第9話 飢饉グルメ爆誕の炊き出し[挿絵有]
今は、記念すべき炊き出し初日の朝だ。
料理長フリッツと俺が、三十回以上の試作の末にたどり着いた粥。
それはもう、腹だけを満たす間に合わせの炊き出しではない。
一品の料理と言っていい水準に達していた。
小麦以外の生食材は、日によって使えるものが違う。
今日手に入る野菜、今日使える肉、今日買える脂。
それらを前提に、毎回味が破綻しない料理へ持っていくのは、思った以上に難しかった。
だが、やり遂げた。
まず、獣肉の脂身を刻んで炒める。
たっぷりと油を煮出し、脂身がカリカリになったら鍋から上げる。
次に、刻んだネギ系の野菜を入れて揚げる。
ネギなら何でもいい。
その日手に入るものを使えばいい。
揚がったら、ネギも油から上げる。
別の鍋では、野菜を水で煮込む。
ひたすら煮込む。
形が崩れ、味が水に移り、ただの湯ではなくなったところで、小麦粉を入れてとろみをつける。
そこに、ネギの風味を移した油を投入する。
最後に塩と山胡椒で味と香りを整える。
獣肉の脂身と揚げネギは刻んで混ぜておき、器に盛って渡す直前に振りかける。
これで、ただの粥ではなくなる。
脂質でカロリーを確保しつつ、糖質はそこそこに抑える。
長く飢えていた人間に、いきなり大量の炭水化物を食わせるのは危険だ。
リフィーディングというやつである。
長期間の飢餓状態から急に大量の糖質を摂ると、体調が急激に悪くなるらしい。
そして、わりと死ぬ。
この世界では当然そんな名前はついていないが、危険なことに変わりはない。
獣肉や野菜は、普通に買い付けた。
トー商会を通して値下げ交渉をした結果、二級品を大量に安く仕入れられたのは大きい。
安いといっても、飢饉価格だ。
平時の通常価格よりは、だいぶ高い。
それでも、手に入るだけましだった。
一口にトルガ領といっても、広い。
炊き出しは調理拠点が六つ、配給拠点は七十にもなる大事業になった。
混乱や暴動を避けるため、配給は事前申請制にした。
多少の誤差は出る。
それでも、決められた時間に、決められた人間が、決められた場所で受け取れる。
そういう形にした。
炊き出しは、早いところでは朝十時に始まる。
遅いところでも十三時には始まる予定だ。
調理拠点でできたものから順に馬車へ載せ、各配給拠点へ運んでいく。
予定通りに進めば、だが。
炊き出し当日。
俺は屋敷ではなく、トー商会の一室に控えていた。
今回、調理場所や人員の準備をトー商会に依頼した関係で、一室を作戦室のような形で使わせてもらっているのだ。
壁には簡単な地図が貼られている。
調理拠点と配給拠点に印がつけられ、横には人員と馬車の割り振りが書き込まれていた。
机の上には木札が並び、各拠点の進捗を動かして把握できるようにしてある。
俺の今日の仕事は、ここで待機すること。
炊き出しで問題が起こった時に対応し、夕刻ごろに届く予定の報告を聞くことだ。
要するに、責任者ポジションだ。
「ベルクはん、ほんますごいなぁ」
隣で、クララが感心したように言った。
水色の髪をきちんと整え、仕立ての良い赤い服を着ている。
クララは赤い服を好んで着るが、二日続けて同じ服を着ていることはない。
それに、最近気づいたことだが、うっすらと化粧をしていたりもする。
まさか、俺に会うために、というわけではないだろう。
貴族の三男、しかも妾腹。
領地の商会の令嬢。
お似合いといえばお似合いなのかもしれない。
……いや、俺はまだ七歳だ。
そういう話ではない。
クララの化粧も、商会令嬢としての身だしなみとか、そういうものだろう。
この一か月、俺はトー商会で過ごすことが多かった。
自然と、クララと話す時間も増えている。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、炊き出しぐらい、他の領地でもやってるだろ」
「いやいや。領地全部賄うような食料供給の仕組みがすごい言うてんねん」
クララは、机の上に置かれた木札を指でつついた。
「配給とか炊き出しなんて、普通は百人ぐらいの規模のをぽつぽつやるくらいのもんや。最初はうちらも、そういうぐらいで考えとったしな」
クララはこちらを値踏みするような、尊敬するような不思議な瞳で見つめてくる。
「失礼します」
クララに次の言葉を紡ごうとした時、ドナウさんが部屋に入ってきた。
ドナウさんはトー商会の従業員で、今回の配給事業で俺と現場の連絡役をしてくれている人だ。
「本日の中間報告がまとまりましたので、報告にあがりました」
「頼む」
ドナウさんは、手元の板に目を落とした。
「概ね順調です。ただ、住民がより多くの食料を求めて、配給拠点の担当者に詰め寄る事例が複数出ています」
「対応は」
「事前の計画通りです。暴力行為があった場合、その場所での配給は当面停止される。その説明で、今のところ収まっています」
正直、ある程度は避けられないと思っていた。
だから、住民が圧迫的な態度に出た場合の対応は、あらかじめ決めていた。
その場所での配給の停止。
これであれば、それを引き起こした人間が地域の戦犯になる。
何より、何もしなければ手に入る明日の食事を逃すことになる。
強力な抑止だ。
「炊き出しに余剰が出ている配給拠点は」
「皆無です」
ドナウさんは即答した。
まあ、そうだろう。
余るなら、最初から飢饉など起きていない。
「また、これは余談になりますが」
「余談?」
「ベルク様考案のスープに関してです。現場では、ベルクトプフという愛称で呼ばれており、非常に好評です」
「ベルクトプフ?」
思わず復唱してしまった。
「今回、炊き出しの対象となっていない層からも、金を払うから食べさせてほしいという声が上がっているほどです」
料理が褒められるのは素直に嬉しい。
だが、ベルクトプフ。
トプフは鍋であり、物を煮込む料理でもある。
そこに俺の名をつけた感じか。
自分の名前がつけられるとは、まったく想定していなかった。
なんだか背中の辺りがざわざわするような、不思議な感覚がある。
まあ、一時のことだ。
配給が終われば、みんな忘れるだろう。
___第二十七配給拠点___
トロットは、市場で荷運びの仕事をしている人足だった。
飢饉で市場に並ぶ商品、主に食料品が激減したことにより、市場の賑わいはなくなり、仕事もなくなった。
わずかな蓄えと、山で山菜を採ることで、なんとか今日まで生き延びてきた。
領主には、普段税を取っておいて、飢饉の時に炊き出しもしてくれないのかと思っていた。
だが、ようやく重い腰を上げたのか、炊き出しをするという話を聞いた。
トロットはすぐに、配給順の札を配るという列に並んだ。
飯も食えないのに並ぶのは癪だった。
それでも、並ばなければ飢えて死ぬかもしれない。
選択肢はない。
たまたま列で隣に並んだ男と話して、この配給は、お貴族様の息子である七歳のガキが中心となってやっているという話を聞いた。
お笑い種だ。
ただ箔付けとして座っているだけなのだろう。
俺たちが生きる死ぬという状況の中、息子に箔をつけてやるための施しで炊き出しとは、傑作だ。
まったく笑えない。
だが、どんな飯でも飯は飯だ。
クソッタレなお情けだとしても、ないよりはまし。
期待していたのは、クズ野菜のスープだった。
一番良くてそれだ。
ほとんど具材の入っていないスープですら、ほんの一瞬空腹を忘れさせてくれるなら、ありがたい恵みだと思っていた。
炊き出し当日。
腹を鳴らしながら見たのは、たっぷりの具材が入り、てかてかと油の浮いたスープだった。
それは今のトロットには、黄金より価値のあるものに思えた。
自分の番を待つ間、極度の空腹も相まって涎が止まらなかった。
しかも、スープを配る直前に、茶色い具材を足してくれるようだ。
すでにスープを受け取って食べている人を見る。
肩を震わせ、啜り泣きながら食べている者。
無言で、口にかき込む者。
いろんな奴がいる。
だが、もう分かる。
あのスープは、とんでもなくうまい。
その時にはもう、貴族への反感だとか、そういうものは完全に吹き飛んでいた。
ただ、あのスープを食いたい。
それが、頭にあるすべてだった。
自分の番になり、スープを渡される。
上にかけられているのは揚げ物か。
ここの簡易的な器具で再加熱されたのだろう。
湯気を立てながら、香ばしい匂いを発している。
受け取った瞬間に口に入れたいのをなんとか堪え、配給の列の邪魔にならない場所まで移動する。
近くの地面に腰を下ろした。
匙で、スープをかき込む。
「……え」
スープというより、シチューに近い。
しっかりとしたとろみがあり、口の中に野菜と塩の素朴なうまさが広がった。
そこへ、脂の濃厚さが重なる。
空腹でぼろぼろになっていた体に、まるで生きろと言われているように染み渡った。
噛むと、カリッという音がした。
揚げられた脂身とネギの香ばしさが、口の中で弾ける。
この料理は、間違いなく俺が生まれてから口にしたものの中で、一番うまい。
その一番うまいものを、人生で一番腹が減っている時に口にした。
これ以上のことはなかった。
「うめぇ、うめぇよ。これが明日も食えるなんて、信じられねぇ」
「生き延びた……生き延びたぁ……」
トロットは、肩を震わせて泣いた。
大人の男が飯を食いながら泣く姿を、笑う者はその場に誰一人としていなかった。
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