最初の任務は、園児とダンスでした。
のぞみ保育園では、夏祭りの準備が本格的に始まっていた。
一年に一度、保護者も参加する大きな行事だった。
園庭には焼きそばやかき氷、輪投げなどの屋台が並び、最後には年長組の園児たちが練習してきたダンスを披露する。
当然、男性職員である宏太の仕事も増えた。
倉庫から長机やテントを運び出し、屋台に使う電源コードを引く。音響機器の配線を確認し、保護者へ配る案内文や会場図も作った。
「こうた先生、こっちの机もお願いします」
「これで何台目ですか?」
「あと六台です」
「まだあるんですか」
事務職として採用されたはずなのに、気づけば毎日のように園内を動き回っていた。
準備が遅れた日は、残業になることも増えた。
その日も、時計の針は午後六時半に近づいていた。
ほとんどの園児は帰り、昼間のにぎやかさが嘘のように園内は静かだった。
宏太が事務室で夏祭りの会場図を修正していると、廊下の向こうから音楽が聞こえてきた。
同じ部分が、何度も繰り返されている。
気になって年長組の教室をのぞくと、一人の女の子が踊っていた。
サナだった。
音楽に合わせて右へ二歩。
両手を上げて、一回転する。
次の動きに入るところで足が止まり、サナは音楽を最初まで戻した。
また右へ二歩。
両手を上げて、一回転。
今度は最後まで踊れたが、納得できなかったらしい。首を横に振り、もう一度音楽を戻す。
宏太が足を止めてその様子を見ていると、後ろから保育士が声をかけてきた。
「あの子、ダンスのリーダーになったんですよ」
「リーダー?」
「一番前で、みんなのお手本になる役です。夏祭りでいいところを見せるんだって、すごく張り切ってて」
サナは、また最初から踊り始めた。
小さな体が音楽に合わせて動く。
誰も見ていない教室で、本番と同じように笑顔まで作っていた。
「あの子母子家庭で、お母さんも仕事が忙しくて。行事にも、なかなか参加できないんです」
「それで、いつも迎えが遅いんですか?」
「ええ。でも、今度の夏祭りには来てくれるみたいです。だから、リーダーになって、お母さんに見てもらうんだって」
宏太は教室の時計を見た。
午後六時二十八分。
サナは迎えが来るまでの時間を、一人で練習に使っている。
「こうた先生!」
見られていることに気づいたサナが、踊るのをやめた。
「今の、ちゃんとできてた?」
「ああ。できてたよ」
「どこがよかった?」
宏太は言葉に詰まった。
以前、折り紙の犬を見せられたときと同じだった。
「全体的に」と答えれば、きっと納得しない。
「最後に回るところ」
「そこ、一番むずかしいんだよ」
サナの顔が明るくなった。
「もう一回やるから、見てて」
音楽が、再び最初から流れ始めた。
宏太は事務室へ戻らず、教室の入口でサナのダンスを見ることにした。
サナのダンスを眺めていると、園長が事務室から出てきた。
「あら、今日も練習してるのね」
サナは踊るのをやめ、大きくうなずいた。
「おまつりまでに、ぜんぶできるようになるの」
「偉いわねえ」
園長は笑い、それから宏太へ顔を向けた。
「そうだ、湊川さん。職員の出し物もあるんですけど、一緒にどうですか?」
「出し物?」
「ダンスです」
まるで書類のコピーでも頼むような口調だった。
「一応、振りつけを教えてくれる先生もいますから。覚えて踊るだけですよ」
「いやいや、覚えて踊るのがダンスでしょう」
宏太はすぐに首を振った。
「四十過ぎた男が、子供たちの前で踊っても誰も喜びませんよ」
「そんなことないと思いますけど」
「見ている側で十分です。裏方なら、いくらでも手伝いますから」
屋台を組み立てる。机を運ぶ。音響機器を設定する。
そういう仕事なら分かる。
だが、大勢の保護者が見ている前で踊るなど、仕事の範囲を明らかに超えている。
「ぼくは事務員ですから」
宏太が逃げ道をふさぐように言うと、サナが近づいてきた。
「こうた先生、踊らないの?」
「先生じゃない。それと、踊らない」
「どうして?」
「踊れないからだ」
サナは少し考え、当たり前のように言った。
「じゃあ、いっしょに練習しようよ」
「いや、練習すれば踊れるという問題では――」
「サナが教えてあげる」
サナは宏太の手をつかんだ。
「いっしょに踊ったら、ぜったい楽しいよ」
宏太は返事に詰まった。
あれほど一人で練習していたサナが、目を輝かせて自分を誘っている。
ここで断れば、傷つくだろうか。
いや、子供は意外と気にしないかもしれない。
そもそも、自分が踊ったところで何が変わる。
頭の中で断る理由を並べていると、園長が笑顔でとどめを刺した。
「では、湊川さんも参加ということで」
「まだ返事してませんけど」
「やった!」
サナが飛び跳ねた。
その姿を見た瞬間、宏太の反論は行き場を失った。
どうやら異世界へ転生した主人公は、最初の任務として、大勢の園児と保護者の前で踊らなければならないらしい。
剣も魔法も役に立たない。
必要なのは、リズム感だった。




