無職こそ、異世界で無双する。(2)
「あの医者だ」
前の会社で担当していた医師だった。
機器の納品を翌日までに間に合わせろと言い、無理だと説明すれば営業努力が足りないと怒る。自分で選んだ製品が使いにくければ、説明が悪かったと宏太のせいにした。
宏太は何度、あの男に頭を下げたか分からない。
現実では、相手が医師で自分は営業だった。言い返すこともできず、無理な要求にも「確認します」と答えるしかなかった。
だが、小説の中なら違う。
「実はあいつも、先に異世界へ転生していたことにしよう」
宏太の指が動き始めた。
医師は異世界で王国を築き、国王として君臨している。その知識を利用して人々の病気を治し、救世主として王の座まで上り詰めた。
しかし、裏では民衆を苦しめる独裁者だ。
逆らう者を牢へ入れ、重い税を取り立て、自分だけがぜいたくな暮らしをしている。
そこへ宏太をモデルにした主人公が現れる。
虐げられた人々を救い、王の悪事を暴き、最後には皆の前で打ち倒す。
王は地面にひざまずき、主人公を見上げる。
今まで頭を下げてきた相手に、今度は頭を下げさせるのだ。
「最高じゃないか」
倒された王を前に、人々は歓声を上げる。
主人公は英雄として迎えられ、誰からも感謝される。美しい女性に慕われ、国の新しい指導者になってもいい。
宏太は頭に浮かんだ展開を、そのままエージへ入力した。
〈主人公がテレビを見ていると、突然画面に吸い込まれ、剣と魔法の異世界へ転生します。そこでは、前の世界で主人公に理不尽な要求をしていた医師も転生しており、自分の王国を築いて国王として君臨しています〉
さらに続ける。
〈その医師は民衆を苦しめる悪い王です。主人公は圧倒的な力で王を倒し、虐げられていた人々を救います。最後は皆から感謝され、英雄になる痛快な物語にしてください〉
宏太は満足して送信ボタンを押した。
これなら善と悪がはっきりしている。
嫌な王が倒され、主人公は感謝される。誰が読んでも胸がすくに違いない。
数秒後、エージから返事が届いた。
『魅力的な勧善懲悪の構図です。ただし、物語に深みを持たせるためには、王となった医師にも、民衆を支配するに至った事情や信念を与えるとよいでしょう』
宏太の眉が動いた。
「事情?」
あの男に事情など必要ない。
悪い王なのだから、悪ければそれでいい。
宏太はすぐに打ち返した。
〈事情はいりません。医師は最初から最後まで悪人です〉
返事はすぐに表示された。
『承知しました。明確な悪役として描くことで、主人公が王を倒した際の爽快感を重視するのですね』
「そう。それでいいんだよ」
宏太は満足してうなずいた。
『その場合も、王が具体的にどのような悪事を行っているのかを描くことで、読者が主人公へ感情移入しやすくなります。たとえば、重税、強制労働、医療の独占などが考えられます』
「医療の独占?」
『王は前世の医学知識を利用し、自分に従う者だけを治療します。薬や治療法を独占することで民衆を支配し、反抗する者には医療を受けさせません』
「なるほど」
さすがエージだった。
宏太は、そこまでは考えていなかった。
ただ威張っているだけの王よりも、人の命を利用して国を支配する王のほうが悪い。医師だったという設定も生かせる。
「採用」
宏太は続けて指示を出した。
〈王は医学知識を独占し、自分に従う者だけを治療してください。逆らう者には薬を与えず、重い税を課し、強制労働をさせます。主人公は苦しんでいる人々を助け、最後には王を倒します〉
『承知しました。まずは物語のあらすじを作成します』
画面に文章が現れ始めた。
宏太は身を乗り出した。
主人公の名は、コータ。
四十歳、独身。医療機器メーカーを退職して三か月になる無職の男だった。再就職も決まらず、毎日を無為に過ごしていたある日、テレビ画面から放たれた光に包まれ、異世界へ転生する。
「いいねえ」
自分の人生が物語になっていく。
それだけで、ありふれた無職の日々まで、何か意味のあるものに思えてきた。
異世界へ転生したコータには、触れた物の構造や不具合を見抜く能力が備わっていた。その力と前世の知識を使い、壊れた農具を直し、井戸から安全な水をくみ上げ、病人を救っていく。
やがてコータは、この国を支配する王の正体を知る。
王は、前世で自分へ理不尽な要求を繰り返していた医師だった。
「きた、きた」
宏太は思わず声を上げた。
続きを読んだ。
王は異世界へ転生した当初、自らの医学知識で多くの命を救っていた。だが、助けられなかった患者の家族から責められ、治療を拒んだ者から石を投げられ、しだいに人間を信じられなくなっていく。
すべての人間を救うには、強い権力が必要だ。
そう考えた王は国を支配し、医療を自らの管理下へ置いた――。
「ちょっと待て」
宏太は画面をスクロールする指を止めた。
話が違う。
これでは、王が国を支配したのは人々を救うためになっている。
しかも、最初は善良な医師だったらしい。
さらに読み進める。
王宮へ乗り込んだコータは王と激しい戦いを繰り広げる。しかし、最後の一撃を振り下ろす直前、王の目に深い孤独が宿っていることに気づく。
コータは剣を下ろし、王へ手を差し伸べる。
――あなたも、本当は人々を救いたかったんじゃないのか。
その言葉に、王は初めて涙を流す。
二人は互いの過去を語り合い、協力して新しい医療制度を作ることを誓う。国中の人々が二人へ感謝し、物語は希望に満ちた未来を予感させて幕を閉じる。
宏太は、最後まで読み終えた。
「なんで仲直りしてんだよ」
王は倒されていなかった。
地面にひざまずくこともなければ、民衆の前で悪事を暴かれることもない。それどころか、主人公と並んで国を立て直そうとしている。
宏太は勢いよくキーボードを叩いた。
〈王と和解しないでください。王は悪人です。最後には主人公が剣で倒してください〉
『王を完全な悪として倒す展開も可能です。ただし、悪役にも事情や信念を持たせたほうが、人物に厚みが生まれます。また、対話による解決を描くことで、単純な善悪にとどまらない余韻を残すことができます』
宏太は画面をにらんだ。
「余韻なんかいらないんだよ」
欲しいのは、爽快感だ。
悪い王が倒され、人々が喜び、主人公が英雄になる。それだけの話を頼んでいる。
宏太は一文字ずつ、念を押すように入力した。
〈王に同情できる事情は一切ありません。対話もしません。改心も和解もしません。最後には主人公が王を完全に倒し、民衆が歓声を上げます。必ず、この条件を守ってください〉
送信ボタンを押す。
『承知しました』
素直な返事が返ってきた。
宏太はようやく息を吐いた。
「最初から、そう書けばいいんだよ」
最強の相棒にも、多少の説明は必要らしい。




