第六十六話 花屋さん
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日はお散歩の途中で、おかあさんへのプレゼントを選びたいと思います。
おかあさんは毎日お外に出ないで、ずっとおうちで私と一緒にいてくれます。いつも静かに見守ってくれるおかあさんに、ありがとうの気持ちを伝えたいのです。
おうちのリビングでは、おかあさんがいつもの天井の近くで、白いワンピースを着たまま、静かに揺れています。
真っ白なお洋服にきれいな色を飾ってあげたら、きっと喜んでくれると思います。
商店街の角に、『ハッピーフラワー』とピンク色の字で書かれた看板がありました。
ガラス戸の向こうには、色とりどりの束が並んでいます。お店の前からは、お砂糖を溶かしたお水みたいな甘い匂いと、鼻の奥が少しだけツンとする、古い鉄のような匂いが漂ってきました。
中に入ると、お店の人がにこにこして「いらっしゃいませ」と迎えてくれます。お口の動きと声のタイミングが、ほんの少しだけずれている気がしました。
入り口の近くの黒い桶には、切り花がざっくり挿してあります。根本は、どれもごわごわした麻の布で、隙間なく巻かれていました。そこから伸びる真っ白な茎は、私の腕よりもずっと太いくらいです。ちょんと触ってみると、麻の布の上から、ごつごつとした指の節のような硬いくぼみが一つだけわかりました。
なんだか窮屈そうに見えたので、私は長く見ないで、お店の奥へ進みました。
上を見上げると、天井からたくさんの束が、逆さまに吊るされています。
「ドライ、ですよ」
お店の人が、にこにこのまま教えてくれました。
紐で固く縛られた束が、いくつも揺れています。色の落ちた花びらや、しわしわに乾いた細い茎の端っこには、小さく乾いた番号の跡が残っているのが見えました。
部屋の空気はあたたかくて、カラカラに乾いています。足元の細い溝には、ぽた、ぽた、と赤いしずくが落ちていました。落ちる間隔が時計の針みたいにきっちり揃っていて、流れたお水は壁の暗い穴の奥へ静かに消えていきます。床を濡らさないように、丁寧に集められているみたいです。
時々、束の一本が、くたり、と力を抜くように動きます。そのたびに、ぎり、と紐が短くきしむ音がしました。同じタイミングで、隣の束も、一度だけ揺れました。
「お水が抜けるまで、乾かしている最中なんだね」
天井から揺れているのを見ると、おかあさんを思い出します。みんな、気持ちよさそうにお昼寝しているみたいで、かわいいです。
横の棚には、ガラスの器に入ったアレンジメントが並んでいました。
短い茎が、器の底の銀色の山に、まっすぐ刺さっています。その山には、お花の茎の数だけ、針が上を向いて尖っていました。倒れないように、みんなでぎゅっと寄り添っているようです。
器の底には、お水の代わりに、白くて丸い、ぷよぷよしたゼリーのような玉がたくさん敷き詰められていました。
玉の真ん中には、焦げ茶色や青っぽい、小さな丸い模様が入っています。よく見ると、玉の端のほうには赤い糸くずのような模様も浮かんでいて、とってもカラフルです。
私が覗き込むと、お水の中で玉がころころと転がり、模様の位置が少しだけ変わりました。お花が倒れないように、下から色んな方向を見守ってくれているのですね。器の底からは、とても甘くて重い匂いがしました。
そのとき、お店のガラス戸が開いて、背広のおじさんが入ってきました。
「桶のやつを一本、見繕ってくれないか」
「かしこまりました」
お店の人は桶に両手を突っ込むと、ずばぁっ、と一番太い茎を引き抜きました。根本から赤いお水がぼたぼたと床に滴ります。
茎の真ん中あたりが少しだけ曲がっていたので、お店の人は「枝ぶりを整えますね」と言って、曲がったところを両手でぐっと押しました。
こりっ、と小さな硬い音がして、茎がまっすぐになります。
お店の人はそれを透明なセロハンで手早く包みました。おじさんは嬉しそうに、大きな包みを肩にずっしりと担いで帰っていきました。
プロのお花屋さんは、手際よくお花の姿勢をきれいにしてあげるんだな、と私は感心してしまいました。
どれもきれいですが、おかあさんには、もっと特別なのがいいな、と思います。
お店の人を見上げると、にこにこのお顔のまま言いました。
「奥にも、とっておきがありますよ」
お口がぴたりと閉じてから、ワンテンポ遅れて、静かな声だけが聞こえてきました。やはり、お口の動きと声が少しだけずれているみたいです。
ピンク色のお花が描かれた扉の前まで案内されます。
お店の人がノブを回すと、開いたすき間から、表よりもずっと濃くて、むせそうな甘い水の匂いが漏れてきました。
足元を、あたたかくて重たい空気が、ぬるりと撫でていきます。
「とっておき」は、どんなお花なのでしょう。きっと、天井で揺れるおかあさんに、ぴったりのものが見つかるはずです。
胸の奥が、わくわくと鳴りました。
私は鞄の紐をぎゅっと握り直して、甘い匂いのする少し薄暗いお部屋へ、お店の人のうしろについていきました。




