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運に左右される魔法でも無双したいんだが  作者: シガ
2章 切り開く

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第31話 必要な物

 ライゲルが出会った孤児達は、それぞれ違った厳しい境遇にあった。


 親から見捨てられた子供や、生まれた時から親の顔を見ることなく、物心ついた時には独りぼっちの子供もいた。


 ライゲルはそんな子供たちを拾い育て、1人でも多くアルビオン教の将来を担える若者にしようというのを念頭に各地を回っていた。そうした出会いの中でも、シェナとの出逢いは、彼にとって非常に大きな衝撃を受ける出会いだった。


 シェナと出会ったのは、ライゲルがアマガスディオに布教活動に向かった時だった。周囲の人から、あそこは太った貴族がやせ細った牛の乳を搾る場所だ、と軽蔑が激しい地域であったが、ライゲルからすればむしろ、その痩せた牛を救うことこそが、アルビオン教の宣教師として抱くべき使命ではないかとかなり情熱的に訴えていた。


 しかし、いざアマガスディオに足を踏み入れてみると、彼の言葉では説明し難いことが次々と起きていることに気付いた。街全体に充満した毒々しさ、暗闇で何かが蠢いているかのような不穏な空気が、彼の胸に重くのしかかっていたのだ。ここはグラスバードのようなただの貧困街ではない。貧困の根源に潜む悪意の存在を、彼は敏感に感じ取っていた。


 木造で狭く密集した家々が立ち並び、薄汚れた看板や生ゴミの臭い、そして人間の腐敗臭が入り混じるような感覚さえする貧困街に対し、その目と鼻の先に広々としつつ舗装された道路や煌びやかに輝く建物。正に対極の二面性を見せる貧富の差が一目で分かる光景、ここの本質がすぐにわかると同時に、貧困街になぜ多くの人が集まっているのかを理解した。


「兄ちゃん.....勝負、しにきたんか?」


 狭く舗装もろくにない路地の中央にいるこの泥だらけで汚い男は、空いた酒瓶を片手に持ったまま、よろよろと近づいてくる。


「勝負....?」

「その格好からして金持ってるじゃろ?……だったらあそこで勝負するしかないだろうがよ……!人生を賭けた大勝負よ!」


 男はフラフラと歩いてこちら側に歩いてきて肩を掴んだ。腕は枯れ木のように細く、弱々しく感じる。


「いや、私はそういうつもりじゃ....」


「俺はな、昔あそこで人生全てを掛けたことがあったんよ。その時の夢はな、女房とこどもと一緒に豊かな生活を送ることだった。あそこでかちゃあ、全部手に入るんだ。ほんとだぞ?ろくに稼げねぇ小さな畑の農家なんてやってるよりは絶対いいのよ。兄ちゃん、あそこに行くなら俺を連れてってくれ。こんなんでも途中まで勝ったんだ。まだなんとかなる。勝てる。だから頼む……頼む……!!」


 男は突然興奮気味になって話し始める。今まで見たこともない、切羽詰まった表情で訴えかけてくるその様子に、ライゲルはしばらく言葉を失っていた。


「ちょっと待ってください!だから私は勝負になんて……!」

「あそこの参加費は金貨10枚.......あの扉を開けるために必要な切符は金貨10枚....参加しないってぇなら今すぐ全部置いてけ....置いてけェエエエッ!!」


 男が振り下ろした空き瓶は、ライゲルの頭部を真っ直ぐとらえていた。だがそれが直撃する前に、後ろから誰かが男へと飛び掛かり、そのまま押し倒す。すると、飛び掛かってきた人物は思い切り、馬乗りになって棒で殴りつけた。その棒も決して丈夫とは思えないようなボロボロのものであり、殴りつける度に欠片が飛び散っていた。


「ガキ.....あっ....ふざけ....」


 驚いたことに、馬乗りになっているのは一人の少女だった。年は恐らく15歳前後だろう。男よりもずっと小柄な体で、どこから湧いてくるのかと思うほどに強く殴り続けている。男の方も負けじと抵抗しようとしているものの、あまり力が入らずにいるようだ。


「死ね……死ね……死ね……死ね……!!」


 何度も、何度も。まるで積もり積もった憎しみを晴らすように何度も棒で殴りつけていた。その憎しみは目の前の男に対してなのか、それともこの世界に対してなのか……今のライゲルには判断がつかなかった。だがその目は、今まで出会った子供達の中で最も深い闇を抱えていることだけはわかった。激しい悲しみでも、怒りでも、絶望でもない。もっと根本的な、刹那的な生を求める目。そう形容するのが相応しいものであった。


「君……君ッ!もういい!死んでしまう!」


 男が完全に動けなくなったことを確認してライゲルは少女を止めようと手を伸ばしたその瞬間、顔に泥が飛ぶ。少女が泥を投げつけたようだ。前が見えず混乱していると、突然側頭部に大きな衝撃が走る。何が起きたのかわからぬまま地面に崩れ落ちると、頭を抑えた。するとすぐに痛みとともに意識がはっきりしてきた。どうやら殴られたらしい。状況が飲み込めずにいると、少女が馬乗りになったのがわかった。


「ここで死にたくないのなら、荷物を全て置いていって……」


 感情が一切籠っていないような冷たい声色で少女は語りかけてくる。ライゲルはふと、少年時代に読んだ『黒い箱庭』という童話を思い出していた。


『黒い箱庭』は、殺人を犯した少年が黒い箱に閉じ込められてしまうというもの。箱庭の中は真っ暗でありながら、自分と同じような殺人犯がたくさん閉じ込められた場所だった。外の様子は一切わからない。中から脱出するには、誰にも殺されず連続で50人殺さなくてはならない。できなければ永遠とその真っ暗な中で生と死を繰り返し閉じ込められるというもの。最後まで、少年は箱から出てこれなかった。最初は意気揚々と脱出に挑戦していた少年も、最終的には絶望に心を屈し外へと出ることはなかった。そんな話だったと記憶している。


 まるで、ここ自体が黒い箱庭のようだ。と、ライゲルは思った。少女の目はまさに、その少年の目と似ていた。どんな希望にも手が届かない、全てが無意味なものだと確信している人間の瞳。それは生への諦めなどではなく、生に対する純粋な憎しみであった。


「どうしてその力を、もっと正しいことに使わないのですか?」


 思わず口にしてしまった言葉だったが、少女は何も答えず、再び棒を構える。それに対してライゲルは目を瞑ることもなく、その目を真っ向から見つめ続ける。


「……わからない」


 ぽつりと呟くように言った。その一言には、迷いや葛藤といったものを感じた。


「何が正しくて、何が正しくないのか分からない。あなたが正しいことを言ってるのか分からない。私がおかしいのかもわからない。ただ、生き延びるためにこうすることが正しいと思うから、そうしたまで」


 目が覚めた。暗く硬い地面の上でライゲルは横になっていた。ジメジメとした空気に包まれたこの空間は、どこか居心地が悪い。音がする方を見ると、大量の水が流れているのが見えた。どうやらここは浄下水道の検地場らしい。なぜ、自分がここにいるのか、どうしてこんな所で寝ていたのか、記憶が曖昧だった。こんなタイミングでシェナと出会った時のことを思い出すなんて、何だか不穏だ。


「先生.....」


 か細い少女の声が聞こえる。フェリアの声だ。ライゲルは上半身だけ起こし、周囲を見回した。すぐ近くで、彼女は青ざめた表情でうつ伏せに倒れこんでいる。


 その姿を見て、彼は思い出した。自分が何を見たのか、何を聞いたのか、そしてフェリアが何故倒れているのか。記憶が鮮明になり始めると同時に、恐怖が波のように押し寄せた。


「フェリア!」と叫びながら、彼女のもとに駆け寄る。彼女は酷く咳き込みながらも、目を開けた。ライゲルは彼女の身体を揺さぶり、必死に呼びかける。


「フェリア、しっかりしてください!大丈夫ですか?私の声が聞こえますか?」


 彼女は出会った当初から病弱だった。少し激しい運動をしたらすぐに息切れを起こし、咳き込み、衰弱してしまう。得意な歌も3曲が精一杯だ。その姿はまるで、過酷な環境の中で精一杯生き抜こうとする弱々しい小鳥のようだと彼は思った。もしアルビオン教で保護しなければ、もっと早くに死んでいただろう。だからこそ、手厚く守っていかねばと思っていたのだが....。


「フェリア……フェリア!ごめんなさい.....私が、私が君を救っていれば……こんなことには……」


 あの時自分が手を引かれる立場ではなく、逆だったら。フェリアをこの過酷な現実から救い出すことができていたら。少女が吐き出したあの血のように赤い色が、自分の頬に飛び散った瞬間から、ライゲルの中に渦巻いていた後悔の念が堰を切ったように溢れ出て止まらない。


「先生……逃げてください.......」


 血の塊を吐き出しながらも、フェリアはそう口にする。


「いいや、ダメです……私が必ず助けます」


 ライゲルは震える手でフェリアの身体を抱え上げる。その身体は驚くほど軽く、今にも消えてしまいそうな儚さがあった。それでも、彼女の命の灯は確かに燃えており、必死に生きようとしていた。


「あなたは無理をしても、私の手を引いてくれました。今度は、私がそうする番です……ですから……」

「先生」


 フェリアの声が、はっきりと耳元で響いた。


「フェリア……?」


 フェリアの顔には、さっきまでの苦しそうな様子は見る影もない。そこにあるのはいつも通りの彼女の笑顔だった。


「先生、今まで色々と我儘を言って本当にすみませんでした。私のことで、先生にたくさんの迷惑をかけてしまいました。だから最後に、最後も……こんな我儘をいうのは酷いかもしれませんが」

「一体、何を言って……」

「私を見捨ててください。私を置いて、先に行ってくれませんか?」


 唐突な言葉に、ライゲルは何も言えなかった。フェリアは息を整えながら、話を続ける。


「先生……今ここで先生が私を助けたら、きっと追いかけてくる人達に追いつかれちゃいます.....そうなればきっと先生も、みんなも助からない。みんなが助かる為にも、ここで私を見捨てて、シェナお姉ちゃんの所に行ってください」


 その言葉には迷いがないように聞こえたが、同時にライゲルの心に鋭い痛みが走った。彼女は命が危険にさらされているのに、自分のことより他の者の安寧を願っている。そうするように導いた筈なのに、その優しさや美しさが愛おしいと感じていた筈なのに、悔恨が膨らむばかりである。


「だけど……」

「先生、お願いします。シェナお姉ちゃんならきっとみんなを助けてくれます。だから早く.....!」


 懸命な叫び声。それに対し、ライゲルは目を瞑り歯を食いしばった。彼女の言うことはもっともだ。フェリアを抱えていたら間違いなく、追手に追い付かれるだろう。情けない。そうなればあの光景を告発することも断罪することも叶わない。賢明な判断としては、今すぐにでも逃げてシェナに合流し、子供達が教祖との面談でどのような目に遭わされるのかを伝え、彼女の力を便りアルビオン領から脱出し王国に通報する.....。しかし、それで王国が動いてくれるのだろうか。子供達は救われるだろうか。様々な疑問が浮かび上がってくる。そもそも....他者に頼らねばならないのが、本当に悔しい....拳を握りしめる。


「先生……早く.....」


 その声に促されて、ライゲルはゆっくりと目を開けた。フェリアは微笑みながらこちらを見ている。その時、上部から光が差し込んでくる。


「いたぞ!こっちだ!」

「早く追え!絶対に逃がすな!」


 ライゲルはおどおどしていた。覚悟が定まらない。今ここでフェリアと運命を共にするか、水路に飛び込み追手から逃げるか、迷っていた。


「フェリア……私は……」


 何が正しくて、何が間違っているか、それが明確に分かっているつもりだった。


「早く行ってください……!」


 検地場に梯子を使わず降りてくる異端審問官達。フェリアは震えながら立ち上がり、ライゲルの前に立ちはだかる。


「先生は絶対に殺させない……」

「フェリア、やめなさい!無茶です!」


 彼女は振り返ることなく叫んだ。


「だから早く行って!!」


 それでも行けなかった。飛び込めなかった。追いつめられた。


「離してっ!先生に……先生に触らないで!!」


 目の前でフェリアは、異端審問官達に捕まり暴れる。そしてライゲルの前にも2人の異端審問官。


「この小娘が、大人しくしろ!」

「先生ッ!お願い……」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら訴えかけてくる少女を前に、ライゲルは目を瞑った。これ以上、何も見てられないと思ったからだ。


「ライゲルさん。あなたには孤児院の子供達に対する虐待、およびアルビオン教での反乱行為に基づいて、ここで処刑する!」

「先生ッ!やめて!虐待なんてしてない!私たちに酷いことしたのはっ....!」


 泣き叫ぶフェリアの口が塞がれる。彼女の身体からは血が滴り落ちており、呼吸はますます荒くなっている。ライゲルは異端審問官によってうつ伏せで地面に抑え込まれる。首を切られるのだろう。震えるばかりで、抵抗できない。一人の審問官が剣を構え、ライゲルの前で剣を振りかぶる。


「うああああッ!」


 フェリアの悲鳴がライゲルの鼓膜を強く叩く。もはや、自分の死はどうだっていいと思えるほどの絶望に包まれた感情だった。彼は全身の力を抜き、目を閉じた。しかし、その次の瞬間、鋭い金属音と共に予期せぬ声が聞こえた。


「———っ!」


 誰かの叫び声が聞こえたかと思うと、ドサリと人が倒れる音が響く。それに続いて、複数の足音と怒声が検地場内に満ちる。ライゲルが薄目を開けると、目の前には一人の男が立っていた。きれいな紳士服に身を包みながらも体色は魔族でいうところの悪魔のように漆黒で、角が頭部から二本生えている。背丈はかなり高く190cm以上はあるだろう。


「色々取り込んでるとこ悪いが、ちょっと邪魔させてもらう」


 ライゲルはその姿を見て驚愕した。まるで悪魔のような外見を持ちながらも、人間らしい言葉使いをするその存在が一体何なのか分からなかったからだ。さらに、その男が持つ雰囲気や佇まいから察するに、只者ではないことが分かる。


「なっ!?なんだお前は!」

「どっから来た!?」


 異端審問官たちが警戒するように問いかけると、彼はニヤッと笑って答えた。


「我輩か?お前たちの間じゃ名乗るのが常識みたいだが、残念ながら易々と名乗れぬ立場でね。強いて言うなら、そうだな……お前たちにとっては"魔族"と言うべき存在か」

「魔族……?」

「そんなバカな……我々異端審問官相手に名乗るのか?!異端め!!」


 異端審問官たちが動揺している様子を見て、彼は満足そうに頷いた。フェリアを捕まえていた異端審問官は首が飛ばされ、フェリアは放心状態となっていた。


「まあ落ち着け。そう興奮していては本来の力も発揮できまい」


 異端審問官3名は、魔族と呼ばれた悪魔に対峙する。1人は剣、もう1人は槍、最後の1人は弓矢というように、バラバラの武器を持っている。


「アイザック!ハヤテ!行けるか?!」

「ああ!神の名の下に!魔族は絶対ぶっ殺す!」

「わかったよクレメンス。手早く殺す」


 クレメンスは剣を振り上げ、魔族に真正面から斬りかかり、ハヤテは魔族の回避行動を予測し30度の方向から弓で射抜こうとする。その一連の攻撃を魔族は、まるで羽虫でも払うかのように避けていく。


「おっと危ない。良い連携じゃないか」


 魔族は矢を二三本掴むとクレメンスの背後から飛び掛かってきたアイザックの目に目掛けて投げ返す。弾丸のように放たれた矢は、正確にアイザックの両面と左胸に命中した。血飛沫を撒き散らしながら倒れ込む彼を見て、クレメンスとハヤテの表情に緊張が走る。


「な……なんだと?」

「クソッ!!化け物かよ!?」


 そんな2人の動揺を他所に、魔族は淡々と言葉を続ける。まるで用意された台詞のように無機質な調子で。


「面白いな。女神アルテミシアに戦士として選ばれた者がこれほどの実力とは」

「バカにしているのか……!?」

「バカになどしていないさ。褒めているんだよ。君達の努力や信仰心には敬意を表してるんだ。並みの者では今の連携で一瞬にして狩られるだろう。ここで殺すのが本当に惜しい」

「……ふざけるな!貴様に生殺与奪を与えた覚えはないわ!」


 クレメンスの顔が引き攣る。そして次の瞬間には、彼の顔は憤怒に染まり飛び掛かっていた。だがタイミングが悪かった。その言葉で憤怒に染まったのはクレメンスだけではない。ハヤテもキレていた。

 その結果、同時に無鉄砲な攻撃が繰り出される。


「ぐぎゃああああ!」


 つまり、魔族に思いっきり突っ込んだクレメンスの肩に、予測も何もせず魔族狙いで打ったハヤテの矢が貫通する事になった。


「……てめえ……ふざけんな……」

「クレメンス……!嘘だろ……」


 ハヤテは半狂乱で矢を放ち続ける。だが、やはり当たらない。


「一人で戦う自信はないのかね?」

「あるに決まってんだろうがよぉ!てめえなんかすぐにでも殺せるんだよ!!」


 怒りに任せ、狂ったように矢を放つ。魔族はそれを最低限の行動で避けつつ、徐々に距離を詰めていく。ハヤテは焦りながらも冷静に立ち回るべきだった。しかしそれができなかった。なぜならば、目の前の敵が自分の想像以上に強いこと、そして何より自分自身がその敵に対して全く有効な手立てを持っていないことを痛感していたからだ。目の前の敵が本当に恐ろしかった。このまま殺されるかもしれない。その恐怖がさらに正常な思考能力を奪っていった。


 やがて彼は完全に冷静さを失ってしまった。


「ひぃ……来るなぁっ!」


 もはや矢を放たず、弓で魔族に殴りかかった。


「無駄だ」


 魔族はそれを難なく受け流すと、そのまま腕を掴んで捻り上げた。簡単にハヤテの体勢が崩れる。そして地面に転がすと、今度はスタンプで両膝を踏み抜いた。


「グゥアッ!あぁああ!」


 骨が砕ける嫌な音と共に、絶叫が響き渡る。彼の膝は完全に砕け、ろくに身動きが取れなくなった。


「さて、よく見ていろライゲル」


 魔族はそう言い放つと、指を鳴らして小さな火を起こした。それをゆっくりとハヤテの足に灯す。じわじわと燃え広がる火で彼は焼ける皮膚の痛みに悶絶するが、足が潰れているため這って水路へ移動するしかない。すぐさま移動する。息を切らしながら少し先の水路へ進む。だが魔族がそれを許さない。いつの間にか手にしていたクレメンスの剣で両腕を器用に切断し、水路に投げ込んだ。


「あ゛あ゛ああぁぁあぁー!!助けてクレメンス!!」


 絶叫と共に、2つ水しぶきが上がる。火は止まらず、ハヤテの顔も火に飲まれていった。ライゲルは目の前で行われている凄惨な光景から目を逸らすことしか出来なかった。圧倒的な力による蹂躙……ハヤテは命が燃え尽きて動かなくなるまで、その口から炎を出しながらも必死に仲間の名前を呼んでいた。


「どうだライゲル。今お前が求めているものはなんだかわかったかな?」


 そう言って振り返った魔族は、別人のような笑顔で問いかける。


「私は……私は……」


 ライゲルは混乱していた。目の前の状況についていけず、考えがまとまらない。そんな彼を見て魔族は、にやりと口角を上げる。


「そうだよな。わかるよ。お前は今まで力とは無縁だったんだろう。教義と役割に従い、他人の命を預かってきた。力での支配を否定し、力による解決を拒否してきた。だからこそ、力というもの得ることに抵抗があるだろう。でも.....適正は高いはずだ」

「何を言っているんですか……?」


 ライゲルは混乱しながら尋ねる。


「何……?あーちょっと....あれが気になって頭が回らないのかな?」


 魔族の視線の先には、クレメンスがコソコソと壁を背にして横歩きで移動する姿が見える。


「おいお前、逃げるんならもう少し堂々としたらどうだ?」


 魔族がそう言って指をパチンと鳴らした。すると突然、クレメンスは苦しそうな声をあげてその場に蹲った。


「なん……だこれは?!動けん……!?」


 クレメンスは慌てて自分の四肢を見る。しかしどこにも変化はない。だがどうしたことか、体がピクリとも動かないのだ。


「体内の運動神経にちょっと細工をした。吾輩が許すまでお前は動くことができない」

「て、テメェ……!」

「さて、あんなのは置いといて.....ライゲル。力を得たいと考えたことがあるか?」

「......ありません」

「なぜ?」

「それは……力は人を傷つけるからです。それに争いの原因になります。我々アルビオン教は、すべての人が平和的に共存できる世界を作るべく.....」

「その"理想"を守る為に、あいつらは何をしていた?」


 脳裏に浮かぶ、子供達への残酷な仕打ちを思い出す。


「……彼らのしていることは.....しかし、言葉で説得を...」

「さっきお前に対して下された審判を忘れたか?」


 ライゲルの表情が固まる。


「……おいクレメンス、ライゲルは先程どんな罪を下されたのだ?」

「あ?その男は主官曰く、孤児院の子供達に対する虐待、およびアルビオン教での反乱行為に基づいて、ここで処刑すると言ったが?」

「そんな!先生は私たちに酷いことなんてっ……!」


 フェリアがクレメンスに抗議の声を上げる。しかしクレメンスは聞く耳を持たない。そしてライゲルの顔色がどんどん悪くなる。額には脂汗が滲んでいる。


「なんて可哀想な....ここまで酷い仕打ちを受けながら、あの男を庇うような真似をして……」


 クレメンスは未だに信じられないといった様子で、フェリアの言動を疑っている。


「さて、そういうわけだライゲル。お前がいくら言葉で説得しようとしても、向こうはこういう態度だ。言葉で、思想で教祖に対抗することはできんだろう。奴らは教祖が持つ思想に基づいた正義の執行機関であり、教祖がお前を断罪するのだから、それは絶対正しいと信じ込んでいる。」


 ライゲルは奥歯を噛み締めながら言った。


「言葉も通じないのであれば……暴力以外に、私が選択するべき方法はありませんか……?」

「我輩ならお前たちをここから逃がし、追手から....アルビオン教から逃れるのは簡単であろうなぁ」

「しかし……そんなの……!」


 当然、そんなことはできない。今ここで逃げてしまえば、他の子供たちはどうなってしまうのか。自分たちだけが逃げ延びても、彼らは苦しみ続けるだけなのだ。ライゲルは唇を噛む。悔しさがこみ上げてきて視界が滲んだ。魔族は愉快そうに笑う。


「できないだろうライゲル。他の子ども達の顔が脳裏に浮かんで離れないはずだ。ともなれば.....我輩はお前が必要としている者をすぐにでも与えてやることができる」

「どうしてあなたが.....」

「単純だ。我輩はアルビオン教の在り方に疑問を抱いていてな。今まで姿を隠しながら調査を行っていた。そして今、連中の残虐非道な行いを、陰の中から見た以上。このまま見て見ぬふりとはいかぬ。お前の願いを叶える為なら、協力は惜しまない」


 ライゲルは魔族の顔を見つめる。その言葉に嘘偽りはないように思われた。それでも信じていいものか。こんな得体の知れない魔族....。さっきの異端審問官の殺害といい、魔族の言動が少々残虐性を秘めている点に不安を抱いていた。そしてすべてを見透かしているような眼差しが、余計に不気味に感じる。だがここで時間を浪費している暇はない。今はとにかく、皆を救うことが重要である。


「……私に力を与えてください……」


 ライゲルは覚悟を決め、そう口にした。


「ほう?」


 魔族は期待通りの返答に、嬉しそうに笑みを浮かべ、手のひらに赤く光り輝く玉を作り出した。


「それは.....?」

「我輩が長年に渡る研究の中で発明した....多数のスキルが内包された寄生性生命体.....」

「……寄生生命体……?」

「ちょっと呼び方が酷いから我輩はこれを精霊と名付けた。人間の精神構造に寄生し、魔力系統の制御補助を行うだけでなく、その意思や目的に沿って成長する。速攻で力を得るのに適したものだ」

「精霊……私の体に入れて……大丈夫なのでしょうか」

「拒絶反応を起こすことはない。だが体が内外焼けるような痛みは感じるかな」

「構いません。この苦しみと比べれば、どんな痛みも耐えられます」


 ライゲルの瞳には覚悟の色が宿っている。それを見た魔族は満足げに笑った。


「では……ライゲル。お前がこれからどのような未来を選択するのか、楽しみにさせてもらおう」


 魔族は精霊をライゲルの首の後ろに押し当てる。


「ぐうぅ……あ゛ああぁ……」


 ライゲルの身体がビクンと跳ねる。苦悶の声を漏らしながら、その場に座り込んだ。精霊はゆっくりとライゲルの脊椎目掛けて侵入していく。肉をかき分け血管に潜り、ついに背骨の内部へと辿り着いた。骨に空いた小さな穴から入り込み、神経細胞へと根を張る。脳まで到達すると、そこから全身へと広がっていく感覚があった。その過程で、無数の電撃が奔るような衝撃が走り抜けた。全身の毛穴が開くような悪寒。胃液が逆流してくる嘔吐感。視界が歪み焦点が合わなくなる。


「あ゛っあ゛あ゛あ゛あ゛!」


 ライゲルは激しく身体を痙攣させ、白目を剥いた。額には大量の脂汗が浮かび、頬は紅潮している。次第に全身を炎で包まれたかのような灼熱感を覚え、歯を食い縛った。呼吸困難に陥り、肺を押さえつけられているような圧迫感で窒息死しそうになる。心臓は激しく脈打つが血液の循環は滞り、酸素不足により筋肉組織が破壊されていくかのような激痛の連鎖が続く。身体中を針金で巻きつけられてギチギチに縛られているようだ。苦しみに喘ぎながらも必死に堪えるしかない。


「先生....」


 フェリアは先ほどから魔族に対する本能的な恐怖で動けなくなっていた。ただライゲルを心配する眼差しを向けている。


「さてお嬢さん。ついでに君の病気を治しておこうか。ポーションでは治療なんてできないだろう。もちろん料金はいらないよ。タダだ」


 魔族は、動けずにいるフェリアを手招きする。だが彼女からしてみれば、とても信用できる相手ではない。先ほどからの残虐な行動を見るに、彼女の中でこの魔族の正体に関する推測は既に確定的となっていた。


「ああ、ひょっとして動く余裕も無いか?すまないすまない。我輩はあまり気を遣うのが得意ではなくてね。ほら、手を出してごらん。すぐに終わらせるから」


 魔族の言葉に従い、フェリアは両手を差し出す。彼女の顔色は蒼白であるが、それでも目だけはしっかりと魔族を見据えていた。彼女の脳内では様々な思考が錯綜している。


 魔族がフェリアの目線に合わせるべくしゃがみ込むのと同時に彼女の身体が震え始めた。怯えているのではない。未知なる存在に対する畏怖と緊張感による生理的な反応であった。ゆっくりと右手が伸びてくる。魔族の手の平が彼女の手に触れると同時に、眩い光が辺り一面を照らし出した。まるで朝日が昇ったかのような暖かい温もりを感じる。そして同時に、胸の奥底から何か熱いものが込み上げてくる感覚を覚えた。その感覚は彼女が持っていた息苦しさを一瞬にして吹き飛ばし、活力に満ち溢れた元気な自分を取り戻させてくれるものだということが分かった。


「あぁ……」


 フェリアは目を大きく開いた。先程まで身体のあちこちで感じていた不快感が消えていく。全身を包むような痛みや息苦しさが完全に消滅した。まるで生まれ変わったかのような爽快感を覚えていると、目の前にいる魔族がゆっくりと立ち上がった。


「これで君の病気は完治したよ。どうだね具合は」

「すごい……ありがとうございます」


 彼女は思わず感嘆の声を漏らした。ただ魔族に対する恐怖と警戒心は依然として顔に出てしまっていた。


「礼には及ばんさ。感謝されると、我輩の心が痛むからな」


 魔族は大袈裟に肩を竦めながら答える。そのわざとらしさがまた怖さに拍車をかける。


「さて……ライゲルの方はどうなったかな?」


 ライゲルのいた位置には大きな火柱が立ち昇っていた。まさか予期せぬ反応が発生しライゲルが燃え尽きたのではないかとフェリアは慌てて立ち上がった。だが魔族がそれを止める。彼女が振り向くと、魔族は不敵な笑みを浮かべていた。


「いや、安心したまえ。ゆっくり見ていろ....」


 その直後に火柱は収まり、中からライゲルが現れた。服装は以前とは異なり、教会の主官のような煌びやかな衣装となっている。赤色の髪は風に靡いて宙を舞い、紫水晶のような美しい瞳は、炎の光を受けて妖しく輝いていた。両腕には赤く小さな盾が装備されている。


「これが新たな力……」


 ライゲルは己の掌を眺める。体内で何かが沸騰するような熱を帯びた力が漲ってくる。それが彼の身体の隅々にまで行き渡っていることが理解できた。


「素晴らしい……素晴らしいぞ!精霊の活性化による魔力増幅……我輩の見立て通りの成果だ」

「これが……私ですか?」

「ああ!お前は今、精霊の力を得たことで大幅に能力が向上している。以前のお前とは比較にならないほど強靭な肉体!スキル!まさに最強と言っても過言ではない!そしてお前の中には、アルビオン教の教祖をも超える強靭な意志が宿った。さあ行って来い!」


 魔族の声に従いライゲルは水路へと足を踏み出す。水が蒸発し、地面が露出する。流れてくる水もすべてライゲルの熱気によって一瞬にして蒸発していた。そこに先ほどまでの弱々しく優しい彼の姿はない。


「ぐ、ふざけるなよ……魔族の癖に……!」


 クレメンスが動けないながらも魔族に対し罵詈雑言を浴びせていく。彼は恐怖していた。目の前の光景を受け入れることができない。あまりにも現実離れした状況だ。だがそんな彼を尻目に魔族は手に球体エネルギーを生成すると宙に捨てた。


「いでよ!サイクロプスよ」


 魔族の手から捨てられた球体エネルギーは空中に放り出され、そのまま破裂するように弾けた。その瞬間、辺りを白い煙が覆う。フェリアは反射的に目を塞いだ。その中から現れたのは、フェリアの6倍ほどの大きさを持つ巨人のような生物だった。その容姿は人間のそれに近く、頭部には一本の角が生えている。体長は3メートルほどだろうか。体躯に見合った筋肉量と体重がありそうで、巨漢の男性だと言えるかもしれない。その威圧感は凄まじく、見るものを圧倒する迫力があった。戦士のような格好をしており、手には大きなランスが握られていた。


「さぁサイクロプス、水路へ向かい、あのライゲルについていくがよい」


 サイクロプスは雄叫びを上げた。獣のような低い咆哮が響き渡る。耳が痛くなるほどの轟音に、フェリアは思わず耳を塞いだ。だがそれでもなお、その巨体が発する衝撃波は彼女の全身を痺れさせる。まるで心臓を鷲掴みにされたかのようだ。今までとは段違いの恐怖が襲ってくる。


「くそったれ……!なんでこんな奴が!」


 クレメンスは悪態をつくが、今の状況ではどうすることもできない。なす術もなく、ただ震えることしかできなかった。魔族は無言で宙に針のようなものを生成し、クレメンスの胸に突き刺した。クレメンスは静かに眠るように意識を失った。


「あなたは……どうしてそこまでできるのに.....」

「ふむ?」

「一人でみんなを助けないの?」


 フェリアは疑問をぶつけずにはいられなかった。ライゲル先生にあんな辛い思いをさせてまで、何故自分一人で動こうとしないのか。魔族はその問に苦笑した。


「そうだね……逆にお嬢さん目線で考えてみるとなんでだと思う?」


 魔族の問いかけに対して、フェリアは素直に答える。秘めていた推測をぶつけた。


「それは....あなたが魔王だから……」


 魔王。かつて人族にとって悪そのものである魔族を束ね、世界征服を目指す存在。人間社会における王や皇帝のような存在。およそ人類の敵であると言える。フェリアは彼の存在を、教典で何度か学んでいた。彼女の答えに対し、魔族は大きく頷く。その表情には喜びの色が浮かんでいた。

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