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死ぬたびに弱くなる勇者は、勝つために考える  作者: Futahiro Tada
第4章:契約の鎖は笑顔で締まる

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3:呼ばれない夜、取り戻すための代名

3:呼ばれない夜、取り戻すための代名


 日が沈むと、村の静けさはさらに濃くなった。

 昼の静けさは「人がいない」だけだった。

 夜の静けさは、「人が息を潜めている」匂いが混ざる。

 広場の掲示板の前には、焚き火が一つ。

 村人たちは輪にならず、互いに少し距離を取って座っている。距離を取るのは冷たさじゃない。声を抑えるためだ。泣けば叫ぶ。叫べば名前が出る。名前が出れば、誰かが消える。

 俺たちも、村人の習慣に合わせた。

 名前で呼ばない。

 大声を出さない。

 合図は目と手。必要なら、指で地面に線を書く。

 セラが焚き火の向こうで肩をすくめる。

「皮肉だね。黙ることで生き残る村なんて」

 フィーネが小さく言う。

「黙ることが生存手段になると、心が削れます。……言葉が人を支えるのに」

 リュカは黙ったまま、周囲の暗がりを睨んでいる。

 剣は抜かない。鞘のまま。今日は、刃が必要な相手じゃない。

 ミリアは焚き火の光で紙を照らし、記録を続けていた。

 ただし、村人の名前は書かない。俺たちの名も書かない。代わりに、特徴と位置と役割だけを残す。

 ――俺たちが出した結論は一つ。

 この呪いは名前ではなく、識別の鍵を使っている。

 名前は鍵の代表例で、最も引き出しやすい。呼べば連鎖する。

 だから鍵を変える。

 俺は焚き火のそばで、村人たちに向かって静かに言った。

「今夜から、村の中では代名を使う。名前の代わりになる印だ」

 村人たちが不安げにこちらを見る。

 俺は地面に炭で四角を描き、その中に簡単な印をいくつか描いた。

 丸、三角、波線、星――子どもでも真似できる単純な形。

「これを、家の扉と、自分の服に付ける。布でも木片でもいい。形だけ統一する。呼ぶときは、その形で呼ぶ」

 村人の一人が、唇を震わせて言った。声は掠れている。

「……形で……呼ぶ?」

 フィーネが優しく頷いた。

「声を出す必要がある場面でも、名前より危険が少ないはずです。名前は、あなたの記憶と強く結びついているから」

 セラが笑う。

「それでも危ないなら、声を出さない。形を見せて指差す。合図にする。――鍵を減らす」

 村人たちは互いの顔を見合わせ、ゆっくり頷いた。

 恐怖で固まった心が、ほんの少しだけ動いた。

 ミリアが記録紙に小さく印を書き、村人へ配った。

 印は生存の言葉だ。

 だが、問題は取り戻すことだった。

 消えた子ども。消えた母。消えた者たち。

 祠の奥の光は弱まったが、完全には消えていない。

 囁きがまだ残る。

「……なまえ……」

 夜が深まるにつれ、その囁きが風に乗って村へ流れてくるのが分かった。

 耳を澄ませば聞こえる。

 聞こえるから、意識する。

 意識するから、思い出す。

 思い出すから、名前が喉元まで来る。

 呪いは、そこを狙っている。

 俺は焚き火の前で、仲間を見回した。

 ここから先は、村人を巻き込めない。

 巻き込めば、誰かが名前を叫ぶ。

 だから――俺たちが行く。

 祠へ。

 リュカが頷く。

 セラが工具袋を揺らす。

 フィーネが耳を覆う膜の準備をする。

 ミリアが記録紙を胸にしまい、炭筆だけ持つ。

 俺は静かに言った。

「今夜、祠を完全に封じる。そして消えた人の所在を掴む。戻す手段があるなら、ここで掴む」

 村人の女性――診療所の生存者が、焚き火の陰からこちらを見ていた。声は出ない。だが、その目が必死に訴える。

 戻して、と。

 俺は頷いて見せた。

 言葉ではなく、確約の頷き。

 祠へ向かう道は、昼より暗い。

 森の木々が黒い壁になり、川の水音だけがやけに大きい。

 月は雲に隠れ、足元が見えにくい。

 フィーネが俺たちの耳に薄い膜を張る。

 完全に遮音すると危険だ。足音や枝の折れる音が聞こえないと転倒する。

 だから囁きだけを鈍らせる。刺さりを浅くする。

 祠が見えてきた。

 苔むした石。奥に残る青白い残光。

 昼より弱い。だが、弱いからこそ危ない。弱い光は油断を呼ぶ。

 セラが地面に釘を打ち、ワイヤーを張った。祠の周囲を囲う枠を作る。

 枠は光を乱し、音の流れを歪める。

 ミリアはその枠を炭筆でなぞるように線を引く。線は境界の記録でもある。

 リュカが祠の前に立ち、鞘の底を石へ押し当てる。

 俺も棒を押し当てる。

 叩かない。押す。

 石がきしむ。

 そして、囁きが一瞬だけ強くなった。

「……よべ……」

 喉が勝手に動きそうになる。

 口が誰かの名前を探し始める。

 その瞬間が一番怖い。

 フィーネがすぐに膜を厚くする。

 膜が喉の奥の震えを抑え、言葉になる前で止める。

 セラが低く笑った。

「ほら、来た。名前じゃなくてもいいんだ。『呼べ』って命令が刺さる」

 命令文。書庫と同じ。

 だがこの祠は紙を使わない。音と光で命令を作る。

 俺は息を吸って吐き、考えた。

 命令は形を必要とする。

 紙片を舞わせる書庫。

 欲望を増幅する祝祭壇。

 この祠は――識別を奪い、呼ばせる。

 つまり、ここで生成されているのは命令そのものじゃない。

 呼び出しの手順だ。

 呼び出し。

 名前を鍵にして、対象を引き抜く。

 なら、鍵を偽造できれば――引き抜きの先を逆に辿れるかもしれない。

 セラが俺の目を見て、口角を上げた。分かっている顔。

「鍵を作る?」

 俺は頷いた。

「偽物の鍵で、向こう側を覗く。……ただし、名前は使わない。代名だ」

 ミリアが震えながらも、炭筆を握り直した。

 地面に、小さな星形の印を描く。

 さっき村で決めた代名の一つだ。

 フィーネが息を整える。

 膜を耳ではなく星形の印の上に薄く張った。

 音を集める膜。囁きが印へ落ちるように誘導する。

 セラが蝋を取り出し、星形の印の周囲に薄く塗る。

 蝋は固定だ。音の振動を地面に吸わせず、留める。

 俺とリュカは祠を押し続け、祠の奥の結晶が言葉を吐く瞬間を抑える。

 吐かせないために押す。

 でも吐きかける瞬間は必ずある。そこが出口だ。

 祠の奥の光が、ふっと脈打った。

 その瞬間、星形の印の上の膜が震え、薄い文字になりかけた。

 文字ではない。形。

 何かがこちらの世界の鍵として認識される。

 空気が冷たくなり、星形の印の上に影が落ちた。

 影は、人影ではない。

 穴のような影だ。

 輪郭が歪み、奥が見えない。

 そして、穴の奥から、声が漏れた。

「……だれ……」

 名を求める声。

 だが今回は、俺たちは答えない。

 答えない代わりに、覗く。

 ミリアが涙目で、でも確かに線を引く。

 穴の輪郭をなぞる線。

 線は、こちら側にあるものを固定する。形を形として残す。

 俺は棒を押したまま、目だけで穴を見た。

 見えたのは――暗い空間。

 地面がない。天井もない。

 ただ、漂う紙片のような光片が浮かび、遠くで結晶が脈打っている。

 そして、その光片の間に、人の影があった。

 子ども。

 母。

 村人。

 でも、顔がぼやけている。

 名前を奪われ、識別が薄くなっている。

 フィーネが息を呑む。

 セラが歯を食いしばる。

 リュカの握る力が強くなる。

 俺は分かった。

 消えた人は死んでいない。

 ただ、識別を削られた状態で保管されている。

 保管。

 まるで、標準化の棚に並べるように。

 そして奥の結晶は、王都の結晶と同じ黒い筋を持っていた。

 祠の端末は、王都の装置と同系統だ。

 どこかで繋がっている。

 穴の奥で、子どもの影がふっとこちらを向いた。

 顔はない。

 でも、こちらを見た気がした。

「……」

 声にならない声。

 叫びにもならない。

 俺は喉が締まるのを感じた。

 名前を呼びたい。

 生きているなら呼びたい。

 でも呼べば、鍵が完成する。連鎖が再開する。

 呪いの思う壺だ。

 だから俺は、言葉を捨てた。

 代わりに、手を伸ばした。

 穴に手を入れない。近づけるだけ。

 そして、星形の印を指でなぞった。

 ここにいるという印。

 名前ではない。存在の印。

 ミリアが同じように、線を重ねた。

 フィーネが膜を強め、音の刺さりを抑える。

 セラが蝋を足し、印を崩れにくくする。

 リュカが祠を押し、穴の脈を止めない程度に開きを保つ。

 穴の奥の人影が、少しだけこちらへ寄った。

 寄った、気がした。

 識別が薄いままでも、印は届く。

 ……いける。

 戻す方法はある。

 鍵を、名前ではなく印に置き換えればいい。

 その瞬間、祠が激しく脈打った。

 黒い糸が穴から伸び、星形の印へ絡みつこうとする。

 ――封じられる。

 向こうが気づいた。覗かれたと。

 セラが即座にワイヤーを引き、枠を歪めた。

 光が乱れ、穴の輪郭がぶれる。

 フィーネが膜を反転させる。集める膜から、押し返す膜へ。

 糸の軌道が逸れ、地面へ落ちる。

 リュカが鞘で祠を横に押し、石の隙間をずらした。

 隙間が狭くなる。

 穴が縮む。

 俺は最後に、棒を強く押し込んだ。叩かない。押して、喉を塞ぐ。

 祠の奥の結晶が呻くように振動し、黒い筋が薄くなる。

 穴が、すっと閉じた。

 闇が戻る。

 囁きが遠のく。

 祠の青白い光が、ほとんど消えた。

 俺たちは、その場でしばらく息を整えた。

 心臓がうるさい。

 でも生きている。

 セラが小さく笑った。

「見えたね。保管庫。……村人、あそこにいる」

 フィーネが涙を拭った。

「戻せますか」

 俺は頷いた。

「戻せる。……でも一気には無理だ。鍵を作れば、連鎖が起きる。だから、まず村の代名を徹底する。名前の鍵を捨てさせる。そのうえで、印で一人ずつ引き戻す」

 ミリアが震えながら言った。

「印で……呼ぶ」

 リュカが短く言う。

「呼ぶんじゃない。……繋ぐ」

 俺は頷いた。

「そうだ。名前じゃない。繋ぐだけ。存在を確認して、引く」

 セラが工具袋を叩く。

「村中の扉に印。服にも印。印が共有されれば、呪いの鍵は変わる。向こうの結晶が学習する前に、こちらが先に形を変える」

 学習競争。

 迷宮と同じ。

 国と同じ。

 でも今回は、村人の命がかかっている。

 俺たちは村へ戻った。

 焚き火の前で、村人たちに印の話をする。

 真実は言えない。契約がある。

 だが、言える範囲で、命を守る情報は渡す。

 俺は静かに、しかしはっきり言った。

「今夜、祠の声は弱まった。でも、まだ残っている。だから明日までに、村の全員が印を持て。扉にも印。服にも印。呼ぶときは印で呼べ。名前は口にするな」

 村人の目が揺れる。

 不安と、希望が混ざる揺れ。

 診療所の女性が、紙に震える字で書いた。


《戻せるの》


 俺は頷いた。

 言葉にしない。頷きで答える。

 確約の頷き。

 ミリアが記録紙に印を描きながら、小さく呟いた。

「名前を奪われても……印があれば……」

 フィーネがそっと言った。

「人は、呼ばれなくても、消えません。……消させない」

 夜はまだ深い。

 囁きはまだ遠くに残っている。

 でも、俺たちは覗いた。

 消えた人は生きている。

 保管庫は祠の奥にある。

 鍵は名前。なら、鍵を印に変えればいい。

 ――契約の鎖があっても、できる。

 俺は焚き火の光の中で、仲間を見た。

 全員が疲れている。

 それでも、目に火がある。

 死なないための火。

 命を取り戻すための火。

 明日、俺たちは印で呼ぶという矛盾をやる。

 呼ばずに繋ぐ。

 繋いで引く。

 優しさを燃料にされない形へ変える。

 そのために、今夜は眠らない。

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