園児攻略マニュアル
面接から三日後、保育園から採用の連絡が来た。
勤務開始は、翌週の月曜日。
電話を切った宏太は、久しぶりにエージを開いた。
「さてと、準備を始めるとしますか」
異世界小説を諦めて以来、エージを使う機会は減っていた。
だが、今度は小説を書かせるためではない。
保育園という未知の世界を生き抜くためだ。
宏太は入力欄に打ち込んだ。
> 保育園で事務職として働くことになりました。私は四十歳の独身男性で、子供と接した経験がほとんどありません。園児の生態と、状況別の対処法を教えてください。
エージはすぐに答えた。
> 「生態」というより、年齢ごとの発達特性や行動傾向として整理するとよいでしょう。園児への対応では、まず安全を確保し、気持ちを受け止め、短く分かりやすい言葉で伝えることが大切です。
「やっぱり、そういうところは細かいな」
宏太は続けて質問した。
> 子供が泣いた場合は?
> まず、けがや体調不良がないかを確認してください。そのうえで、無理に泣きやませようとせず、「悲しかったね」「嫌だったね」と気持ちを言葉にして受け止めます。
宏太は新しい文書を開いた。
ファイル名は「園児攻略マニュアル」とした。
> 状況一 園児が泣く
> ①けが、体調を確認
> ②泣いている理由を聞く
> ③気持ちを言葉にする
> ④必要に応じて保育士へ報告
次の状況へ進む。
> 子供同士がけんかをした場合は?
> まず安全を確保し、必要であれば二人を離します。一方だけを叱らず、それぞれの話を聞いてください。
宏太はマニュアルへ加えた。
> 状況二 園児同士の戦闘
> ①両者を引き離す
> ②双方から事情聴取
> ③原因を特定
> ④解決策を提示
ほかにも質問した。
子供が言うことを聞かない場合。
食事を拒否した場合。
突然走り出した場合。
親と離れたくないと泣いた場合。
何度も同じことを尋ねてくる場合。
エージは、そのたびに具体的な対応を返した。
宏太は回答を分類し、表にまとめていった。
発生しやすさ。
危険度。
初期対応。
保育士へ引き継ぐ基準。
医療機器の不具合を整理するときと、やっていることは変わらない。
想定される事態を洗い出し、それぞれに対応方法を決めておく。予測できないことが起きても、似た事例へ当てはめれば対処できるはずだ。
二時間後、「園児攻略マニュアル」は十ページを超えていた。
「これだけあれば大丈夫だろ」
> 子供への対応は、必ずしもマニュアルどおりには進みません。一人ひとりの性格や発達、当日の体調によって反応は異なります。判断に迷った場合は、保育士へ相談してください。
最後に、エージから注意書きが表示された。
「分かってるよ」
宏太はそう答え、文書を印刷した。
子供と接した経験はなくても、準備ならできる。
営業先で起こりそうな問題を事前に洗い出し、対応策を用意する。それは宏太が十八年間、繰り返してきたことだった。
保育園という異世界にも、必ず法則はある。
その法則さえ理解すれば、自分の能力は十分に通用する。
宏太は印刷されたマニュアルを鞄へ入れた。
「攻略準備は完了だ」
初出勤を翌日に控えた夜、宏太は自信を取り戻していた。




