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死ぬたびに弱くなる勇者は、勝つために考える  作者: Futahiro Tada
第4章:契約の鎖は笑顔で締まる

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2:第七迷宮の村、消える名前

2:第七迷宮の村、消える名前


 王都を出る門で、兵士が俺たちを見送った。

 見送る、という形。

 実態は監視だ。

 門の上の見張り台には、結晶の小塔が据え付けられている。書庫の端末を思い出す。光は弱いが、確かにこちらへ向けられていた。見張るのは人間だけじゃない。国の仕組みそのものだ。

 セラが小声で笑う。

「ほら、鎖が付いてきてる」

 リュカが短く言う。

「切ればいい」

 フィーネが首を振る。

「切ったら、今度は別の鎖が来ます。……見えない鎖が」

 ミリアが記録紙を抱えたまま、門の結晶塔を見上げた。

「記録します。出発時刻、天候、監視の有無……全部」

 俺は頷いた。

「記録は鎧だ。国が一方的に書く物語を、こっちが壊せる」

 俺たちは馬車を借りた。特務契約の印がある。金の支払いも、手続きも早い。便利だ。便利なのが怖い。便利は、人を考えなくさせる。

 街道を進むにつれ、王都の石畳は土へ変わり、土は草へ変わる。空気が軽くなるはずなのに、俺の胸は重いままだった。頭の片隅で、ずっと契約がきしんでいる。

 ――口外しない。

 ――真実を封じる。

 ――自由は条件付き。

 フィーネが隣で小さく息を吐いた。

「勇者様」

「どうした」

「……王都の外に出たのに、まだ息が詰まります」

 俺は答えた。

「檻は場所じゃない。言葉だ。契約の言葉は、ここまで付いてくる」

 リュカが馬車の揺れに合わせて、剣の柄を指で叩いた。

「なら、言葉を壊す」

 セラが笑う。「壊すには、まず形を見ないとね」

 ミリアが頷いた。「見えたものだけ、記録できます」

 半日ほど走って、村が見えてきた。

 小さな村。畑が広がり、川が流れ、木造の家が点々と並ぶ。煙突から煙が上がる家もある。普通だ。普通のはずだ。

 でも、村の入口に立っている柵に、紙が貼られていた。

 紙には太い字でこう書かれている。


《名を呼ぶな》


 俺の背中が冷えた。

 フィーネが小さく呟く。

「……名を呼ぶな?」

 セラが紙を覗き込み、眉を上げた。

「呪いの定番だね。名前を呼ぶと連れていかれるとか」

 リュカが辺りを見回す。

「誰もいない」

 確かに村は静かすぎた。畑に人がいない。犬の鳴き声もない。風が木を揺らす音だけがする。

 俺たちは馬車を降り、ゆっくり村へ入った。足音がやけに大きい。地面が乾いているせいじゃない。静けさが、音を増幅している。

 村の中央に、小さな広場がある。井戸と掲示板。

 掲示板にも紙が貼られていた。


《名前を言うと、消える》

《呼ばない。書かない。思い出さない》


 ――思い出さない。

 それは命令だ。

 書庫で見た命令文に似ている。

 だが紙質は王都の羊皮紙ではない。村の安い紙だ。字も荒い。恐怖で書いた字。

 ミリアが震えながら炭筆を取り出し、記録紙に状況を書き始めた。

「村の入口の警告、掲示板の警告……名前に関する禁止……」

 フィーネがミリアの肩にそっと手を置いた。

「大丈夫。記録して。私は支える」

 セラが周囲を見て言った。

「人がいないなら、まず村長の家……って言いたいけど、名前を呼ぶな、か」

 俺は頷いた。

「呼ばない。けど探す。――家の印を探そう。役職の札とか、紋章とか」

 リュカが短く言う。「匂いも」

 村の家々を見て回ると、いくつかの扉に木札が掛かっていた。だが札は削られている。名前の部分だけが削られ、役職だけ残っている。


《村長》

《助祭》

《鍛冶屋》

《診療所》


 名前が、消されている。

 恐怖のせいで自分たちで削ったのか。

 それとも、削らせたのか。

 診療所の扉が半開きだった。中から、かすかな物音がする。

 リュカが先に入ろうとしたが、俺が止めた。

「まず、確認」俺は言った。「罠かもしれない」

 セラが工具袋から細い鏡片を出し、扉の隙間から中を覗く。鏡が小さく光を拾う。

「……一人いる。女の人。座ってる。動きが遅い」

 フィーネが息を呑む。「生存者……」

 俺たちはゆっくり診療所へ入った。

 中は薄暗い。薬草の匂い。ベッドが二つ。机。棚。

 机の向こうに、女性が座っていた。髪は乱れ、目の下に影。けれど目は生きている。

 女性は俺たちを見ると、口を開いた。

 だが声が出ない。唇が動くのに音がない。

 ミリアが一歩前へ出て、優しく言った。

「大丈夫です。私たちは王都から来ました。……あなたの名前は――」

 言いかけた瞬間、女性が首を振った。必死に。目が恐怖で見開く。

 そして、女性は指で机を叩いた。

 紙が一枚、差し出される。

 そこに、震える字で書かれていた。


《名を聞くな》

《声が盗まれる》


 声が盗まれる。

 フィーネが女性の喉元を見た。外傷はない。けれど、声帯が震えていないように見える。魔術的な封印だ。

 セラが低く言う。

「声も名前も。……識別を奪ってる。個人を消して、群れにするやつだ」

 群れ。標準化。

 王都のやり口に似ている。

 でもここは村だ。国の政策がここまで?

 いや――外部干渉。結晶片。

 俺は女性に向かって、できるだけ穏やかに言った。

「俺たちは、名前を呼ばない。声も無理に出させない。……何が起きたか、書けるか?」

 女性は頷いた。紙を引き寄せ、炭の棒で文字を書いた。

 字は乱れ、途中で途切れる。だが必死だ。


《三日前》

《夜に光》

《川の上》

《結晶みたい》

《呼ばれた》

《名を》

《呼ぶと》

《消えた》


 ミリアが息を呑む。「呼ばれた……名前を?」

 女性は頷き、さらに書いた。


《最初は子ども》

《外で遊んで》

《おいで》

《声がした》

《母が名を呼んだ》

《子どもが消えた》


 ……最悪だ。

 母親は助けたくて名前を呼んだ。

 呼んだ瞬間、子どもが消えた。

 その後、母親はどうなった?

 女性の紙は答える。


《母も消えた》

《名を呼んだ人が》

《次に消えた》


 名前は繋がりだ。

 繋がりを辿って、消す。

 呼ぶほどに連鎖する。

 まるで感染だ。言葉の感染。

 フィーネが唇を噛む。「優しさを罠にしてる……」

 セラが吐き捨てる。「人間の絆を燃料にしてる」

 リュカが目を細める。「敵はどこだ」

 女性は震える手で紙に地図を描いた。村の川。森。

 川の上流に、小さな印。


《石の祠》

《夜に光る》

《近づくと》

《耳に声》


 俺は頷いた。

「祠へ行く。……でも、声は聞くな。名前は思い出すな。――識別を奪われる」

 ミリアが震えながら言った。

「思い出すなって……どうやって」

 セラが肩をすくめる。

「思い出す前に、別の基準を作る。名前じゃなく、記号で呼ぶ。役割でもなく、位置でもなく……」

 フィーネが静かに言った。

「呼ぶ必要がない状況にします。合図は……触れ合いで」

 リュカが短く言う。

「目で伝える」

 俺は決める。

「この村では、俺たちは互いを名前で呼ばない。呼ぶ必要があるなら、指差しと合図だけ。ミリア、記録は――文字で書くが、俺たちの名は書くな」

 ミリアが頷く。「はい。記号で書きます」

 診療所を出る前に、フィーネが女性の前に膝をついた。

 膜を薄く張り、女性の喉元へ触れる。回復ではなく、支える膜。声帯を刺激しない程度に、周囲の空気を整える。

 女性の目から涙が落ちた。声は出ない。だが、感謝は分かる。

 俺は低く言った。

「必ず戻る。……あなたを、ここに残す」

 女性が頷いた。

 声を失っても、存在は消えない。

 それを示すのが、俺たちの役目だ。

 祠へ向かう道は、川沿いの獣道だった。

 森は静かで、鳥の声も少ない。音が吸われている。

 俺たちの足音だけが響く。

 途中で、川の水面に小さな結晶片が沈んでいるのが見えた。

 ミリアが指差し、セラが慎重に拾い上げる。

 結晶片は冷たく、淡い光を宿している。

 セラが言った。

「これ、王都の結晶と同じ質感。だけど……粗い。加工されてない」

 フィーネが小さく息を呑む。「自然に出たのではなく……切り出した?」

 俺は結晶片を見つめた。

 もしこれが王都の装置と繋がっているなら、村の事件は偶然ではない。

 国が? 誰かが?

 分からない。だが確実なのは――外部干渉が王都の外へ漏れた。

 祠が見えた。

 川の上流の岩場。苔むした石の祠がぽつんと立っている。

 祠の奥が、青白く光っていた。

 光は結晶の光。

 そして、その光の周囲に、紙片のようなものが舞っている。

 紙ではない。

 薄い膜。

 音の膜。

 文字になる前の命令。

 俺の耳が、かすかに疼いた。

 何かが囁く。

 意味を持つ前の音。

 ――呼ぶな。聞くな。思い出すな。

 俺は呼吸を整えた。

 死なない。仲間が生きる方。

 言葉になる前に壊す。

 セラが小声で言う。

「聞こえる? 耳の奥が……」

 フィーネが首を振り、膜を薄く張った。

 耳の周りに透明な膜。音を遮る膜。

 完全には遮れない。だが刺さりを鈍らせる。

 ミリアが炭筆を握り、地面に線を引く。祠から広がる音の流れを可視化するように。線が震える。音の圧がある。

 リュカが剣を抜かずに前へ出た。鞘のまま、祠の前に立つ。

 武器は刺激になる。刺激は最適化される。

 なら、押す。遮る。乱す。

 俺は祠の前に立ち、棒を握った。

 叩くと命令が刺さる。

 押すと喉を塞げる。

 この祠も、喉だ。

 俺は棒を祠の石に当て、押した。

 石がきしむ。

 祠の奥の光が脈打ち、音の膜が揺れる。

 その揺れが、俺の耳へ刺さりそうになる。

 フィーネの膜が俺の耳元を支える。

 セラがワイヤーを張り、光を散らす。

 ミリアの線が、音の流れを別方向へ導く。

 リュカが鞘で祠の側面を押し、角度を変える。

 祠の奥で、何かが形になろうとしている。

 青白い光の中に、人影が見えた。

 子ども……ではない。

 輪郭が曖昧で、顔がない。

 でも、こちらへ手を伸ばす。

 そして――口がないのに、声が聞こえる。

「……おいで」

 俺の背中が凍った。

 呼び声だ。

 この声を聞いて、名前を呼んだ者が消える。

 なら、ここで終わらせる。

 俺は棒を押し続けながら、セラへ視線を送った。

 セラが頷き、蝋を取り出す。

 蝋を石の隙間へねじ込み、光の漏れ道を塞ぐ。

 フィーネが膜を厚くする。音を遮る膜。

 ミリアが線を祠の前で交差させ、流れを乱す。

 リュカが鞘の底で祠を押し、石を少しだけずらす。

 人影が揺れる。

 「おいで」の声が歪む。

 声が言葉になりきれない。

 その瞬間、祠の奥から黒い糸が伸びた。

 書庫の糸。祝祭壇の糸。

 同じだ。端末がある。

 糸が、俺の胸へ絡もうとする。

 だが今度は、俺は焦らない。

 俺は棒を離さずに、糸の端点を探した。

 ミリアの線が光る。糸は祠の奥の結晶へ束になっている。

 端点はそこだ。

 俺は棒を押し込むのではなく、横に滑らせた。

 端点へ向けて、棒の先を差し込み――押す。

 結晶がきしみ、黒い筋が途切れた。

 糸がぷつんと切れ、空中で霧のように消える。

 人影が崩れた。

 青白い光が揺れ、祠の奥が暗くなる。

 だが、完全に消えない。

 まだ残る。

 祠の石の隙間から、かすかな声が漏れる。

「……なまえ……」

 名前を、求めている。

 名前を呼ばせたい。

 呼べば連鎖して消える。

 まだ村の人々の絆が残っている。そこを燃料にする気だ。

 フィーネが震える声で言った。

「……勇者様、村の人たち、まだ――」

「分かってる」俺は言った。「戻って止める。名前を呼ばせない」

 セラが歯を食いしばる。

「でも、それって……村の人の優しさを殺すことになる」

 俺は首を振った。

「殺すんじゃない。守るんだ。優しさが武器にされるなら、優しさの形を変える」

 ミリアが涙目で頷く。

「名前じゃなくても……手を握るとか、目を見るとか……」

 リュカが短く言う。

「生きていれば、また呼べる。……後で」

 俺たちは祠を封じた。完全ではないが、糸は切った。

 次は村だ。連鎖を止める。

 名前の呪いを、村全体から外す方法を探す。

 村へ戻る道の途中で、風が変わった。

 かすかな囁きが、森の中に増える。

「……なまえ……」

「……よべ……」

「……おいで……」

 音が広がっている。祠を封じても、残響が村へ流れている。

 ――急げ。

 でも焦るな。焦りは死。

 俺は呼吸を整え、仲間を見た。

 合図が通じないなら、基準。

 基準が揺れないなら、行動は揺れてもいい。

 村の入口が見えた。

 そして、村の広場に――人影が集まっていた。

 消えたはずの人々ではない。

 残った者たちが、掲示板の前に集まり、互いの顔を見て震えている。

 誰かが泣きながら言った。

「……呼びたい……」

「呼ばないと……」

「子どもが……」

 危ない。

 名前を呼びそうだ。

 優しさが燃料になる瞬間。

 俺は前へ出た。

 結晶片を握る。

 祠で拾った結晶片が、淡く光る。

 端末の残骸。

 これが村の人々の欲――いや、絆を拾って増幅しているのかもしれない。

 俺は叫ばずに言った。

 でも、聞こえる声で。

「呼ぶな!」

 人々が振り向く。

 目が血走っている。恐怖と疲労で、理性が薄い。

 俺は続けた。

「名前を呼べば、次に消えるのは呼んだ人だ。――助けたいなら、呼ぶな。呼ばずに、探す方法を作る」

 村人の一人が泣きながら首を振る。

「でも……名前がないと、誰を探せば……」

 ミリアが一歩前へ出た。

 炭筆と記録紙を掲げる。

 震える声で、でもはっきり言った。

「名前じゃなくて、印を作りましょう。服の色、持ち物、背丈、歩き方。あなたが知ってるその人の特徴で探せます。名前は、後で呼べます」

 フィーネが静かに言う。

「今は、生き残るために、呼ばない。……手を繋いでください。互いを確認してください」

 リュカが短く言った。

「散るな。固まれ」

 セラが笑った。

「ほら、名前なしでも指示は出せる。むしろ、名前があると狙われる。――迷宮の外部干渉は、名前を鍵にしてる」

 村人たちが、恐る恐る互いの手を握り始める。

 泣き声が混じる。

 でも、連鎖の一歩手前で止まった。

 俺は深く息を吸って吐いた。

 ――止められた。

 だが、問題は残っている。

 消えた人々をどう戻すか。

 祠の奥の端末は完全には壊れていない。

 結晶片はまだ残っている。

 そして、契約。口外禁止。

 村人に真実をどこまで言うか。

 言えない言葉は、また鎖になる。

 俺は仲間を見て言った。

「今夜、村に残る。祠を完全に封じる方法を探す。――そして、消えた人を取り戻す道を探す」

 フィーネが頷く。

 セラが工具袋を叩く。

 リュカが周囲を睨む。

 ミリアが記録紙に書き込む。

 村の空気はまだ重い。

 でも、呼び声の連鎖は止まった。

 名前の呪いは、今夜だけでも抑えられた。

 夜が来る前に、俺たちは次の手を決めなければならない。

 祠の奥で、まだ微かに囁きが続いている。

「……なまえ……」

 それは、村の絆を食うための声。

 国の標準化とは違う形で、個人を奪う。

 識別を奪い、人を空にする。

 俺は拳を握り、心の中で誓った。

 俺たちは契約で縛られても、村人の命を守る。

 そして、名前が奪われても――人を消させない。

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