第三十話 ―アーチャの孵化―
その頃、フィンはかなりグランヴェル国に慣れていた。
外交担当として、さまざまな折衝を重ねている。
王太子と顔立ちがよく似ていたため、時にはヴィルの代理を務めることもあった。
ヴィルとフィーユの仲は良く、王室内も安定している。
「そなたも早くセレシア殿と結婚しろ! 別に領主になどならなくてもよいではないか。
セレシア殿と共に王室の一員として、こちらで暮らせばよい」
ヴィルはそう言うのだが、フィンは苦笑いするだけだった。
(竜の人間化が叶わない限り、セレシアとの結婚は難しいだろうな)
そう思う。
結局、仲間には引き入れられたものの、実際のところ自分はほとんど動けていない。
四兄は魔道具師として名を馳せ、忙しく立ち回っている。
とても研究どころではなかった。
結局、竜の人間化について研究を続けているのは、ヴァルドとセレシアなのである。
さらに驚くべきことに、アストレア王国の王太子夫妻の間に生まれた王子が、ヴァルドの次女セイラを見初めてしまった。
グランヴェルの王太子妃の妹――その肩書きだけで、国王は2人の婚約を認めたのである。
竜の血が、両王家に入る。
フィンにとっては驚きでしかなかった。
ある日、セレシアがやって来た。
「ヴィル様、フィンを数日で構いませんので、我が国へお返しいただけませんか?
どうしても、彼でなければならない事情がありまして……」
セレシアはヴィルの前に跪いて頼み込む。
「そうか、セレシア殿。ついに決心いたしたか?」
ヴィルの目が輝いた。
セレシアは首を傾げる。
「何のことでございましょう?」
「フィンとの結婚を決めたのであろう?
その挨拶のために、フィンを連れて帰りたいのであろう」
セレシアはぽかんとしてしまった。
「すみません。自分の結婚など、まったく考えておりませんでした。
フィンには別の大事な用事があって、帰ってきてもらいたいのです」
「何? そなた、フィンでは気に入らぬのか?
我が弟とは一緒になりたくないと?」
ヴィルの目に怒りが宿る。
怖い。
そこへ、フィーユが慌ててやって来た。
「あなた、早合点はいけません。一体どうしてそういう話になるのです?」
ヴィルは我に返った。
「すまない。フィーユの妹であるセイラ殿の婚約が決まったのに、我が弟にはそういう話がまったくない。
なくはないのだが、フィンがすべて断ってしまうのだ。
そなたが忘れられないのではないかと思ってな。焦ってしまった。申し訳ない」
ヴィルが頭を下げた。
「フィンが私に好意を持っていてくれるということですか?」
セレシアは目を見開く。
「かなり前に、ちらりと聞いた。
フィーユとセレシア殿、どちらがよいのかと尋ねたら、『セレシア』と言ったのだ。確かだ」
セレシアの顔が真っ赤になる。
そんな……フィンが自分を?
「たぶん、それは違うと思うわ……。
どちらにしても、フィン様には一度国へ帰っていただきましょう。
ずっとお帰りになっていませんもの。こちらで仕事ばかりでしたわ」
フィーユが冷静に言った。
そこへ、呼ばれたフィンがやって来る。
「セレシア様、お顔が赤いですが、何かありましたか?」
「な、なんでもないの!
あ、そうだ、こちらの転移の魔法陣を見せてもらっていいかしら?」
セレシアは必死に誤魔化した。
「まあよい。フィンよ、セレシア殿が数日辺境伯領へ帰ってきてほしいそうだ。
準備をして行きなさい。仕事は部下達に任せればよい」
フィンの顔が輝いた。
「わかりました。準備をしてまいります。
セレシア様、少々お時間をくださいね」
フィンは嬉しそうに部屋を出て行く。
「ほら見ろ。やはりそうであろう?」
ヴィルが得意げに言う。
「そうだといいですね」
フィーユは軽く流した。
「わ、私は魔法陣の前で待っています。
最近、魔法陣に興味があるのです。失礼いたします」
そう言って、セレシアは転移の魔法陣の側へ向かった。
(せっかくだから、こちらの魔法陣も『記録』しようっと)
前に記録した魔法陣を思い浮かべる。
その瞬間――
気がつくと、四兄の部屋に立っていた。
ヴァルドと四兄が目を見開いてこちらを見ている。
「なんで??」
セレシアは呆然とした。
「こちらのセリフだ!!」
ヴァルドと四兄が同時に叫ぶ。
「フィンはどうした?」
四兄が尋ねた。
「帰ってくるそうです。
転移陣の側で待っていて、ついでだから魔法陣を記録した途端、ここにいました」
「もしかして、ここの……」
と言いかけた四兄の口を、ヴァルドが慌てて塞いだ。
「2人で何をやっているんですか?」
「うっかり転移陣を踏んでしまったのであろう。
それよりも、孵化が始まりつつある」
そう、フィンを呼び戻したのには理由があった。
繭化したアーチャに、数か月経って変化が見え始めていたのである。
フィンとも仲が良かったため、どうしても見届けさせたかったのだ。
3人はしばらく、繭を見守っていた。
繭の光が、だんだん強くなっていく――。
そこへ侍従がやって来て、戸を叩いた。
「大変でございます! セレシア様が行方不明だと、フィン様が慌てております!
魔法陣の側にいたのに、急に消えたと!」
「あ、フィンのこと忘れてた」
セレシアが慌てて出て行こうとする。
「待て。私が行く。そなたはここにいなさい」
四兄はそう言って部屋を出て行った。
間もなく、四兄と共にフィンが戻って来る。
「一体何が……?
セレシア様、なぜ急に消えたのですか。驚きました」
「それよりもフィン、見てちょうだい!」
セレシアが繭を指差して叫ぶ。
繭は強い光を放っていた。
そして、ついに真っ二つに割れた。
中にいたのは、人間の姿をした赤ん坊だった。
「アーチャ?」
赤ん坊は「ホンギャア」と泣くばかりで、言葉を発することはない。
「もしかして……まっさらな人間の赤ちゃんとして、生まれ変わったってこと?」
「そうらしい……さて、どうしたものか」
ヴァルドがつぶやく。
「赤ちゃんよね? お乳もあげないといけないわよね?
お世話もしないと……。
誰かいる?」
セレシアが慌てる。
「うーん……元々セレシア様の守護竜なのだから、セレシア様が世話をするべきだとは思うのだが」
ヴァルドが言う。
「そうなんだけど、私に赤ん坊の世話なんてできるかしら?」
「皆で助け合えばよいとは思うが……独身女性がいきなり赤ん坊を育てるとなると、少々世間体がよろしくないのでは?」
四兄が言った。
「どうしましょう……」
そこへ、赤ん坊の泣き声を聞きつけた侍女が飛び込んできた。
そして、赤ん坊を抱くセレシアを見て真っ青になって叫ぶ。
「大変でございます!
セレシア様がご出産あそばされましたあ!!」
その知らせは、城内にあっという間に広がった。
偶然ですが、本日うちの子の誕生日です(いくつかは内緒)
祝うような年ではありませんが、アーチャ再誕の公開日と重なって不思議な気がします




