを待っていた?)
「……おいおいおいッ! 魔物如きがッァア!」
そんな迷宮の主の動きが、ガレムのドス黒い感情を引き出し、初めてガレムは怒りを表す。
そんなガレムを更に馬鹿にする様に、迷宮の主は最初よりも、2回目よりも、3回目よりも更に疾く回り込む。
――ガッギギギィィィインッ!!!
先程よりも早いソレを、ガレムは余裕を持って受け止め、反撃を仕掛ける。
そんなガレムを見て、喜ぶ様に迷宮の主はより速度を上げ、より疾く回り込む。
――ッガッギギギィィィインッ!!!
「手加減してたッてか!? この糞がッ! あぁッ! いいぜッ! 最初から全力を出さなかった事、後悔させてやるよッ!」
時に受け止め、見切り、躱し、反撃を仕掛けていたガレムが、自らの怒りを表す様に迷宮の主へと、その速度に追随する様に距離を詰め、自ら猛襲を仕掛ける。
――ッギッガッギギギィィインッ!!!
お互いがお互いに応じるかの様に、お互いがお互いを挑発する様に回り込み、刹那の中で、斬撃の応酬がどんどんと激化して行く。
二人の間合いが更に更に近くなり、二人の速度が更に更に疾くなり、遂には、目ですら追えなくなってしまう。
(……嫌だ、この戦いを絶対に見逃したくない!)
もう私の目には追えず、この場に響く、咆哮の如き刃のぶつかり合う音だけが、ひとりぼっちの私を慰めていた。
(そんなのじゃ、物足りない、全部見落したくない)
そんな我儘が私の中で暴れる、もっと近づけば見えるかもしれないと、それに死んでも別に、もういいじゃないかと。
(違う、近づいても、無駄だ、私が見えないのは)
きっと疾いだけだからじゃない、彼らは疾いけれど、見た目ほどじゃない、緩急つけた彼らの動きがソレを証明していた。
(じゃあ、なんで)
考える、見ようとしながら考える。
彼らのその動き、足捌き、戦い方を見る、そしてそれが理解出来ないのがわかる。
(そうだ、見えないんじゃない、分からないんだ)
分からないから、見えなく感じてしまう。
(……なら、分かればいい、最高のお手本が目の前にあるんだから、学べばいい)
必死に頭を回しながら、必死に考えながら、必死に覚える様に、目の前の戦いを見る。
体の動き、足捌き、武器の動き、呼吸の仕方、彼らの視線、何でもいい、全てを覚えようと目に入れて、頭に入れる。
魔物、人間、関係なく両者の動きをただひたすらに覚える、そしてその最中、私はそういえば武器の握り方すら知らなかったんだな、と少しだけ可笑しくなった。
そして見て、見て、ひたすらに見つめ、地面に零れた夥しい血の量がガレムの傷を表し、地面に零れた千切れた足が迷宮の主の傷を表す。
ガレムと迷宮の主お互いの体に傷が付いて遅くなったからか、私が少しでも動きが分かるようなったからかやっと動きが見えてきた、なんて所で遂にその瞬間が訪れてしまう。
足が一本千切れたと云うにも関わらず、どんどんと速度を上げて、羽を広げ一瞬してもう恐ろしい域に達した加速を繰り返し、回り込む戦法をただ続ける迷宮の主。
それに対してもう防戦一方になってしまっていたガレム。
どんどんと、どんどんと押し込まれ、ひたすら劣勢に血だらけの防戦をせざるを得ないガレムに、迷宮の主は休む暇も無く怒涛の攻めを繰り出す。
残像を残す程の怒涛の攻め、そして刃を弾かれた瞬間に回り込み、時には弾かれる寸前に回り込む。
まるで全方位からの斬撃に、このままでは不味いと、ガレムは焦った様に動いてしまう、同じ過ちを繰り返してしまう。
ガレムは後ろへと下がる、距離を取るように間合いから離脱しようとしてしまう、けれど、そんな迂闊な行動を迷宮の主は決して許さない。
(っ!)
今の私でも見えなかった、残像しか見えなかった。
疾風の如くは迷宮の主、今までの内の最高の速度と、最大の力で、その全身から風切り音を鳴らし、ハッキリと虹色の残像を残しながら、刹那の斬撃をガレムへと仕掛ける。
「余力を残してたのもっ、技があるのもっ、お前だけじゃねえぞッ! 俺は一度目でお前を仕留めるッ! 魔物がッ!」
けれどガレムはそう叫び。
後ろへと下がっていた筈のガレムの姿が、本当に一瞬だけピタリと停止し、その直後、ブレる様に、まるで迷宮の主の様に残像を残し掻き消える、私に見えたのはそこまでだった。
そして
――ザンッ!
そんな音が響き、やっと見えたのは、地面へと墜ちるのは、千切れた様に吹き飛ぶ虹色の羽。
ガレムは、羽を広げ加速していた迷宮の主相手に、驚異的な速度で追い縋り羽を切り落とした様だった。
あまりの速さに不意を付かれたからか、迷宮の主もその速度にはついていけなかった様で、鎌すら振り下ろせずに、羽をもがれて、ただ体勢を崩していた。
(これで迷宮の主の羽を封じた、いやそれ以前に……)
急加速の最中に、奇襲によって羽を切り落とされ、姿勢制御すら出来ずに崩れる迷宮の主。
そのまま地面へと堕ちそうになるけれど、やはり化物、空中でさえ一瞬にして姿勢を戻そうとする。
けれど、そんなのはガレムが許さなかった、容赦なく、その美しい体に刃を振り下ろす。
「……あばよッ!」
例え勝利を確信しても、ほんの僅かの油断さえ見せずに、何処までも残酷にガレムは迷宮の主の体へと容赦なく刃を入れる。
……けれど、何処かでもしかしたらガレムは油断していたのかもしれない、もしかしたら何処かで未来が変わったのかもしれない。
――ザッ!
「あっ?」
凄まじい風切り音がなる、その直後ガレムの体は大きく斜めに切り裂かれ、そしてそれはどう見ても致命傷だった。
何が起こったのか分からない様子のガレム、しかし敵を目にしてやっと理解する。
(……化物ッ)
その凄まじい一撃を見てしまった、一瞬にしてガレムの勝ちを覆した一撃を見てしまった。
迷宮の主は、その化物は、自身の腹を刻む刃には目もくれず、自身の崩れた姿勢にも目をくれず、空中で致命的にまで姿勢を崩した中。
腹を切り裂かれながら、振り下ろしてなかったその鎌で、この戦いの中、自身の最高の速度と最高の技を持った致命的な一撃を繰り出したのだ。
そしてその一撃をまともに受けてしまったガレムは、何とか倒れないながらも、よろけて、そっと剣を落してしまう。
羽を堕され、腹を切り裂かれた迷宮の主は、まだ余力を残しているのか、即座に姿勢を立て直す。
「はは……あんまりじゃねえ、か」
そんな迷宮の主に対して、ガレムは最後の力を振り絞り、まるで大切な何かを掴み取る様に、ゆっくりと、ゆっくりと手を伸ばす。
……けれど、迷宮の主は、そんなガレムの腕を容赦なく切り刻む。
「……あ」
そして力なく、地面へと倒れ込むガレムを見てしまった私は、そんな戦いの結末を理解してしまった私は、思わずそんな声が漏れてしまう。
……誰よりも強かったはずのガレムが、誰よりも羨ましかった筈のガレムが、力なく血にまみれて無残にも地面へと落ちていく。
そんな光景から目を離せなかった、手を伸ばし彼を助けたかった、けど動けなかった。
そして間もなく、地面へと打つかる直前のガレムと、目が合ってしまう。
そんな事は決してあり得ない筈なのに、ガレムは最後の瞬間に、何かを悟った様に純粋に笑いながら地面へとぶつかり……そして事切れる。
「……あぁ」
我慢しても声が漏れてしまう、迷宮の主はそんな私に気付かない、気付けない。
踏破者達が死んだ時は何とも思わなかったのに、なんでか、少しだけ悲しかった、大切な何かを失ってしまった様に、小さくポッカリと心に穴が開く様な思いが私を襲った。
(……ガレム)
あの男は性格が悪くて、味方殺しなのに……少しだけ、それでいて何故かどうしようもなく悲しくなってしまう。
あぁ、きっとガレムは、私の理想だったからかもしれない、私の想像していた強い冒険者そのモノだったからかもしれない、私と似ていたからかもしれない。
だからか、少しだけ……部屋の中心に傷を負って佇む迷宮の主が、憎く見えた。
そんな迷宮の主は、羽を落とされても、腹を切り裂かれても、それでいてその威圧感はまるで生きる意志を見せるが如く、強烈となっていた。
その途轍もない威圧感に体の芯から温度が奪われる様に、歯がガチガチとぶつかり、足が震える。
……けれど今度はそれがどうしたと言わんばかりに、体が動いて、前へと進める。
(やれるはずだ、きっと)
手に握る剣の感触を確かめる、さっきの戦いで学んだ事を思い出す、私に気付かない迷宮の主を確認する。
近づくにつれ、手の震えが止まり、足の震えが止まる、そして羽をもがれて、腹に穴を開けた目の前の蟷螂を睨む。
(あはは、ここまでお膳立てされたんだ……決してっ、負けてなんかやるもんかッ!)
そのあまりの運の良さに、この凄まじい状況に私は嗤う。
涙を払い、髪をかき上げ、ただ嗤う。
「――――私はツイてる」と




