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『辺境伯令嬢と竜の子』 ―滅び行く者たちと未来に向かう者たち―  作者: 鶴見 日向子


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第十四話 ー忘れられた名前ー

「うわさ」のお方、初登場です

夜が明けきらぬ薄暗い中、森の様子が妙に騒がしかった。


鳥達の鳴き声が普通ではない。

他の動物達も、尋常ではない声を上げている。


フィンは夜明けと共に旅立つ支度をしていたため、真っ先に外へ飛び出し、アーチャと共に空へ舞い上がった。


「え……? なんだ? あれ……?」


二頭の竜が並んで飛んでいる。

さらに、その足には大きな籠が吊り下げられていた。


その中に、中年の女性の姿が見える。


足元には――「何か」が転がっていた。


竜達は籠を地面に下ろすと、そのまま引き返していく。


フィンは慌てて籠へ駆け寄った。


「あなたがヴィル様?」


中年女性の鋭い目がフィンを捕らえる。


立派なドレスを身にまとった、どう見ても上流階級の女性だった。


「いいえ、双子の弟のフィンと申します。初めまして」


フィンは、女性の足元に転がっている「人」を見て、すべてを察した。


見張りの騎士達が駆け寄ってくる。


「よい、客人だ。私が対応する。そなた達は持ち場へ戻ってくれ」


フィンはなるべく籠へ近づけないよう、さりげなく通路をふさいだ。


「かしこまりました」


騎士達が戻っていく。


それを見届けると、フィンはすぐに籠の中の人物を揺り起こした。


「ヴァルド様、しっかりしてください」


揺り動かされたヴァルドが目を覚ます。


「ああ、フィン殿か……。なんだか昨夜、妻にめちゃくちゃ張り倒された記憶が……」


顔はほぼ元に戻っているが、全体的に腫れぼったい。


「ヴィル様とやらを呼びなさい。母である私に無断で、勝手に娘の結婚相手を決めるなど、いくら愛する夫であっても、許せることと許せないことがあります!!」


女性の拳が震えている。


「もしかして、ヴァルド様の奥方様でございますか? 『お噂』はいつも聞いております。私は、この領地で育てられたフィンと申します。ヴァルド様にはひとかたならぬお世話になっております」


フィンは跪き、ひたすら頭を下げた。


「父親が勝手に娘の結婚相手を決めるなど、この人がずっと嫌っていた『女性を虐げる』行為そのものではありませんか!! 言っていることとやっていることが違うのが許せないのです!」


ヴァルドの妻の拳がさらに震える。


「わ、わかります。ヴィルは私の双子の兄でございます。兄がヴァルド様にお願いしたのでございます。奥様にも許可を取るよう、私から進言するべきでした。どうか、お許しくださいませ。ここでは目立ちます。どうぞ中へお入りください」


フィンは城の中へ夫人を招き入れた。


ヴァルドはその隙に瞬間移動しようとしたのだろう。


立ち上がった瞬間、妻のげんこつが頭頂部に落ち、彼は再びうずくまった。


「なぜ、こんな大事な時に、こんな問題が……」


フィンは遠い目をした。


フィンはヴァルドに肩を貸し、共に歩く。


「素直に謝りましょう……。奥様のおっしゃることはもっともです」


というより、逆らう気など全く起こらない。


夜が明け、日が昇ってくる。


「フィン、遅いではないか。おや? そのご婦人は?」


親書を持った辺境伯夫妻と四兄弟、そしてヴィルが立っていた。


「えっと……ヴァルド様の奥様……だそうです」


(そういえば、『農家の娘』って言ってなかったっけ……?)


皆も同じことを感じたのだろう。

そろって首を傾げた。


「辺境伯様。夫がいつもお世話になっております。ヴァルドの妻でございます」


ヴァルドの妻は、とても美しい礼をした。


農婦のそれではない。


フィンはヴァルドに肩を貸していたため、後ろ姿を見て、ある部分に息を呑んだ。


「エルフ……?」


つい言葉が漏れる。


おとぎ話に出てくる、尖った耳。

前からは見えないよう隠されていたが、フィンの位置からは見えてしまったのだ。


「エルフ? なんだ、それは?」


ヴァルドが言う。


「エルフを知らない?」


フィンはこれ以上ないほど目を丸くした。


ヴィルが慌てて駆け寄り、跪いた。


「これは義母上、初めてお目にかかります。私、この度、ご令嬢フィーユ殿への求婚を許されたヴィルと申します。どうかお見知りおきください」


ヴィルは真剣な顔で続けた。


「フィーユ殿を妻にできるよう、精一杯努力いたします。フィーユ殿が私を受け入れてくださるのであれば、ぜひ妻に迎えたいと願っております。本来であれば、私からすぐにご挨拶へ伺うべきでしたが、今は非常時ゆえ……。わざわざお越しいただき、恐縮至極に存じます」


「では、結婚が決まったわけではないのですね?」


ヴァルドの妻が言う。


「はい。何よりもまず、フィーユ殿のお気持ちが大切でございます。私よりも、フィーユ殿のお気持ちが最優先でございます」


「そうだったのね。よくわかったわ」


そう言って、くるりと後ろを振り返る。


「あなた!! 話が全然違うじゃない!! 未来の王妃になるとか言うから、もう結婚が決まったのかと勘違いしたじゃないの!」


再びヴァルドへ手が上がりそうになる。


「奥様、お気持ちはわかります。ですが、暴力はいけません。先ほど『女性を虐げるな』とおっしゃいましたが、男性を暴力で虐げるのも、いかがなものかと思います」


フィンが必死にかばう。


「いや、よいのだよ、フィン殿。妻よ。そなたの怒りはもっともだ。私の言葉が足りなかった。許してくれ。殴って気が済むのなら、いくらでも殴ってくれ。私はそなたの拳なら、いくらでも受けられる。愛しているから」


ヴァルドが言う。


「あのー、お取り込み中ですが……ただ今、我が国は一大事の最中でして。フィンに親書を届けてもらわねばならないのです」


長兄がおそるおそる言った。


「あなたが行けばいいでしょう! 何のための瞬間移動なの!!」


ヴァルドの妻が夫へ向かって言う。


「いえ、その……人間同士の問題なので、できれば竜関係の方々の介入は避けていただければと……」


次兄もびくびくしながら言った。


「あ、僕、もう行きます。予定より遅くなってしまいました」


フィンは慌てて親書を受け取り、懐へ入れて外へ向かう。


「フィンー! 逃げるなーー!!」


三兄が叫ぶ。


「行ってきまーす!」


アーチャの声がして、ばさばさと飛び出していった。


「フィンは届け先知っているの?」


四兄がつぶやく。


「親書を開けばわかるかと……」


長兄が顔を引きつらせた。


「待て、封蝋がしてあったぞ」


次兄が言う。


「セレシアのところへ向かったのであろう。セレシアと一緒の方が話が早い」


三兄が落ち着いて言った。


皆がほっと胸を撫で下ろす。


辺境伯夫人が言った。


「まあ、実際にお会いできるとは。いつもどんな方かと、お会いできるのを楽しみにしておりました」


そう言って、ヴァルドの妻の手を取る。


「こちらで朝食をご一緒しませんか?」


「まあ、よろしいのですか? ぜひご馳走にならせてくださいませ」


妻の顔が明るくなった。


「お名前をお伺いしても?」


夫人が尋ねる。


「名前……??? 忘れました。何だったかしら??」


皆の動きが止まった。


「夫と娘以外の人間と話すのも久しぶりです。いつ以来かしら……?」


妻は首を傾げた。


「思い出さなくてもよい。せっかくなのだから、ここの方々と仲良くするといい。ここの方々は、そなたに危害を加えることはないからな」


ヴァルドが言う。


(いや、奥方が加える方なのでは?)


皆、一瞬そう思ったが、口には出さなかった。


「義母上、参りましょう。私がご案内いたします」


ヴィルが妻の手を取る。


「まあ、なんて気が利くのかしら」


「とりあえず朝食を食べよう。また今日一日、大変そうだ」


辺境伯は苦笑するしかなかった。


* * *


フィンは途中までアーチャに乗り、城が見えたところで着陸した。


「馬があると助かるのだが」


「どのくらい残っているのかなあ、馬。お城が無事でよかったけど」


アーチャが言う。


「公爵邸の場所がわからない。とりあえず城へ向かうか。昨夜のヴァルドの様子だと、セレシア達はまだ忙しいだろう」


しばらくして、フィンは城門へたどり着いた。


「ゾルピデム公爵様にお目通りを願いたいのですが、どちらへ行けばお会いできますか?」


門兵へ尋ねる。


「ゾルピデム公爵様かあ……そなた知っておるか?」


「いや、知らん」


フィンは全く相手にされていない。


「辺境伯様からの使いなのですが……」


「そなたが使い? そんな馬鹿な! セレシア様がおられるのに、なぜわざわざそなたが来るのだ?」


「わかりました。出直します」


フィンはため息をつく。


「セレシア様、有名なんだね」


アーチャがこっそりささやく。


「気は進まぬが、セレシア様のところへ参ろう」


焼け野原の中で、無事に建っている救護所はとても目立っていた。


建物の周囲にも、人々が座り込んだり、寝かされたりしている。


「すまない。セレシア様はどこにいらっしゃる?」


フィンは看護要員らしい女性へ尋ねた。


「セレシア様なら、いったんお帰りになりました。別邸の様子を見に行くとおっしゃって。つい先ほどのことです。フィーユ様もご一緒です」


「教えてくれてありがとう」


フィンはすぐに別邸跡へ向かった。


ヴァルドの妻の話はまた後から出てきます


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