消えた羊皮紙 Ⅳ
まもなくして、ティナードが二名の衛兵を引き連れて部屋へ現れた。
部屋に入ったティナードは、神経質そうな視線で室内をぐるりと見回す。
なんて言えばいいのか、こういう叱られる前の胸がモヤモヤと沸き上がる感覚は久しぶりだ。
「ユケイ王子、お身体に危害はありませんでしたか?」
「え?はい。私も家臣も、それは一切ありませんでした」
「そうですか。何よりです」
次いでティナードは、引き連れた衛兵に指示を出していく。衛兵たちはウィロットとカインの元に向かい、何やら聞き込みを始めたようだ。
聞き耳を立てると、どうやらマリーの容姿や特徴について、情報を集めているようだ。
おそらく彼女を捜索するためのものだろうが、それ以上に衛兵のウィロットたちに対する高圧的な態度の方が、俺には鼻についた。
ウィロットの様子が辛そうなのは、もしかしたらこの先のマリーの未来を案じてなのかもしれない。時々俺に向け、悲しそうな視線を送ってくる。
二ヶ月ほどとはいえ、寝食を共にした仲なのだ。当然思うこともあるはずだ。
それはもちろんウィロットだけではなく俺も同じだし、言葉には出さないがカインもそうだろう。
「それでユケイ王子、賊からの被害はどのようなものですか?」
ティナードの賊という言葉に、自分の心が微かに騒めいたのを感じた。
ウィロットの悲しそうな表情は、これだったのかもしれない。
しかし俺にとって、ティナードの話ぶりは少し意外だった。
てっきり俺の臣下が起こしたことなのだから、もう少し批難的に接してくると思っていたからだ。
「はい、それは今調べているところです。ウィロット、わかるか?」
「はい」
ウィロットは答えると、衛兵にぺこりと頭を下げてぱたぱたと俺の方へ駆け寄った。
「えっと、今わかっている分で、魔石の指輪が二つ、宝石が埋め込まれたアルナーグ家の家証、あとはアルナーグから持ってきた本が一冊と、金銭が多少、発火シリンジと、例の羊皮紙を含めて羊皮紙が6枚ほどだと思われます」
ウィロットが被害品を記したメモを読み上げる。
俺は羊皮紙のことしか頭に無かった為、予想外になくなっているものが多くて驚いた。
「なるほど……。金目のものをだいぶ盗られたということですね。高価な物だけでなく、魔石や羊皮紙を持っていったあたり、こういうことをするのに慣れていたのかもしれません。本や宝石はお金に換えるのに時間がかかりますからな。お金に換えやすく、運ぶのに邪魔にならない羊皮紙や魔石を持って行ったのでしょう。しかし……、よりによってあの羊皮紙を持ち出すとは……」
ティナードはやれやれと言わんばかりに、頭を左右に振った。
眉間には深いシワが刻まれている。
前世であれば、多少高価なものであっても専門の買い取り店へ持ち込めばなんでもお金にしてくれる。しかし、この世界ではそうもいかない。
特に宝石や本などは、専門に取り扱っている商人でなければ引き取ってもらうことすら厳しいだろう。物によっては金貨数枚、前世の価値で言えば数十万や数百万に達することもある。そうなれば、買う方も現金を用意するなど、それなりに準備が必要なのだ。
そもそも、まだ若い娘であるマリーがそのような高価なものを持ち込めば、間違いなく盗品であることを疑われるだろう。
それに、もし本や宝石が現金化できたとしても問題がある。
物価が違うので正確には比較できないが、ヴィンストラルドを中心に流通している三カ国金貨は、前世に換算すれば一枚およそ十五万円ほどだ。
そんな物を少女が使って買い物をするなど不自然極まりない。
金貨など、多くの平民には触れる機会すらないのだ。
それに比べ、羊皮紙は比較的売買がしやすく、六枚もあれば一、二か月食いつなぐことは可能だろう。
一枚ずつ処分していけば捌きやすいだろうし、マリーほどの年恰好の者が持っていたとしてもぎりぎり怪しまれない。
しかし……。
俺はティナードの横顔を、そっと盗み見る。
彼はマリーの犯行を、例の羊皮紙が目的であると、微塵も疑っていないのだろうか?
それとも、俺たちはその前の経緯があるからそう思うだけで、それがなければそこに思い至ることはないということか?
いや、本当に金品が目的である可能性もゼロではない。
しかし、その可能性は彼女が持ち出したものを見てもおかしいとわかる。
彼女は羊皮紙を合計で六枚持って行った。部屋にはまだ数枚羊皮紙が残っている。
販売目的であれば、他の羊皮紙を持っていけばいいので、わざわざあの血で汚れた羊皮紙を選ぶ理由がない。
当然、羊皮紙以外の物を持ち出したのは、金品目的だと思わせるためのカモフラージュだろう。
俺はそっと、カインに視線を送る。
彼は俺の視線に気づいたものの、特に何かの反応を返すことは無かった。
彼もきっと、俺と同じ疑問を持っているだろうが、口にするつもりは無いようだ。
「すでに賊の捜索は始めています。恐らくすぐに見つかるでしょうが、盗まれた物は無事に返る保証はできません」
「はい」
「夜中に抜け出したということですが……。表の通路にも見張りはいたというのに、いったいどうやって逃げおおせたのでしょうか……」
「おそらく窓から出たのではないでしょうか」
「窓からですか?地面まで軽く見ても十リールはあります。小娘と聞いていますが、そんなことが可能なのでしょうか?」
ティナードは訝しげな顔を見せるが、それ以外の方法もないだろう。
例え無事に建物から抜け出せても、まだ城郭の中だ。しかしマリーであれば、それくらい簡単にやってのけるのではないだろうか。
そして、きっとすぐに見つかるということもないような気がする。
ふとリセッシュの件が頭を過ぎる。
あの時の犯人は姿を消して室内に隠れていたのだが、今回はその可能性は低いだろう。
「ユケイ王子、わたしは確かに商業ギルドの者に信頼のおける人物を用意する様に申し付けたのです。もし盗まれた物の補償をお求めでしたら、商業ギルドの方へお願いします」
ティナードはばつが悪そうにそう言った。
ああ、確かにそういうことになるのか。
俺はてっきり、羊皮紙を紛失したことに対し、なんらかの責任を追求されるかと思っていた。
しかしよくよく考えてみれば、マリーは商業ギルドからの紹介であり、さらに元をたどればティナードの紹介でここに来たことになる。
そう考えれば、責任の一端はティナードにあるとも考えられる。マリーの行動を、単なる金銭目的の窃盗だと思っているのならなおさらだ。
ということは、今回の件では俺にはなんのお咎めもないということなのか?
「ところで、羊皮紙の文字の件はどのような進捗だったのですか?」
ティナードは俺に問いに、俺は一瞬言葉を詰まらせる。
一体それはどこまで話すべきだろうか?
羊皮紙の謎が解明できた可能性、そしてマリーがそれを見て羊皮紙を盗んだ可能性があること。
それを伝えるかどうかで、事件の性質は全く変わる。真相を追求するためには、全て正直に話した方がいいだろう。
しかし……。
「文字が消えたり現れたりするインクについては、発明することができました。しかし……、あの羊皮紙に同じものが使われているかどうかはわかりません」
「わからないとはどういう意味ですか?」
「それを確認する前に、こうなってしまったので」
「……なるほど。それは仕方がありませんな。ところで、バイゼル国王陛下がユケイ王子との謁見を望んでいます」
「えっ!?羊皮紙の件はいいのですか?」
俺の言葉に、ティナードはむしろ何を言っているのかと言わんばかりの表情を見せた。
逆に俺は、ティナードの表情の理由がわからない。
謁見の条件は、羊皮紙の謎を解き明かすことだった。
今の俺はそれを果たすどころか、その羊皮紙を紛失してしまったというのに……。
「何を言っているのですか?そんな些細なことを」
「さ、些細なこと……ですか?」
「あなたが行ったことを考えれば、実に些細なことです。明日の正午、国王陛下が時間を設けました。窃盗騒ぎで多忙ではありましょうが、急ぎ準備をお願いします」
「えっ!?明日ですか!?」
これには驚かざるを得ない。
今まで二ヶ月近く延々と音沙汰もなく待たされていたのに、突然明日謁見を行うというのはどういうことだろうか?
羊皮紙のことで何かあったというのだろうか?いや、ティナードはそれを、些細なことだと言い切った。
それではいったい……
「いったいどんな理由で、急な謁見が叶ったのですか!?」
「それは当然……、いえ、国王陛下のお考えです。私がいうことではありません。ユケイ王子、明日迎えのものが参ります。ご準備をよろしくお願いします」
そう言うとティナードは、逃げるように部屋から立ち去った。




