第6話 クララとの出会い、飢饉の影[挿絵有]
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建物に入ると、父上とトー商会長は奥の部屋へ通された。
俺もそのままついていくのかと思ったが、父上は一度こちらを見て、短く言った。
「ベルクは、少し待っていなさい」
「はい、父上」
大人の商談である。
普通七歳前の子どもが聞いて楽しい話ではない。
少なくとも、普通の七歳前ならそうだろう。
俺にとっては違う。
商会長と領主の話である。
流通、税、借入、在庫、価格、輸送、契約。
そのあたりの単語が、奥の部屋でひそかに行き交っているはずだった。
できれば扉の隙間からでも聞きたい。
だが、さすがにそれを口に出すほど、今の俺は無謀ではなかった。
父上とトー商会長が奥へ消えると、俺は別の部屋へ案内された。
応接室、というほど華美ではない。
壁には布が掛かっているが、王都の貴族屋敷にありそうな飾り布ではなく、商品見本も兼ねているように見えた。
隅には小さな秤。
机は磨かれているが、傷がある。
椅子も見た目より頑丈そうだった。
実用的な応接間、といった風である。
壊れにくく、片づけやすく、必要なら荷の確認や他の用途にも使える。
そういう部屋だった。
貴族の屋敷とは違う。
物が働いている感じがする。
俺が部屋を眺めていると、隣の扉が開いた。
「お待たせしましたー」
入ってきたのは、女の子だった。
俺より少し年上だろう。
九歳くらいか。
水色の髪を、邪魔にならないようにまとめている。
目は緑。
赤系の服を着ていた。
貴族令嬢のように飾り立てているわけではないが、使用人の服ほど地味でもない。
布の質はよく、仕立てもきちんとしている。
ただ、見せるための服というより、動き回ることを前提にした服に見えた。
袖口はすっきりしていて、裾も長すぎない。
「粗茶ですが、どうぞー」
少女はそう言って、俺の前にカップを置いた。
湯気が立っている。
紅茶に近い香りがした。
いや、紅茶そのものかもしれない。
この世界の茶の分類はまだ分からない。
とりあえず、良い匂いはする。
「ありがとうございます」
俺が礼を言うと、少女は少しだけ目を丸くした。
「へえ」
「何か」
「いえ。ちゃんと礼を言わはるんやなあと思いまして」
失礼である。
いや、たぶん正直なだけだ。
少女はそこで、あらためて姿勢を正した。
「申し遅れました。クララ・トーです。トー商会の娘です」
「ベルク・トルガです。今日はよろしくお願いします」
俺も、教わった通りに軽く頭を下げた。
深く下げすぎない。
貴族の子どもとして、商人の娘にへりくだりすぎるのは違うらしい。
面倒くさい。
角度で身分を表す文化、やめてほしい。
このあたりの言葉ではない。
「ええと、ベルク様。先に言わせてもらっときたいんですけど」
「はい」
「うち、生まれが西でして。ちょっとなまっとるんです」
「西ですか」
「はい。父についてこっち来たんですけど、まだ抜けへんのです。トルガ領には、うちらの商会もようしてもらってますし、ちゃんとうやまう気はあります。ありますけど、言葉まで急には直りません」
なるほど。
先に言ってくるあたり、慣れているのだろう。
貴族相手に訛りを指摘されたことがあるのかもしれない。
それか、指摘される前に潰す性格か。
「問題ありませんよ」
「ほんまですか」
「はい。話の中身が分かれば十分です」
クララは少し黙った。
それから、にこっと笑った。
「変わってはりますね」
「今日それを言われるのは、たぶん二回目です」
「二回で済んどるなら、まだ少ないです」
なかなか言う。
「ところで、トーというのは家名なのですか」
「うちら庶民に、そんな立派なもんはありません。トーは屋号です。商会の名前ですね」
「ああ、なるほど」
商人には屋号がある。
それは自然だった。
誰が売ったのか。
誰が借りたのか。
誰が払うのか。
誰が逃げたのか。
そこが分からない商売は信用されない。
貴族の姓が血筋の看板なら、商人の屋号は信用の看板だ。
クララ・トー。
トー商会のクララ。
そういう名乗りなのだろう。
「うち、お貴族様と何を話したらええか、あんまり分かりませんねん」
クララは椅子に座ると、机の端に置いてあった小さな帳面を自分の方へ寄せた。
自然な動きだった。
茶を飲みに来た子どもというより、仕事の途中で少し席を外した子どもに見える。
その帳面も、飾りではなさそうだった。
角は少し擦れていて、何度も開かれた跡がある。
「せやから、ベルク様の方で何か知りたいこととか、聞きたいことがあったら言うてください」
「たくさんあります」
クララの手が止まった。
「……たくさん」
「はい」
聞きたいことは山ほどあった。
物の相場はどれくらい動くのか。
鉄鉱石はどこから来るのか。
薬はどんなものが流通しているのか。
在庫はどの程度持つのか。
倉庫は乾燥しているのか。
荷が腐る割合はどれくらいか。
馬車一台で運べる量は。
川を使った輸送はあるのか。
そして、今日、父上は何の話をしに来たのか。
「ぜひ、いろいろ聞かせてください」
俺がそう言うと、クララは少しだけ身を引いた。
「待ってください。お貴族様の子って、普通もっとこう……お菓子とか、馬とか、剣とかの話するもんやないんですか」
「剣の話は兄としています」
「してるんや」
「馬はまだ詳しくありません」
「そこは別に今答えんでもええんですけど」
「お菓子は好きです」
「そこは普通ぽくて安心しました」
「では、まず市場について聞いてもいいですか」
「市場」
「はい。さきほど馬車から見ました。塩漬け肉、干魚、野菜、毛皮、木工品、鉱石、瓶詰めのものがありました。あれは、全部この町で消費されるのですか」
クララは、じっと俺を見た。
「……全部ではありません。ここで売れる分もありますけど、村へ持っていく分もあります。逆に、村から入ってくる分もあります」
「村からは、主に穀物ですか」
「穀物、豆、羊毛、皮、薪。あと季節によっては果物もあります」
「鉱石は」
「鉱石はうちの商会だけやなくて、別の商人も扱うてます。山側から来ますけど、量は多くありません」
「鉄ですか」
「鉄もあります。けど、使える形にするには手間がかかります」
「加工は町で?」
「一部は。全部は無理です」
「なるほど」
面白い。
地図の上に線が増えていく感じがする。
どこから物が来て、どこへ行くのか。
町はただ人が集まっている場所ではない。
物が通る場所だ。
金が通る場所だ。
情報も通る。
クララがどこまで分かっているのかは知らない。
ただ、少なくとも俺よりは、この町で物が動く様子を見ている。
「ベルク様」
「はい」
「何でそんなこと聞くんですか」
「気になるので」
「気になる、で鉱石の加工まで聞きます?」
「聞きませんか」
「聞きませんねえ」
クララはきっぱり言った。
「普通のお子様は、もっと分かりやすいものを見ます。きれいな布とか、甘いものとか、珍しい細工物とか」
「それも気になります」
「順番がおかしいんです」
言われてしまった。
「では、甘いものはありますか」
「ありますよ。蜂蜜を使った焼き菓子があります」
「それは気になります」
「急に年相応にならはった」
「甘いものは重要です」
「それは分かります」
クララは少し笑った。
笑うと、年相応に見える。
だが、すぐに帳面へ視線を戻す。
その切り替えが早い。
「蜂蜜は高いのですか」
「高いです」
「砂糖は」
「もっと高いです」
砂糖は高級品。
それはまあ、予想通りだった。
砂糖の量産には気候と労働力と流通がいる。
この世界でどの程度までサトウキビや甜菜があるのかは知らないが、少なくともトルガ領の食卓で砂糖が雑に使われている感じはない。
甘味は貴重。
「薬はどうですか」
「薬?」
クララが少し眉を上げた。
「薬草とか、軟膏とか、熱を下げるものとか」
「薬草はあります。乾かしたものもありますし、薬師が調合したものもあります。でも、高いです」
「どのくらい」
「ものによります」
「一番よく出るものは」
「腹痛と熱ですね」
なるほど。
衛生が悪い世界で腹痛と熱。
順当すぎて嫌になる。
「安くはならないのですか」
「なりません」
「なぜ」
「取れる場所が限られます。乾かすのに失敗したら駄目です。薬師が混ぜるともっと高いです。あと、効く薬はみんな欲しがります」
「それなら、安くするのは難しいですね」
「たぶん、そうです」
クララは俺を見た。
「ベルク様、ほんまに六歳ですか」
「来月で七歳です」
「そういう意味やなくて」
「年齢詐称はしていません」
「してたら怖いです」
しているわけではない。
ただ、中身の年齢を足すと、色々ややこしいだけである。
「クララは、普段からこういうことを?」
「こういうこと?」
「帳簿や荷のことです」
「手伝いです。ちゃんとした帳簿は父や番頭が見ます。うちは写したり、荷の数を確認したり、間違いを探したりするくらいです」
「九歳で?」
「九歳でも目はありますし、数字も読めます」
目はある。
数字も読める。
なら働ける。
商会の子どもとしては自然なのだろう。
「遊ばないのですか」
「遊びますよ」
「何を」
「銅貨を数える速さを競ったり」
「それは遊びですか」
「遊びです」
クララは真顔で言った。
商会の娘、強い。
「あと、帳面の数字を見て間違いを探したり」
「それも遊びですか」
「遊びです」
「なるほど」
遊びの定義が経済に寄りすぎている。
だが、嫌いではない。
「ベルク様こそ、何して遊ばはるんですか」
「剣の稽古です」
「それは遊びですか」
「稽古です」
「では遊びは」
「本を読むことです」
「それは遊びですか」
「遊びです」
「お互い様ですね」
たしかに。
クララは茶を一口飲んだ。
俺も飲んだ。
少し渋い。
だが、香りはいい。
しばらく黙っていた。
会話が途切れたわけではなく、ちょうど一区切りついた、という感じだった。
クララが帳面に視線を落としながら、ぽつりと言った。
「そういえば、今日ベルク様のお父上はうちの父と何の話をしに来はったんですか。ご存じですか」
俺は正直に答えた。
「聞いていません」
「うちもです」
クララは少し考えるような顔をした。
それから、帳面を軽く指で叩いた。
「……予想でよかったら、言えますけど」
「ぜひ」
「小麦やと思います。穀物の買い付けの話」
「穀物」
「今年は天気があまり良うなくて、不作になるかもしれん。まだ分かりませんけど、最近うちらの商会は小麦の買い付けを増やしていますので」
「ただ、いくら不作かもしれんかて、買えばええいうものでもありません。外れたら大損です。値が上がれば儲かりますけど、その逆かてあります。特に今はもう値が上がり始めてますので」
「つまり、どれくらい買うかの相談ですか」
「たぶん。領主様が来られるくらいやから、それだけではないかもしれませんけど」
あくまで予想。
クララはそういう言い方をした。
九歳の子どもが、奥の商談を知っているわけではない。
ただ、商会の中で最近増えている動きから、見当をつけているのだろう。
「さっき、馬車からこのあたりに来るまで、道の端に子どもがいました」
俺は言った。
「行く場所がない、と父上は言っていました」
「ない子は、ないです」
短い返事だった。
それ以上のことを、クララが知っているわけではないのだろう。
「商会の前にも来るのですか」
「来ます。けど、長くはおらせません」
「なぜですか」
「荷があります。客も来ます。銭を持った人も出入りします。そこで知らない子がうろうろしていたら、困ります。盗みをやらんとも限りませんし」
クララの言い方は冷たくはなかった。
ただ、店の側の言葉だった。
「追い払うのですか」
「番人が声をかけます。言うことを聞かへんかったら、もっと強く言います」
「それでも残ったら」
「おらんなってもらうしかありませんなぁ」
口で言って聞かない相手に対する選択肢は、いつの時代も一つだ。
「……そうですか」
「うちらは商会ですから」
クララはそう言った。
「なんでそないなこと気にするんです?」
「私は三男なので家を継ぐことはありません。ですが、領地を任される家の一員としては責任がありますから」
言ってから、少し大げさだったかもしれないと思った。
六歳児の台詞ではない。
だが、今さら取り消すのも変だった。
クララは小さく笑った。
「変わったお人やなぁ。けど、ああいう子らがおるんは、どこ行っても同じですさかい、そんなに気に留めんでもええと思いますよ」
「ありがとうございます」
しばらくして、応接室の扉が開いた。
父上とトー商会長が入ってきた。
父上はいつも通りだった。
トー商会長は、笑顔だった。
ただ、来た時より少しだけ額に汗がある。
「ベルク」
「はい、父上」
「退屈しなかったか」
「はい。クララにいろいろ教えてもらいました」
父上の視線が、ほんの少しクララへ向いた。
「そうか」
トー商会長も、クララを見た。
クララはきちんと頭を下げた。
「失礼のないようにはしたつもりです」
「それは助かった」
父上は短く言った。
本当に短い。
だが、クララはそれで十分だったらしく、表情を少し明るくした。
帰り際、トー商会長は深く頭を下げた。
クララもその隣で頭を下げる。
俺は馬車に乗り込む前に、もう一度だけクララを見た。
クララもこちらを見ていた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。退屈せえへんかったです」
「また話を聞かせてください」
「今度は質問を半分にしてください」
「努力します」
「それ、する気ない人の言い方ですなぁ」
鋭い。
俺は軽く頭を下げて、馬車に乗った。
扉が閉まる。
馬車が動き出す。
窓の外で、クララが小さく手を振っていた。
俺も少しだけ手を上げた。
夕暮れ時、赤く染まった空の下、行きと同じ道を戻る。
市場は片付けが始まっていた。
匂いは変わらなかった。
道の端にさっきいた子どもたちは、もう同じ場所にはいなかった。
◇
その日の夜。
トー商会の奥の部屋で、クララは父に呼ばれた。
「クララ」
「はい」
「ベルク様はどうだった」
父は帳簿を閉じながら聞いた。
その声は軽かったが、目は少しも軽くなかった。
商人の目だった。
クララは少し考えた。
「どうもなんも、むっちゃ質問されて、びっくりしたわ」
「何を聞かれた」
「市場の品とか、穀物とか、鉱石とか、薬とか、運び手とか、信用とか」
父の眉が少し上がった。
「遠くから来た商人でも、そこまで一度には聞かんぞ」
「せやね」
「貴族の子としては、どう見た」
クララは椅子に腰かけ、足を少し揺らした。
行儀は悪い。
だが、父の前なので許されている。
「だいぶ変わったお方やね。だいぶ前におうたアルノルト様とは全然ちごうて、びっくりしたわ」
「忘れるな。トルガ家のご嫡男だ」
「覚えとく」
アルノルト様の方に比べると、ベルク様との時間はなんや楽やったなぁ。
クララはそう思ったが、口には出さなかった。
「アルノルト様は、いかにもお貴族様でした。座って、お茶飲んで、ほとんどしゃべらへん。こっちが何か聞いても、まあ、はい、とか、そうですか、とか」
「でも、ベルク様は違うわ」
「どう違う」
「商人が割と向いてそうなお人やった」
父は少し笑った。
「貴族の子にそれは褒め言葉か」
「うちらには褒め言葉やろ。あと、話しとって退屈せえへん人やね」
父は黙ってクララを見た。
そして、ゆっくり頷いた。
「高評価だな」
「せやね」
ベルク・トルガ。
貴族の子。
妾腹の三男。
父が言うには、立場は強くないらしい。
けど、と思う。
あの調子で育ったなら、将来どうなるか分からない。
少なくとも、自分が商会を継いだ時に、ベルク様がトルガ家の当主であれば、やりやすそうだとは思った。




