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第10話 リストレインへの道

リストレインは、トルガ領の南端にある。


デーン湾に面した、海へ開いた盆地だ。


背後をゆるやかな丘陵と山地に囲まれ、トルガ領を流れる大河、ラウゼ川がそこで海へ注いでいる。


水の多い土地だ。


川があり、河口があり、海がある。


そのため大地は比較的肥沃で、川魚、貝、沿岸の魚など、水産資源にも恵まれている。土地だけ見れば、もっと栄えていてもおかしくはない。


だが、現実のリストレインは、そこまで大きな街ではなかった。


中心に中規模の街がひとつあり、その周囲にいくつかの集落が点在している。賑わいがないわけではないが、商隊が列をなし、船がひっきりなしに出入りするような港町とは言いがたい。


理由は大きく二つある。


ひとつは、沿岸部の地形だ。


デーン湾に面してはいるものの、リストレイン周辺の海岸は、ラウゼ川が運ぶ土砂で浅瀬や砂州が多い。少し沖へ出れば急に深くなる場所もあるが、そこへ至るまでの潮の流れが読みづらく、干潮時には船底を擦る場所も少なくない。


地元の小舟ならともかく、大型船が安全に接岸できる場所は限られていた。


港として使うには、あまりにも癖が強かった。


もうひとつは、陸路の不便さである。


トルガ領の中心部や、隣接するエルネ領との間には、渓谷や山地が多い。道を通せないわけではないが、荷を大量に運ぶには向かない。人も馬も消耗し、雨が降れば足元は悪くなり、場所によっては盗賊より崖のほうが怖い。


豊かではある。


だが、使いにくい。


それが現在のリストレインだった。


開拓団は、およそ三十人ほどの集団に分けられ、馬車で順次リストレインへ送られた。


トルガ領の中心であり、トルガ家の屋敷があるハンクフェンから、リストレインまでは約三日。


馬車は現地に到着すると、人と荷を下ろして引き返す。ハンクフェンに戻れば、また次の人員と物資を積み、リストレインへ向かう。


それを何度か繰り返し、三月半ばには、二百人の開拓者全員が無事リストレインに到着した。


住居は、トー商会の手配であらかじめ簡易なテントが用意されている。


ただし、それはあくまで仮のものだ。


開拓者たちは到着次第、そのテントを拠点に、大規模な開拓キャンプの設営へ取りかかる手筈になっていた。


寝床を作り、炊事場を作り、荷置き場を作る。


井戸の位置を確認し、道をならし、獣除けの柵を立てる。


土地を耕す前に、人がそこで生きるための場所を作らなければならない。


【トー商会 リストレイン開拓部主任 ミリーニャ】


貴族のガキのせいで、私の生活はめちゃくちゃだ。


人生もかもしれない。


女の身ながら、トー商会でこつこつ実績を積み上げてきた。


帳簿を覚え、荷の痛みを見分け、商人の嘘を聞き分け、農村の親父たちに軽く見られても笑顔で値を詰めた。そうやって去年、ようやく青果部門の主担当に任命された。


涙が出るほど嬉しかった。


ここまでやった。


私はちゃんと、ここまで来たのだと思った。


運悪く飢饉にぶつかり、青果の取引量は減った。だが、その中でもできることはやったつもりだ。扱える品が少ないなら少ないなりに、質を見極め、仕入れ先を守り、商会に損を出さないよう走り回った。


そんな日々が変わったのは、一月のことだった。


トルガ家の三男が炊き出しをやるので、仕入れの責任者をやってくれと言われた。


野菜の大量仕入れが必要な案件だ。


青果部門の人間としては、筋の通った仕事だった。そこに不満はない。


ただ、問題は時間だ。


飢饉の最中に、まとまった量の野菜を集めろというだけでも難しい。しかも、炊き出しの実施まで余裕がない。質は妥協していいという話だが、完全に傷んだものを混ぜるわけにもいかない。値を吊り上げられれば予算が壊れる。足元を見てくる相手もいる。


何度も徹夜した。


眠気で帳簿の数字が虫に見えた日もあった。


忙しさのせいで、結婚を考えていた恋人のモブトとは、一月ほど会う時間を作れなかった。


そうしたら、別れを告げられた。


一晩泣いた。


泣いて、泣いて、泣きすぎて顔がひどいことになったので、翌朝は冷たい水で必死に整えた。商会に行くころには、どうにか人間の顔に戻っていたと思う。


そうして出勤すると、満面の笑みを浮かべたベルマン商会長に呼ばれた。


仕事ぶりを褒められた。


昇給した。


そして、リストレイン開拓事業の責任者に任命された。


「期待している」


そう言って、商会長は私の肩を叩いた。


拒否できるはずがない。


私は笑顔で快諾した。


見事な商会員だったと思う。


二週間後には、リストレインという商会支部も何もない地方の街に送られ、そこで最低二年は過ごすことになるらしい。


その日は淡々と業務を終わらせた。


家に帰った。


吐いた。


そして今、私は馬車に揺られている。


リストレインへ向かう馬車だ。


まるで根元が折れかけた稲穂のように、私の体は左右に揺れている。


車列の中でも、私の乗っている馬車はかなり上等なものだ。座席には布が張られ、荷馬車の板床に比べれば天国のような乗り心地である。


だが、気分は最悪だった。


私の気分に関係なく、馬車は進む。


ラウゼ川の流れに沿うように、車輪は泥を噛み、きしみながら南へ向かっていく。


貴族のガキ。


ベルク・トルガ。


あの子どもが炊き出しなどと言い出さなければ、私は今ごろ青果部門で、失恋の傷を癒やしながら、普通に忙しく働いていたはずだ。


少なくとも、商会支部もない土地に送られて、開拓部主任などという聞いたこともない肩書きを背負わされることはなかった。


私は膝の上の書類を見下ろした。


リストレイン開拓計画。


内容は見た。


突拍子なくも見え、堅実にも見える計画書だった。とても一月そこらで貴族のガキが作ったものとは思えない。


バックに優秀な人間がいるのだろう。


ともかくもう、リストレインに向かっているのだ。今さら婚期だとか、商会本部への未練だとか考えても仕方ない。


二年でこれをやり遂げて、とっとと戻ろう。


ミリーニャは何度も読んだ計画書のページを、また開いた。


【元人足 トロット】


トロットが、いつものように腹を空かせて炊き出しの列に並んだ時、開拓団募集のポスターが目に入った。


最初は、自分には関係ないと思った。


読み書きは多少できる。


だが、こういう募集は、結局まともな身元のある人間が選ばれるものだ。そう思っていた。


トロットは元人足である。


仕事はあった。


だが、飢饉が来てからは何もかも細った。


荷は減り、工事は止まり、雇い主は人を選ぶようになった。体の大きな者、若い者、腕の立つ者から順に仕事を取っていく。


トロットにも腕力はあった。


だが、腹が減れば力は出ない。


力が出なければ仕事を取れない。


仕事が取れなければ飯が食えない。


そうやって、少しずつ沈んでいった。


炊き出しがなければ、どこかで倒れていたかもしれない。


実際、何人かは倒れた。


知った顔もいた。


昨日まで列にいた男が、今日は来ない。理由は聞かない。聞いても仕方がないからだ。


そんな中で見た開拓団募集のポスターには、こう書かれていた。


リストレイン開拓団、参加者募集。


リストレインがどこにあるのかも、よく知らない。開拓と聞けば、きつい仕事なのは分かる。楽なはずがない。下手をすれば、今より悪くなる。


そう思い、その日は炊き出しを食べて配給所をそそくさと後にした。


だが、翌日も、そのポスターは目に入った。


その次の日も。


飯を受け取り、椀を抱えながら、トロットは毎回それを見た。


食い終わっても、しばらくその場を離れられなかった。


飢饉を何とか乗り切ったとしても、そのあと仕事が戻るとは限らない。


人が戻れば、仕事の取り合いになる。


体力のある者から雇われる。


少し弱った者は、そのまま弾かれる。


自分は、そちら側に落ちかけている。


それが分かっていた。


だからトロットはトー商会に開設された申し込み所の列に並んだ。


名前を聞かれた。


年を聞かれた。


できる仕事を聞かれた。


土木、荷運び、簡単な木工、穴掘り、柵立て。


そう答えると、商会の者は帳面に何かを書き込んだ。


「体は動く?」


「飯を食えれば」


そう言うと、相手は少しだけ笑った。


数日後、トロットは開拓団の一員として馬車に乗っていた。


荷台には、同じような顔の連中がいた。


飢えた顔。


疲れた顔。


それでも、炊き出しの列に並んでいた時とは少し違う顔だ。


先があるかもしれない。


その頼りない思いだけで、人間の目は少し変わる。


「リストレインってのは、どんなとこなんだろうな」


誰かが言った。


「知らねえ。魚が獲れるらしい」


「畑もできるって話だ」


「なら、まあ、悪くねえな」


悪くない。


その言葉を、トロットは胸の中で繰り返した。


悪くない場所ならいい。


せめて、働けば飯が食える場所ならいい。


できれば、雨をしのげる寝床があればいい。


希望、絶望、食糧、工具。


それから、命をつなぐためのわずかな期待。


多くのものを載せて、馬車はリストレインへ進んでいく。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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引き続き、ベルクたちの物語をよろしくお願いします。

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