僕の神様 2
寒い、お腹が減った。そう思っていない時は無い。寧ろ、それ以外の状況を味わった事が無い。小さい自分の毎日は常に「寒くて、お腹が減っている」ことだった。
チイサイノはいつも通り日が沈むと、オオキイノが沢山寝ている場所に行く。まだ少し動いて喋れるオオキイノに近づき、声を掛けることがチイサイノの「仕事」なのだ。
チイサイノは細心の注意を払い、オオキイノを選ぶ。あまり動けるオオキイノに近づくと攻撃される事もある。なるべく弱って喋るだけになった奴を選ぶ。
昨日から目を付けておいたオオキイノに近づき観察してみる。昨日よりもだいぶ動けなくなって、今は息をするのもやっと、というところだ。
チイサイノはオオキイノの耳元に昨晩も言ったセリフをもう一度言ってみた。
「なぁ、荷物全部くれるなら、お前を楽にしてやれるぞ?」
このセリフをいう事はチイサイノ達の間では絶対のルールだった。この問いに「はい」と答えた奴しか「楽に」してはいけない。何故そんなルールがあるのかは知らないが、だいぶ前に他のチイサイノが教えてくれた。チイサイノは今でもちゃんとそのルールを守っている。
チイサイノがそう尋ねると、昨日は怒鳴り声を上げ怒ったオオキイノが涙を流して何度も「お願いします」と呟いた。
チイサイノはよく研いだナイフをオオキイノの首に当て、血が飛び散らない様にぼろきれを乗せる。彼の目頭を隠すように軽く押さえると、オオキイノは「ありがとう、ありがとう」と何度も言った。
チイサイノは躊躇う事なくオオキイノの頚動脈を正確に切り裂いた。大きいのが味わう痛みはほんの一瞬だったと思う。オオキイノは暴れる事なく動かなくなった。
血で汚れたナイフをぼろきれで綺麗に拭ってから、オオキイノの荷物を漁る。彼は脚の付け根を折っていたらしくほとんど動けなかった。荷物の中の糧食は手付かずのまま残っていた。
「今日は沢山ある。うれしいな。」
チイサイノは少しだけ「笑って」みた。笑うとはどんなものかよく知らないが、多分こんな時に笑うのだと思う。
戦闘が膠着しているどうしようもない戦場に立ち、ヒョウセツは思わず呟く。
「……鮮やかなものだな、」
彼の呟きに副官も苦く笑う。
「えぇ、全くです。たいした腕ですよ。」
足元に転がる骸は酷く安らかな顔で眠っている。彼だったモノの頸元は美しいほどの切り口で切り裂かれ、彼の絶命の一瞬が痛みを感じる事も無いほどの「一瞬」である事を物語っている。
「……小さな死天使がこの戦場にもでる……それほど長いのか、ここは、」
ヒョウセツの苦しい声に副官も眉を歪めた。
「えぇ、五年近く停戦と小競り合いを繰り返して……戦地は広がるだけで、何も収拾できていません。」
彼の答えにヒョウセツは小さく笑う。泥沼の様相を呈している荒れ果てた土地を見渡し、彼は刀を抜く。
「ならば、参ろう。勝利も敗北も最早ないこの地に、我らが『終末』を与えようぞ。」
最強と謳われた男の掛け声に、傭兵達は雄たけびを持って返答する。
痛みしか生まなくなった戦地に、戦神の化身は無慈悲な刃を振り下ろした。
小国同士の小競り合いはガリカという血に餓えた大国の介入により、喧嘩両成敗とばかりに両者を叩き潰し、戦闘は終結された。
長く続いた泥沼の争いは両国を疲弊させ、両者共「ガリカへの編入」という形で無理矢理収束させられる。
浅ましい漁夫の利と周辺国には陰口を叩かれたが、小国の民達は戦争の終結に胸を撫で下ろした。このまま戦争を続け、勝者になっても何も益が出ないほど、両国は消耗しきっていたからだ。
共同統治とは名ばかりの傀儡政権が誕生し、ガリカによる真っ当な統治が始まると民達は安堵している様子だった。このまま、しばらく続く実質的な敗戦統治も比較的穏やかに受け入れられる事だろう。
ヒョウセツは激戦地で拾った「死天使」のいる部屋に帰る道すがら、これからの事を考えていた。
この任務が終われば、また新たな戦地に赴くことになるだろう。そこに「死天使」を連れて行くかどうか、それを決めかねていた。
長く戦場に住む者ならば、一度は「死天使」という存在を耳にする事がある。
戦闘が長期化するような泥沼の戦地では、基本「衛生兵」などは機能しない。自陣に自力で撤退できた軽傷者のみが治療を受け、重傷者は酷いことだが見捨てられる。
しかし、自陣に辿り着けた者はそれでもマシだ。戦地に取り残された者に助けは来ず、その場に打ち捨てられる。
戦闘で負傷し、命だけ助かったような状態の者は「悲惨」というより他ない。
誰も助けの来ない荒れ野に放置され、仲間達の苦痛の呻きを聞き死臭を吸い、痛みと餓えにのたうちながら泥水を啜り、死を待つしかない。
虫や獣に生きたまま齧られ苦悶の表情で事切れている遺骸を見れば、彼らの「戦死」がどれだけ壮絶なものだったかが容易に理解できる。
そんな泥沼になった戦地に現れるのが「死天使」達だった。
戦闘地域となった村や里などに住んでいた「戦災孤児」達は生き延びる為に、負傷者達の糧食を狙うようになる。そんな子等に先のない「負傷者」は自らの獲物を与え、「死」を願い依頼する。そうして子供達は長く苦しい死を待つしかない哀れな者達に、一瞬で死を与える「死天使」として生きる事を覚える。
戦場の悲惨さが孤児達を「人殺し」にさせている。
ヒョウセツの拾った「死天使」もそんな戦災孤児だ。
子供とは思えぬほどの鮮やかな殺しの技術は、長く戦地を駆けている傭兵達でさえ舌を巻くほどで、彼らの間では「もしものときは、あの『死天使』に喉笛を斬ってほしい」そんな半ば本気の冗談まで飛び出すほどだった。
それほどに技術を積んでしまった「死天使」がまともな世界に生きられるはずがない。
ヒョウセツは恐ろしくやせ細っていた最強の死天使を夜の戦地で見つけたとき、その場で殺そうと思った。
「お前、楽にしてくれるのか?」
小さな死天使はヒョウセツにそう問うた。
細く輝く三日月の下、何の感情も無い瞳で刀に手をかけるヒョウセツを見上げる小さな小さな「死天使」は、涙が出るほど哀れで美しかった。
「あぁ、楽にしてやる。ちゃんとお前を楽にしてやる。」
みなが犠牲者だ。ヒョウセツはそう思った。
どこにも勝者のいないこの世界では、こんな小さな子にまで犠牲を強いる。
「楽になれるの、うれしいな?」
死天使は少しだけ頬を歪める。それが笑顔のつもりだと気付いた時、ヒョウセツは死天使を抱き上げ、歩き出していた。
「アナタ、本当に後先がないわね、」
呆れた声で呟くカトリーヌに、ヘンリーも肩を竦め笑う。
「……すまん、」
最強の傭兵が情けなく頭を下げると、カトリーヌは大きなため息を吐く。
「全く、……本当に、男は気が回らないし、ろくでもないわ……」
彼女はブツブツと愚痴を言いながらも、書類を書き上げサインをいれる。
「ほら、これがあの子の『住民登録』。これであの子はここの領民になったわよ。」
カトリーヌがムッとした顔で差し出した書類を受け取ろうとヒョウセツが手を出すと、彼女は意地悪く顔を歪め書類を引っ込めた。
突然の「意地悪」にヒョウセツが怪訝な表情をすると、カトリーヌは意地悪に笑ったままこういった。
「ヒョウセツ、アナタこのまま傭兵辞めて、あの子のお父さんになりなさいな。」
その言葉にヒョウセツが固まると、彼女は言葉を続ける。
「犬猫だって拾ったら、拾ったものが世話を見るのが当然よ。あの子を拾ったんなら、ちゃんとあなたが面倒見るべきよ。」
じっと動かないヒョウセツに、カトリーヌは少しだけ表情を和らげる。
「いつまでも戦場うろついて、根無し草なんてしてるのおかしいわ。アナタもちゃんと、『人』らしく生きて、あの子に『人』らしい生き方教えてやりなさいよ。」
カトリーヌの言葉にヘンリーは少し困ったような顔をしたが、すぐに同意した。
「大丈夫だよ。君がいなくても、ちゃんと軍は機能させるよ。」
ヘンリーの同意にヒョウセツは少し複雑そうな表情をする。
「……戦場しか知らない俺だ。『人』らしく生きられるだろうか?」
彼の答えにカトリーヌはおかしそうに笑った。
「出来るかじゃないの、『やる』のよ、ヒョウセツ。アナタはお父さんをやって、ちゃんと生きるの。」
彼女の言葉に、ヒョウセツはぎこちなく微笑む。「笑顔が驚くほど下手だな」とヘンリーとカトリーヌは揃って笑った。
それがヒョウセツが父親になった日のお話。