第二話 ―黒い卵と小さな竜―
なぜそこに?
そして、ある日――
ヴァルドが突然現れた。
本当に突然だった。
なんと、セレシアの入浴中の浴室へ現れたのである。
付き添っていた侍女が悲鳴を上げ、近くにあった道具を片っ端からヴァルドへ投げつけた。
だがヴァルドは、それらをひょいひょいと避ける。
「出る場所を間違えた。失礼いたした」
ヴァルドは何事もなかったかのように浴室を出て、そのまま部屋の椅子へ勝手に腰掛けた。
悲鳴を聞きつけた兄達が、部屋へなだれ込んでくる。
「何事だ!!」
兄達はヴァルドを見るなり剣を抜こうとした。
だが、それを各自の守護竜達が止めた。
「あれ? ヴァルド殿ではないか。しばらく見なかったな」
長兄の守護竜が言う。
「本当だ。ヴァルド殿だ。なぜここに? 卵をお嬢さんへ押しつけ……」
そこまで言いかけた四兄の守護竜へ、ヴァルドの細い魔力の光が飛んだ。
バチーン!!
見事に顔へ直撃する。
「卵を託したのでしたね」
四兄の守護竜は言い直した。
ヴァルドはにっこり笑ってうなずく。
「本日で四百日目。そろそろ孵化する頃なので、確認に来た」
そこへ、風呂から上がり、着替えを済ませたセレシアがやって来る。
「全員そろったな。セレシア様、こちらへ」
ヴァルドに呼ばれ、セレシアは素直に近寄った。
ヴァルドは袋を手に取ると、中から黒く輝く卵を取り出した。
「ほおお……そんな色だったのか」
四兄の目が輝く。
卵はさらに光を帯び、強く輝き始めた。
「よし、読み通りだ」
ヴァルドの声が明るくなる。
そして――
卵が二つに割れた。
中から出てきたのは、真っ黒な、小さなトカゲのような生き物だった。
ヴァルドはそれを手に取る。
そしてひっくり返し、ある場所を確認すると、天を仰いだ。
「ダメであったか……最後の望みだったのだが……」
セレシアは、ようやく袋から解放されたことにほっとしつつ、その黒い生き物を見る。
「竜に見えません……私はいったい、何をずっと持たされていたのですか?」
「竜で間違いない。女性であるそなたの魔力を与え続ければ、雌になる可能性に賭けたのだ……」
ヴァルドは肩を落とす。
「これは雄だ。終わった」
「ええ……?」
セレシアはぽかんとする。
「竜帝へ知らせてくる。その竜は、セレシア様、そなたがそのまま育ててくれ」
そう言うと、ヴァルドはその場からすっと消えた。
「なんでそうなるのですかあ!!」
セレシアの叫びは、ヴァルドの消えた後の部屋へ虚しく響くだけだった。
ヴァルドが消えると、竜達もそれぞれ姿を消した。
「なんだかよくわからんが、その程度の小さな生き物なら、そなたでも世話できるだろう。竜からの預かり物なのだから、大切に育てなさい」
長兄はそう言い残し、部屋を出て行く。
次兄と三兄も続いて出て行った。
部屋へ残ったのは四兄だけだった。
「竜よ、出て来い」
四兄は、一度消えた自分の守護竜を呼び出した。
「命令だ。そなたが理解したことを、この場ですべて話せ」
守護竜は視線を逸らしながら答える。
「私より、兄上達の守護竜の方が詳しいかと……」
「命令が聞けないのか?」
四兄が厳しく言う。
「お兄様、もうやめて」
セレシアが止めた。
「私も、この子を一年以上抱いてきたのです。ヴァルド様が『育てよ』とおっしゃったのですから、その通りにします」
セレシアは小さな黒い生き物を手に乗せ、その顔を覗き込む。
「この子……名前がないと不便ね。『アーチャ』にする。あなたは『アーチャ』よ」
「ああああ!! ダメです!! 名前を付けてはいけません!!」
四兄の守護竜が叫んだ。
だが、遅かった。
「ご主人様、これからよろしくお願いします」
アーチャと名付けられた小さな竜が、突然しゃべり出した。
「ええ!? しゃべれるの?」
「はい。ずっと卵の中で、皆さんのお話を聞いて覚えました」
「普通、名前は竜帝が付けるのです。名前を付けた相手へ、竜は忠誠を誓います。その子は、もう竜帝の言うことを聞けません。セレシア様にしか従えないのです……」
珍しく、四兄の守護竜が自分からぺらぺら話した。
「え? そうなの?」
セレシアは目を丸くする。
「まあ、どうせ我々はもう終わりです。この国の竜はいずれ滅びます。今さらどうでもいい」
「どういうことだ?」
四兄が聞いた。
「ここだけのお話にしてください。我々一族には、ずっと雌の竜が生まれていないのです。その子は最後の希望でした……。もう、卵を産める雌竜がいないのです」
「アーチャ、あなた男の子だったの?」
「はい。そうです」
「竜帝って誰?」
「我ら竜族の頂点に立つ竜です」
「龍神様とは違うの?」
「龍神とは、人間達が竜帝を呼ぶ時の言葉です」
「なるほど……」
四兄がぼそりとつぶやく。
「つまり、そのうち守護竜はいなくなるということか」
「そういうことです。年寄りばかり増え、子供が減りまして……」
「なんで?」
セレシアが聞く。
「若い竜達は『自由がいい』と出て行ってしまうのです。人間に縛られて生きるのは嫌だと」
守護竜はさらに続ける。
「特に我々の一族は、雄優先で、雌は竜帝になれない掟があります。雌を下に見る風潮も強い。そのため、有能な若い雌ほど出て行き、残ったのは年寄りと雄ばかりになってしまいました……」
「なんだか、よくわからないけど……」
セレシアは首を傾げた。
「アーチャ、一緒に遊んでくれる?」
「はい、ご主人様」
「ダメよ。ご主人様なんて呼び方は。友達になりましょう。セレシアって呼んでちょうだい」
「わかりました。セレシア」
「お兄様、もういいでしょう? 部屋から出て行って。四兄竜さん、ありがとう」
セレシアは笑った。
「私は、主従関係じゃなくて、友情でアーチャと心をつないでいくわ」
四兄の目が光る。
「ふむ……それは観察しがいがある。実に興味深い」
そして守護竜へ向き直る。
「そなたにも例の薬草をやるぞ」
「あんな臭いもの嫌です。卵の中でも気分が悪かったです」
アーチャが真顔で言った。
「アーチャって、小さいのに言葉がはっきりしているのね」
セレシアは感心する。
「魔力です。声が響くようにしています」
「小さいのにすごーい!」
セレシアは大喜びだった。
「何が好き? 何を食べたら大きくなるの?」
「魔力をいただければ、それで十分です。セレシア」
「ふーん。トカゲだから虫を食べるのかと思った」
「トカゲじゃありません! 竜です!」
「全く真実味がない」
四兄がぼそっとつぶやく。
その瞬間。
アーチャが口を開き、火を噴いた。
――とはいえ、マッチの燃えカス程度の小さな炎だったが。
「うん、わかった」
四兄は真面目な顔になる。
「セレシア。そなたには頼れる守護竜がいない。自分を守るためにも、魔法の鍛錬を怠るな。魔法教師が必要だな……父上へ、それとなく話しておこう」
そう言って、四兄は部屋を出て行った。
「今は小さいけど、僕だって強くなるんだ!!」
「いいのよ。あなたはあなたでいてくれたら、それで十分」
セレシアはアーチャを手に乗せ、頬ずりする。
「ずっと一緒にいてね」
それからアーチャは、いつもセレシアの肩へ乗るようになった。
「あのお嬢様は、変わったペットを飼っておられるな」
そんな噂が、城の内外で広まっていった。
「僕は強くなって、セレシアを守る!」
それが、アーチャの口癖になったのである。
「雌を虐げて、逃げられて、残ったのは、雄だけ・・・」
どこかでもありそうなお話です




