第8話 猫を拾った日(ヒロイン登場回)[挿絵有]
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ついに、ヒロイン ミュレの登場回です。 プロローグ&1話で彼女のファンになった方は楽しみにしていただいていた回かと思います。
七歳の息子に、仕事を丸投げした。
権限も予算も渡した。文字通りの丸投げだ。
歳を取ると、人間は経験で生き始める。
やったことがある。前にも似たことがあった。あの時はこうだった。
そういう記憶が、判断の代わりに口を開き始める。
だからこそ、自分よりやれそうな若い者がいるなら任せてやるべきだ。
少なくとも、レオンハルトはそう思っていた。
それは理屈というより、半ば意地だった。
かつて自分が侮蔑していた老人たちと同じものにはならない。そういう意地だ。
机の上には、まだ地図が残っている。
町の倉庫。炊き出しの場所。開墾予定地。人の流れ。
自分にとって飢えは、書類上の情報でしかない、生まれてこの方飢えたことなどないし飢饉の今にあっても飢える心配などないのだから。
だが、領主である以上は民が飢えているならなんとかする責任はある。
正しい判断だったかどうかは、まだ分からない。
七歳の息子に領の飢えを預けた自分を、父として許せるかどうかも分からない。
だが、任せると決めた。
ならば、後は任せるだけだ。
───────────
父レオンハルトから、飢饉対策の実務を丸ごと任された。
父がもともと練っていた配給計画も、そのまま引き継がれることになった。
配給の開始は一月後半をめどにしている。
今は十二月十日なので、一ヶ月と少しで準備を整える必要がある。
都市単位の行政施策だ。
冷静に考えれば、かなりの無茶振りである。
ただ、配給用の調理施設の手配などは、すでに父の計画で進んでいた。実際の稼働時期や、人員の調整を詰めればいい。
空いているトー商会の倉庫に、大型の調理器具を持ち込んで使う予定だ。
かなり大きな倉庫なので、配給量が増えてもある程度は対応できる。
調理器具は、飢饉ということもあり、中古をかなり安く買えたらしい。
先日倉庫の視察に行った時、なぜかそこにいたクララが教えてくれた。
まず決めるべきは、炊き出しで出す粥の中身だった。
前世では、わりと料理が好きな方だったので、試作はトルガ家の料理長フリッツに協力してもらって進めている。
料理長とはいっても、屋敷で料理を担当しているのはフリッツ一人だけだ。
最初、フリッツは七歳の子供が厨房に入ることを少し嫌がっていた。
だが、こちらがそれなりに料理を分かっていると知ると、急に友好的になった。
料理仲間ができて嬉しいのかもしれない。
そういえば、屋敷で一人だけだもんな。料理する人。
粥といっても、実際にはかなり薄いポタージュに近い。
干したトル茸で旨みを出し、その日使える野菜を刻んで入れる。
ローブ猪の油で少しでもカロリーを足し、小麦粉でとろみをつける。
最後に塩とミーチョ、魚醤のような調味料で味を整える。
普段屋敷で食べているものとは比べものにならないが、思ったより食える味にはなった。
十分だとは思う。
ただ、色々足りない中でも、もう一声欲しい。
「フリッツ、何が足りないと思う?」
「香りでしょうか。香辛料のようなものがあれば、ぐっと良くなりはしますね。しかし……」
香辛料は高価とまではいかない。
だが、今の状況なら、同じ金額で野菜を増やした方がいい。
「あ、山胡椒はいかがでしょう? 今の時期なら山にたくさんあるはずです。天候の影響もほとんど受けませんので」
「山胡椒? 屋敷にあるか?」
「はい、あります」
フリッツは戸棚から、赤い実が詰まった瓶を取り出した。
瓶を開けると、酢の匂いがただよう。
酢漬けのようだ。
フリッツは実をいくつか取って、すり鉢で潰し、皿に入れた。
「どうぞ」
パクリ。
口に入れると、ほのかな酢の風味と、ピリリとした刺激が広がった。
青々とした爽やかな香りが、粥の重さを持ち上げる。
味が格段に上がった。
「いいぞ。フリッツも食べてみろ」
フリッツも粥を口に入れた。
料理人が、自分の感覚が当たったことを喜ぶような、ニヤリとした笑みを浮かべる。
その後、何度か炊いて試した。
塩加減、水の量、火にかける時間。
フリッツも積極的に手伝ってくれた。
限られた制約の中で味を詰めるのが、どうやら楽しいらしい。
少量だが、果糖もあったので、瓶一本分の果糖水を作ってみた。
某格闘漫画の影響で興味があったのだ。
うまい。
最近あちこち奔走していた体に沁みる味だった。
ただ、コスト的に配給には使えない。
試作で終わりである。
試作品は瓶と蓋つきの小鍋に分け、置いておいた。
午後、俺は馬車に乗っていた。
ガルムが手配した護衛が四人、馬車の前後につく。
新設した救護院へ向かっているのだ。
用意された六千グリンドの資金の大半は、開墾政策と配給の実行に使う予定だ。
そのうち千グリンドだけを、浮浪児のための施設に充てた。
三年分の運営予算、建物の準備、従業員の雇用。
それらを考えると、受け入れられる子供は三十人ほどが限界だった。
全員を助けるには足りない。
足りないどころか、ごく一部を選んで助けることしかできない。
救護院に入れる子供は、救護院の従業員が選別して連れてくる。
浮浪者の子供であること。
目が死んでいないこと。
病が重すぎないこと。
まだ手遅れではなさそうなこと。
そういう基準を満たした子供だけを拾う。
救う施設、というよりは、救える子供を選ぶ施設だった。
救護院は町の外れに造られている。
存在を公表する予定もない。
存在が知られれば、子供を捨てていく親が出るからだ。
馬車の中には、果糖水の瓶が一本。
粥を入れた小鍋が四つ。
試作した食べ物は、救護院へ持っていって食べてもらっている。
量は多くない。
それでも、足しにはなる。
窓の外には、冬枯れの街が流れていく。
壁に背をつけて動かない男。
膝を抱えた子ども。
目だけがこちらを追う老婆。
馬車の車輪が石畳を叩く音が、妙に大きく響いた。
その時だった。
_____がつん。
鈍い音がして、馬車が揺れた。
何かが馬車に投げつけられたらしい。
_____がつん。
今度は窓の側だった。
細いひびが、硝子に走る。
護衛が声を上げる前に、俺は窓から外を見た。
薄汚れた路地の入り口に、一人。
小さい。
子どもだ。
痩せ細った腕で、もう一つ石を握っている。
銀色の、汚れた髪。
目だけが、異様に光っていた。
怒りだ。
助けてくれ、ではない。
こっちを見ろ、でもない。
あの目は、もっと単純な感情だった。
お前が憎い。
お前の乗っている、その箱が憎い。
お前たちが腹一杯食っているのが憎い。
こんなところで死ぬ自分が憎い。
護衛が泡を食ったように、馬を少女と馬車の間へ割り込ませた。
「待て」
俺は御者に止まるよう指示し馬車の扉を開けた。
「坊ちゃん、何を」
「いい。降りる」
地面に足をつけると、石畳の冷たさが靴底越しに伝わってきた。
少女との距離は十五歩ほど。
下馬しようとした護衛の手が、剣にかかっているのが見えた。
護衛からすれば、子供か大人かではない。
襲撃者かどうかだ。
俺が近づくと、少女の石を持つ手が震えた。
護衛はすぐ動けるよう、俺の少し前に控えている。
投げる力は、もう残っていないのだろう。
さっきの窓への一投が、たぶん最後の力だった。
少女はゆっくりと顔を上げ、俺を見上げた。
伸びてべたついた、だが元は綺麗だったのだろう銀髪。
その隙間から、翡翠のような緑の目が覗いている。
泣いていた。
歯を食いしばっていた。
どういう気持ちなのかは分からない。
ただ、何かを訴えかけるように、俺を強く見ていた。
二秒か、三秒か。
もう少しだったかもしれない。
少女は崩れ落ちるように倒れた。
「ぼっちゃま?」
俺は彼女を抱き上げた。
軽い。
軽すぎる。
子どもを抱えたというより、布と骨を持ち上げたようだった。
馬車の荷台へ運ぶ。
護衛に止められるかと思ったが、誰も何も言わなかった。
ただ黙って俺の後ろに続き、俺たちが馬車に乗り込むのを見守った。
少女を乗せると、執事のシュタークはぎょっとした顔をした。
そして、護衛の兵士を咎めるように見る。
「ぼっちゃま、お優しいのは存じておりますが、このような……ごほっ、ごほっ」
シュタークは途中で咳き込んだ。
無理もない。
少女からは、長く路地に置き去りにされた人間の匂いがした。
とりあえず、風呂が必要そうだ。
護衛の一人を先行させ、救護院に湯を用意しておくよう伝えに行かせた。
少女のお腹から、ぐう、と音が鳴った。
空腹であること。
そして、消化器官がまだ動いていること。
生きるために、体が栄養を求めていること。
それだけは分かった。
少女を保護してから二十分ほど経った。
救護院まで、あと半刻というところで少女が目を覚ました。
薄く目を開け、体をよじりながらこちらを見上げている。
先ほどの、全てに怒っているような感じはない。
ただ、じっと俺を見ていた。
「いいか、ゆっくり吸うんだぞ」
目を覚ました時のために用意していた果糖水を布に含ませ、口元に当ててやる。
はじめ、少し吐き出すような仕草を見せた。
だが、口に当てられているものが甘いと分かったのか、すごい勢いで吸い始めた。
十分に果糖水を含ませたはずの布が、すぐに乾く。
「おいおい、待て。まだある。まだあるから、一度離せ」
果糖水を補充するため、布を離そうとする。
だが、口から離れない。
なかなか離してくれないので、少し力を入れて引き抜いた。
元々体力がないせいか、布はすぐに抜けた。
その瞬間だった。
がりっ。
「いった。嘘だろ」
気づくと、少女が俺の手に噛みついていた。
「貴様! ぼっちゃまに何を!」
シュタークが青筋を立て、少女の口に手を伸ばす。
「生存本能だ。許してやれ」
シュタークを制し、噛まれていない方の手で布を果糖水に浸す。
そして、もう一度口元に持っていく。
少女はあっさりと俺の手から口を離し、再び布を吸い始めた。
どこにそんな力が残っていたのか。
噛まれた痕は、結構くっきり残っていた。
けれど、少しだけ安心した。
まだ噛む力がある。
まだ生きようとしている。
シュタークが涙目になりながら、消毒用のアルコールを傷口にかけてくれた。
かなり痛い。
結局、瓶の中身はかなり減った。
果糖水を飲むだけ飲むと、少女は再び意識を失い、寝息を立て始めた。
救護院では、院長のグレーテが出迎えてくれた。
俺が少女を抱えて馬車から降りると、彼女は一瞬だけ驚いた顔をした。
だが、すぐに目を細めた。
「お湯は用意できています。皆様は少しお待ちください」
そう言って、グレーテは少女を受け取り、救護院の湯場へ向かった。
三十分ほど待っていると、グレーテが真新しい麻服に身を包んだ少女を抱えて戻ってきた。
少女は、変わらず寝息を立てていた。
「目を覚ましはしたのですが、湯浴みが終わるとすぐにまた寝てしまいました」
少女の姿は見違えていた。
汚れを落とすと、銀色の髪は思っていたよりずっと明るかった。
頬はこけ、目の周りも落ちくぼんでいる。
明らかに栄養が足りていない。
それなのに、汚れを落とした白い肌には、白磁を思わせる静かな美しさがあった。
眠っているだけなのに、どこか祈りの場に置かれた像のようにも見える。
一瞬、うちに連れて帰ろうかという考えが頭をよぎった。
だが、どう考えても問題しかない。
俺はその考えを打ち消し、救護院で保護する子供たちに加えてもらうよう、グレーテに伝えた。
その後、予定していた視察を終え、屋敷に戻った。
帰り際、まだ夢の中にいる銀髪の少女を一瞥する。
心なしか、顔色が少し良くなっているような気がした。
もし今日、救護院に向かう時間が少しずれていれば。
もしあの少女が、石を握らなければ。
もし握った石を、馬車に投げなければ。
彼女は、あの裏路地で倒れたままだったのだろうか。
あの石を投げなければ、彼女は死んでいた。
投げても、死んでいたかもしれない。
それでも投げた。
この世界は、前の世界とは違う。
ちょっとした選択一つで、生死が分かれる。
もしかしたら、いつか自分も彼女と同じように、極限状態に置かれることになるかもしれない。
もしそういう時が来たなら。
俺も最後まで足掻いてみよう。
石くらいは、投げてやろうと思った。
この辺までを、プロットでは物語の仕込み期間と位置付けているのでここから物語がガンガン進み始めます。 ご期待いただけるようならぜひ、ブクマと評価よろしくお願いいたします!!




