第六十五話 ラーメン屋さん
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
お散歩をしていると、商店街の角に、大人の人たちがずらりと長い列を作っていました。
赤い暖簾がかかったお店から、とろりと重たい脂の匂いと、少し焦げたような甘い鉄の匂いがふわふわと漂ってきます。看板には『極太・濃厚』とだけ書かれていました。
並んでいる人たちは、だれも喋りません。うっとりしたようなお顔で、じっと暖簾の向こうを見つめています。手の中には、白い整理券が握られていました。
列の途中の人の口の端から、細くて白いものが、ほんの少しだけ覗いているのが見えます。
私も気になって、暖簾のすき間から、お店の中をそっと覗いてみました。
中は白い湯気でいっぱいで、お風呂みたいにむわっとしています。
ここはラーメン屋さんのようです。
カウンターには、お客さんがずらりと座っていました。みんな、真っ黒で大きなどんぶりの中に、お顔をすっぽりと埋めたまま、ピクリとも動かないのです。どんぶりからは、こぽ、こぽ、と何かを煮詰めるような音だけが聞こえてきます。
「わあ、すっごくおいしいんだね!」
私は感心してしまいました。みんな、お顔が離せなくなるくらい、夢中で食べているのです。
カウンターの奥で、腕の太い大将が「はい、次の方」と低い声で呼びました。
外で待っていた先頭のおじさんが、嬉しそうに小走りで店内へ入って、空いた席に座ります。
「へい、お待ち」
大将が、おじさんの前にどんぶりをドン、と置きました。
中には、どろっとした赤茶色のスープがなみなみと入っています。こぽり、と大きな泡が弾けると、底のほうに白くて太いものがぎっしりと絡み合っているのが見えました。
おじさんはただ、どんぶりをじっと見つめています。
すると、おじさんのお口の端から覗いていた細くて白いものが、ぴんと張って、どんぶりの中のスープへ向かって嬉しそうに揺れました。
そのとき、お店の奥から「あれ」が静かに出てきました。
「あれ」は、動かない隣のお客さんの背中を、ひょいと抱え上げました。
お顔のあたりは湯気で暗くてよく見えませんが、お客さんは両腕をだらりと下げたまま、「あれ」に抱っこされて、奥の暗いお部屋へと運ばれていきました。あんなに大きかった大人の人なのに、なんだか少し、小さく見えました。
お外にはまだたくさんのお客さんが並んでいるから、お店の人が、ゆっくり食べられる奥の広いお部屋へ順番に運んであげているのでしょう。
「おじさんも、いっぱい食べるといいな」
私がさっきのおじさんに視線を戻すと、おじさんはもう、どんぶりの中にすっぽりとお顔を埋めていました。
両腕をだらりと下げて、ピクリとも動きません。どんぶりのふちから、どろりとした赤茶色のスープがあふれて、カウンターを濡らしていました。
首のあたりから、じゅるり、じゅるり、と、何かをゆっくり吸い込んでいるような、甘くて重たい音が静かに響いています。
みんな夢中で食べているのに、私が覗いていてはお邪魔になってしまいます。
お店からそっと離れ、列の横を通り過ぎるとき、並んでいる大人たちの口の端の白いものが、お店の方へ向かって、ぴんと張っているように見えました。
お店の湯気をいっぱい浴びたからか、私のお口の端も少しだけむずむずします。
指で拭うと、短くて細い、真っ白な糸のようなものが一本くっついていました。
「あ、麺の赤ちゃんが飛んできたのかな」
私の指先でくねくねと動くそれを、私は指の腹でプチッ、と潰しました。
おうちに帰って、暗い窓ガラスに映った自分の顔を、一度だけ覗き込みました。
お口の周りには、もう何もついていません。
ただ、指の腹にだけ、ほんのり温かくてしっとりした感触が残っています。
たくさん並んでいた人たちは、きっと今ごろ、奥の広いお部屋でお腹がいっぱいになっているのでしょう。
お腹がまんまるになるまで、おいしい白い麺をいっぱいに詰め込んでもらって、幸せに眠っているかもしれません。
静かなお部屋にいるのに、私の耳の奥では、まだあの「じゅるり、じゅるり」という、おいしそうなお汁の音が響いています。
幸せそうなみんなのお顔を想像していると、なんだか私まで、お口の中によだれがたまってしまうのでした。
この街は、お腹が空いても、寂しくても、ちゃんとおいしいお店が待っていてくれるのです。




