第四章 最後の決断
それから数日が経った。
ある夜、ミリヤは御使いの指輪を交換していた。
一つ目。二つ目。三つ目。
慣れた手つきで、指輪を外し、空の指輪を嵌めていく。
四つ目――
ふと、ミリヤは首から下げた指輪を思い出した。
複雑な文様が描かれた、銀色の指輪。
「それが、あなたを縛っているのでしょう。」
パルマの言葉が脳裏をよぎる。
今、触れている御使いの指輪。それに酷似したミリヤの指輪。
「なぜ?」と思う。
「ミリヤ?」
訝しむサジェの声で我に返った。
慌てて作業に戻る。五つ、六つ――とおたおたしながらもすべての指輪を交換した。
ミリヤはひとり自室に戻ってからも、指輪が気になっていた。こんなに長く、一つの事柄に捕らわれているのは珍しい。
――嵌めてみたい。
そう思うと同時に「手放したらどうなるの?」とも思う。
悩みながらベッドに腰掛け、首からチェーンを外す。両手の指で指輪を摘まんで眺めた。
ほんのりと白く、光って見える。
自分の指に嵌めようとし――瞬間、体がびくりと跳ねた。
弾みで指輪を取り落としてしまった!
と――
頭の中に、何かが流れ込んできた。
記憶。知らない記憶。誰かの記憶。
いや、これは――
声にならない悲鳴が聞こえる。
それは、白い人――御使いが発している声なき声だった。
ミリヤの意識は、御使いの記憶に引きずり込まれていく。
白い部屋。動けない体。
ずっと、ずっと、長い年月をただ座り続ける。
意識はある。感覚もある。
でも全身を雁字搦めにされたように、指先さえ動かせない。声も出せない。
何か、酷く不快なもの――指輪が、体の自由を縛っている。
天上から降り注ぐ鋭い魔力が体を巡り、そして指輪に吸い取られていく。終わらない苦痛。
『神よ、なぜ?』
御使いは、何度も問いかけた。
『なぜ、我にかような役目を――?』
答えは、ない。
ただ、時間だけが流れていく。
周囲には、自分の世話をする人間たちの気配がする。
でも、誰も気づかない。
『私』が、どれほど苦しんでいるか。
『疾く解き放て!我は咎人でない!かような仕打ちはたくさんじゃ。嫌じゃ!嫌じゃ!』
心の中で、何度も叫んだ。
でも、声なき声は誰にも届かない。
御使いは、人の姿をした『もの』だと思われている。
生命のない人形のようなものと。
でも――
悲痛な叫びが続いている。
ミリヤは、ふらりと倒れ込んだ。
床に手をつき、荒い呼吸を繰り返す。涙が止まらない。
「ひどい…こんなの、ひどすぎる」
御使いの苦痛が、自分の苦痛のように感じられた。
何十年、何百年という長い歳月を、動けず、声も出せず、ただ魔力を吸い取られ続ける。
それは、まるで生きながらの死。
終わりのない地獄。
「私も、同じ――?」
ミリヤは気づいた。
記憶を失い、誰にも理解されず、ただ一人で生きてきた自分。
御使いも、ひとりで、誰にも理解してもらえないでいる。
自分と同じだと思った。
いや、もっと苦しんでいた。
「もう、いやだ」
ミリヤは、床に落ちた指輪を見た。
この指輪が、自分を縛っている。
御使いの指輪も、同じように――
「終わりに――しなきゃ」
ミリヤの中で、何かが決まった。
自分のためでも、世界のためでもない。
ただ――
苦しんでいる人を、放っておけなかった。
倒れたミリヤを見つけたのは、パルマだった。
その手には、銀色の指輪がある。
パルマは、床に落ちていた指輪を拾うと、持ってきた指輪と取り替えた。そして、ミリヤの首にかけ、そっと部屋を出て行った。
翌日、目を覚ましたミリヤは、体のあちこちに痛みを感じた。
「どこかにぶつけたのかしら」と思ったが、思い出せない。なにか、とても大事な事を忘れている気がする――
首を傾げた拍子に、鎖がチャリと音を立てた。
支度をすませて御使いの元に向かう。なんだかすっきりしない。
何かを忘れている――?
いつものことなのに、気になった。
「あら、ミリヤ、どこかにぶつけたの?」
サジェが声をかけてきた。自分の肘を指さしている。
ミリヤは、右腕をくるくると動かして、肘の辺りを確認した。あざになっている。
「そうみたいです。でも、覚えていなくて…」
「あらあら、治しましょうよ。見ていて痛そうだわ」
言うが早いか、サジェはミリヤの右手首を掴むと、そっと患部に手をかざした。
温かく柔らかな魔力が流れ込んでくる。同時に、すうっと痛みが消えていった。
そこに、パルマが新しい指輪を持って入ってきた。
瞬間、胸の奥に痛みが走った――
そして――思い出した。
指輪が、ミリヤを縛っている。
ミリヤの記憶を、奪っている。
そして、目の前の御使いが、どれほど苦しんでいるか。
昨夜見た、御使いの記憶。
終わらない苦痛。声なき叫び。
「こんなの、間違ってる」
ミリヤは呟いた。そっと涙が頬を伝う。
ミリヤには世界はわからない。けれど、たくさんの人々が生活している世界を支えるために、魔力を供給する――そんな大義名分があるからと、誰かを永遠に苦しめていいはずがない。
ミリヤは、優しかったパルマを思い出す。
御使いはただ静かに、そこに座り続けている。
葛藤はある。
世界がどうなるか、わからない。
それでも、目の前に座す人が、これ以上苦しむ理由を、ミリヤは見つけられなかった。
「ごめんなさい。でも、私――これ以上、見ていられない」
ミリヤはそっと御使いの手を取った。
冷たい手。でも、柔らかで、生命を感じる手。
「大丈夫。もう、終わりにするから」
ミリヤは、御使いに優しく微笑みかけた。
それは、たどたどしくも、心からの笑顔だった。
「あなたを、自由にしてあげる」
ミリヤの手が、御使いの指輪にかかった。
一つ外す。もう一つ外す。
「駄目よ!!」
二人の制止の声が聞こえた。
さらに、もう一つ――
同時に、三つの指輪が外された。




