名探偵に相棒がいる理由
宏太が次に開いたのは、警察小説だった。
物語は、捜査一課へ配属されたばかりの若い刑事の視点で進んでいた。
新人刑事は、分からないことがあるたびに先輩へ尋ねる。
「なぜ、被害者の靴を調べるんですか」
「遺体が見つかった場所で殺されたとは限らないからだ」
「別の場所から運ばれたということですか」
「靴底を見れば、どこを歩いたか分かるかもしれない」
二人は会話をしながら現場を歩き、関係者から話を聞いていく。
読者は新人刑事と一緒に、証拠の意味や捜査の進め方を知ることができた。
「この新人刑事、めちゃくちゃ聞いてくるな」
宏太はページをめくる手を止めた。
作者がナレーターのように説明すれば、その間、物語はその場から動かなくなる。
しかし、主人公の横に何も知らない人間を置けば、歩きながらでも説明できる。
会話の途中で犯人を見つければ、そのまま追跡場面へ移ることもできる。
「だから警察ものには、新人刑事がいるのか」
探偵の隣にいる相棒も同じだった。
何も分からない相棒が、読者の代わりに疑問を口にする。頭の切れる探偵は、その問いに答えながら推理を明かしていく。
相棒とは、主人公の隣を歩く登場人物であると同時に、物語の中へ入り込んだ読者なのだ。
宏太は、自分の原稿を開いた。
異世界へ転生したコータは、最初からずっと一人だった。
誰にも尋ねず、誰にも教えられず、それなのに異世界の仕組みをすべて知っている。
「そりゃ、おかしくなるよな」
宏太は登場人物の一覧に、新しい欄を作った。
主人公の相棒。
異世界で最初に出会う、同じ年頃の男。町の外へ出た経験がなく、王国で何が起きているのかも詳しくは知らない。
名前は、レオにした。
コータよりもこの世界には詳しいが、王の正体や前の世界のことは知らない。
二人を歩かせ、会話をさせる。
「さっきの魔物は何なんだ?」
「あれは三つ目狼だ。夜になると群れで町を襲う」
「この町には、あいつらと戦える人はいないのか?」
「いたよ。王の軍隊が来るまではな」
会話を続けるうちに、魔物の説明から、王が町の兵士を連れ去った話へつながった。
コータは、自分が王を倒さなければならない理由を知る。
「話が、動き始めた」
異世界へ転生してから、行き先を失っていた物語が、レオを相棒に加えただけで先へ進み始めた。
魔物の正体が分かり、町の事情が見え、コータが王を倒す理由まで生まれた。
宏太は「小説を書くためのルール」を開き、二つ目の教訓を加えた。
説明は、登場人物に尋ねさせる。
仕組みが分かれば、実際に使いたくなる。
それが理系の宏太だった。
移動には目的を持たせる。
主人公の横に相棒を置く。
景色は、読者の頭にも見えるように書く。
受賞作から見つけた方法を一つずつ使えば、今の原稿も小説らしくなるかもしれない。
だが、原稿を直そうとした宏太の指が止まった。
(そもそも、俺は、本当に異世界ものを書きたかったのか?)
異世界へ転生し、特別な能力を手に入れる。
聞こえはいいが、結局は、現実ではうだつの上がらない人間が、別の舞台へ移った途端、誰にも負けない存在になる話だ。
それは、異世界ものが生まれるより前からあった。
『クッキングパパ』では、会社員が料理の腕を振るう。
『美味しんぼ』では、普段はやる気のなさそうな新聞記者が、食の知識で誰にも負けない力を見せる。
『釣りバカ日誌』では、出世とは縁のない会社員が、釣りの世界では社長すら振り回す。
どの主人公にも、ほかの人間には負けないものが一つある。
料理。
食。
釣り。
舞台が異世界でなくても、その特技が必要とされる場所へ行けば、主人公は無双できる。
「俺が無双するとしたら、何がある?」
医療機器の知識。
営業の経験。
数字に強いこと。
どれも仕事では役に立った。
だが、それだけで十万文字の物語を引っ張れるとは思えない。
料理も、医療も、法律も、将棋も、音楽も、スポーツも、すでに誰かが物語にしている。
「違うな」
宏太は異世界小説を閉じ、新しい文書を開いた。
流行しているものではなく、自分にしか書けない物語を考えよう。
そう思った途端、何も浮かばなくなった。
白い画面で、カーソルだけが点滅している。
何を書きたいのか。
それだけは、エージにも答えられなかった。




