13 キマイラ襲来
キマイラは、ライオンの体に毒蛇の尾を持つ、双頭の怪物だ。
ライオンの頭とヤギの頭を持ち、口からは炎を吐く。
付近の森や建物が炎に包まれているのは、この怪物の炎のせいに他ならない。
周囲にすでに人影がないのを見て、ブランシュは少しだけほっとする。
(最低クリアレベル18、北の森のダンジョンの中ボス──今の私たちじゃ、絶対に倒せない)
このゲームをやりこんだブランシュだからわかる。
聖属性を付加する第一階位聖魔法「セイクリッド・ギフト」なしに勝てる相手ではないのだ。
ブランシュたちも逃げるべきだった。
(でも)
街にいた、多くの人々の姿が目に浮かぶ。
この怪物が街に入って火を吐いたら、どれだけ多くの犠牲がでるのだろう。
ブランシュは、サシャとユーグの後ろ姿を見つめた。
彼らの能力の全てを、ブランシュはまだ知らない。
レベル差がありすぎて、その実力を把握しきれていないのだ。
ブランシュは、期待を込めて彼らに問いかける。
「サシャ、ユーグ。私一人なら、逃げるしかないの。でも、あなたたちなら、あいつをどうにかできる?」
「それは、どうにかしてってこと? お嬢様」
余裕すら感じさせる笑みで、少年は、生意気にそんなことを言ってのけた。
「命令じゃ、ないわ」
「うーん、可愛くお願いしてくれたら、頑張れるかも」
「もう!」
かわいくなんて、ブランシュの柄じゃない。
でも、彼らへ期待を胸にのせての、これは切なる願いだ。
「あいつを、どうにかしたいの。サシャ、ユーグ、お願い」
「はは、まかせとけ! 下がってろよー、ブランシュ!」
両の手を胸の前で組むブランシュに、ユーグはほほ笑みながらうなずき、サシャは軽口をたたく。
二人はそうして、ブランシュに頼もしい背中を向けた。
ブランシュは、彼らの邪魔にならないよう、ダンジョン入り口の岩陰から二人の様子をうかがう。
サシャは、懐から、指のかぎ爪のついた武器──アイアンクローを取り出すと装着する。
いつもは武器など使わない彼が、初めて武器を身に着けた。
ユーグは、背から斧を下ろして、前方に構える。
彼が構えをとるのを見るのは、初めてだ。
二人は、炎を吐きながら、周囲の建物を蹂躙するキマイラの前に立ちふさがった。
「おい、でかいの! いい加減炎を吐くの、飽きたんじゃねえの。俺たちが相手してやる。感謝しろよ!」
キマイラは、ライオンのたてがみをぶるりと振って、サシャとユーグを見つめる。
ブランシュは、サシャとユーグの後方にいたので、自分がキマイラと目が合ったかのような錯覚を覚えた。
<ミツケタ>
(どういう意味?)
ブランシュがその意味を考える前に、キマイラは、大地を蹴った。
キマイラがその鋭いライオンの爪を振り下ろす。
ユーグが戦斧を両手で構えて受け止める。
ズンッとユーグの足が地面にめり込む。
その隙に、サシャが、ユーグの背後の死角から飛び出し、キマイラの右目をアイアンクローでえぐった。
ギャアアアッと悲鳴を上げながら、キマイラは、サシャとユーグから一歩下がる。
ライオンの頭の片目からぼたぼたと血を流れる。
動きを止めたキマイラに、すかさずユーグが斧を振り上げる。
戦斧はヤギの頭の片角を折り取った。
隙を狙って背後から攻撃をしかける蛇の尾も、サシャのアイアンクローが切り落とす。
「強い」
<ああ、すげえな>
ブランシュの肩の上から、ギィも顔を出す。
彼らの強さはブランシュの想像を超えていた。
ユーグとサシャは、容赦なく、その力と俊敏な動きでキマイラを追い詰めていく。
双頭の怪物は、時間を追うごとに、傷つき、血にまみれていった。
爪と斧の攻撃を受ける度に、キマイラの咆哮が地を揺るがす。
<……シメイヲ……ハタサネバ>
(何?)
岩陰から眉をひそめて見つめる中、ブランシュは、唐突に、その怪物と──目が合った。
息をのむ間もなかった。
キマイラのライオンとヤギの双頭がブランシュに向かい口を開く。
ガアアアアッ。
咆哮と共に、その口から灼熱の塊が吐き出される。
──ブランシュは、とっさに目をつぶり、死を覚悟した。
(熱い)
頭をかばうようにかざした腕の隙間を縫って、熱風が、頬を焼く。
けれど、ブランシュは、自分がまだ息をしていることに気づく。
(私、どうして生きてるの?)
目を開けると、すぐ前に、腕を広げ、立ちはだかるユーグの姿があった。
真っ赤な炎を背に受け、ブランシュに、心配するなと言うようにほほ笑みかける。
笑えるはずなどない。
キマイラの炎は森を焼くほどの業火だった。
ブランシュはどうしていいかわからずに、ただ、その現実を受け止めたくなくて首を振る。
唐突に炎が途切れ、グオオオオッという咆哮が、あたりに響く。
サシャがキマイラの体に飛びかかっているのが見える。
「ブランシュッ! 抑えるぐらいしかできねえ! さっさとユーグを回復させろ!」
サシャの叫びに、ブランシュは、我に返った。
キマイラは、ヘイトを向ける相手を、ブランシュとユーグから、サシャに切り替えただけだ。
まだ攻撃は続いている。
ブランシュの前で、ユーグは、がくりと片膝をついた。
かろうじて斧で体を支えている。
「ユー……グ」
手が震える。
ユーグを回復させなければならない。
失敗したら、ユーグが死ぬかもしれない。
こんな大けがは初めて見る。
まだ聖魔法に目覚めて半日のブランシュに、治せるのだろうか。
失敗したら、きっとキマイラも倒せない。
街が焼かれて人が大勢死ぬ。
思考は混乱するだけで、震えた手は動かない。
成功するかわからない魔法よりも、サシャの傷薬の方が確実だと思うが、サシャのかばんは、キマイラの足元で取りに行けない。
「大丈夫だ」
そんなブランシュに、ユーグはほほ笑みかける。
──ユーグがブランシュに、初めて話しかけてくれた。
<心配すんな、ブランシュ。お前ならできる>
ギィの声もブランシュを励ます。
「うん」
ブランシュは、呼吸を落ち着けると、ユーグの背に回る。
黒く炭化している背中の傷にそっと手を当てる。
「私は、ユーグを治したいの。彼のけがを癒して──セイクリッド・キュア」
ブランシュの手から、光が放たれる。
(心臓が、熱い)
心臓から、力があふれ、光になって、ユーグの背に降り注いでいるようだった。
その背がみるみる皮膚を再生し、元に戻っていく。
ユーグは、立ち上がった。
反対に、ブランシュの体はふらついて、ユーグの元へと倒れ込む。
力を使いすぎたのかもしれない。
ブランシュが顔を上げると、その体を片手で支えたユーグは、呆然とブランシュを見つめていた。
なぜそんなふうに見るのだろうと不審に思って見つめ返すと、ユーグは急に、ブランシュの体を片手で抱きかかえた。
「ええ⁉ きゃあっ」
ブランシュは、落ちないようにユーグの胸にしがみつく。
先日、舞踏会ホールで、アルフォンスに抱きかかえられたことがブランシュの脳裏によぎって、思わず赤くなる。
けれど、そんなことを考えていられたのは、ほんのわずかな時間だった。
「おいっ、けが治ったなら来い! もう、抑えてらんねーっ、さっさと来ーいって……え?」
サシャの怒鳴り声は、ブランシュの悲鳴にかき消された。
「きゃあああああああっ」
ブランシュは、上空から、キマイラを見下ろしていた。
ユーグの胸にしがみついたまま。
(落ちるっ、落ちる落ちる落ちるーーっ)
そして、涙目で振り返ると、再びキマイラと目が合った。
「ひっ」
それはわずかな間だった。
次の瞬間には、ユーグが、手にもった戦斧で、キマイラのライオンの首を切り落としていたから。
何の抵抗もなく、するりと、まるで柔らかいものを切り落とすがごとく。
ドンッと大きな音がして、ライオンの首が地面に転がった。
ガアアアアッ!
キマイラは、首を落とされた痛みに、狂ったように暴れる。
ユーグは、地面に降り立つとそのままサシャに近づき、ブランシュを──文字通り、手渡した。
ブランシュの脇の下を両手で持って、サシャに受け取れと言うように、渡す。
ブランシュの足は宙に浮いている。
「はっ? 何やってんのユーグ! 危ないだろ、何ブランシュ引っ張り回してんのっ。っておいっ」
ユーグはそのままブランシュをサシャに押し付ける。
一連の出来事でびっくりしたブランシュは、足腰がたたず、サシャに体を預けるしかない。
押し倒してしまうかと思った少年は、意外にもしっかりとブランシュを支えてくれた。
「ごめ、サシャ、下ろし……」
「ああ、なるほど、ね。そうか、そういうこと」
サシャは、一人で何かを納得し、ブランシュの腰を、片手で持ち上げた。
(なんて力持ち、ちがっ、そうじゃないっ)
サシャの背はあまり高くないから、落ちないようにしがみつくには、今度は、サシャの頭にしがみつくしかなかった。
サシャの頭を胸に抱え込む。
「俺、主に殺されるかも……」
そう言いながら、サシャは、ブランシュを片手で抱きかかえたまま、暴れ狂うキマイラにスタスタと向かっていく。
「ええっ⁉ ちょっと待って、サシャ! なんで私を連れてくのっ」
「いやあ、すっげえ。ユーグの気持ちがわかった。これが、……あの力か」
サシャが何かを言っているがブランシュはそれどころではない。
暴れるキマイラがこちらを向く。
ブランシュは、三度、キマイラと目を合わせる。
「ひっ」
<死ね……その心の臓を止めよ>
キマイラの瞳から、急速に光が失われていった。
その巨体が、糸が切れたように、ドッと地面に倒れ込む。
「うっわ。このクラスに余裕とか。すっげえー」
(もう、何なの、何なのよっ)
戦場を引っ張り回されたブランシュは、何が何だかわからない。
でも、危機は去ったのはわかる。
ほっとして、体中の力が抜けた。
さすがにサシャも片手では支えきれなくなって、ブランシュを、近くの木の根元に座わらせた。
「ブランシュ、そこで休んでな! 周りの様子を見てくる!」
駆けだすサシャを見送ると、ギィが白い綿毛のような体を振るわせて、パタパタと飛んできた。
<大丈夫か、ブランシュ>
「ええ、何とかね」
ブランシュは、正直フラフラだ。
魔力というよりは、慣れないジェットコースターのような体験に、体力的なものと精神的なものがついていかなかったのだ。
<なあ、最後のあれ、何だったんだ? あいつら、急にパワーが上がったよな?>
「ええ。私にもそう見えたわ。ねえ、ギィ。都合がよすぎるかと思うんだけど、私の勘違いじゃなければ、これって第三階位の……」
<おい、ブランシュっ!! 逃げろ!!>
その声に、咄嗟に立ち上がるが、足がもつれて、倒れ込む。
突然叫んだギィの視線を追って振り返ると、そこには。
──口を大きく開けた、蛇の姿があった。
切断されたキマイラの、毒蛇の尾。
大人の握りこぶしほどもある、蛇の頭が、ブランシュの左足に、牙を立てた──。




