第六十三話 おせわ
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
お散歩をしていたら、一軒の大きなおうちのドアが開き、廊下の奥からおばさんの顔が出てきました。
私を見て、大きな笑顔を浮かべてくれます。
「マシュマロちゃん、ちょうどよかったわ。急なお買い物があるのだけれど、うちのあかちゃんが、そろそろ目を覚ます頃なの。少しだけ、お部屋で見ていてくれないかしら」
私は胸を張って、「うん、いいよ!」とお返事しました。生き物のお世話をするのは得意なのです。
案内されたお部屋は、厚いカーテンがぴっちりと閉まっていて、白いお砂糖みたいな、甘くて優しい匂いでいっぱいでした。奥のほうに、少しだけ鉄のような匂いも混ざっています。
「危なくないように、外から鍵をかけておくわ。私が戻るまで、ここで待っていてね」
おばさんがドアを閉めると、廊下のほうから、ガチャリ、と重たい音がしました。悪い人が入ってこられないので安心です。
お部屋の真ん中には、白いレースがたくさんついた、車輪つきの大きなゆりかごが置いてありました。
ゆりかごの周りの床には、壊れたおもちゃがいっぱい散らかっています。
白くて硬い棒がポキポキと折れたものや、先っぽにツヤツヤした薄い貝殻がついた、小さな枝のようなものが転がっていました。隅っこには、真ん中に黒い模様がある、ぷにぷにした白いビー玉みたいなものも二つ落ちています。
あかちゃんが、散らかしてしまったのでしょう。踏んで潰さないように気をつけて歩きました。
ゆりかごを覗き込むと、ふんわりとかけられた白い毛布の真ん中だけが、大きなお芋みたいに丸く盛り上がっていました。端っこは、すとんと平らになっています。おくるみで、まんまるに包んでもらっているのでしょう。
「うー……、うむぅ……」
毛布の下から声がしています。丸い山が、もぞもぞと細かく震えました。もう目を覚ましていたみたいです。
「よしよし、わたしとお留守番しようね」
私が優しくぽんぽんと撫でてあげると、毛布がビクッと大きく跳ねて、「んむぅっ!」と鼻を鳴らしてくれました。毛布の端のほうが、じわりと温かく湿っています。お漏らししてしまったのかもしれません。
そのとき、壁の向こうから、ずしん、と重たい音が響きました。
壁の低いところに、小さな窓がついています。その向こうの暗いところから、ジャラ、ジャラ、と太い鎖が擦れる音と一緒に、「あー、うー」という、大きくて湿った声が聞こえてきました。
すき間から、白くて丸太みたいに太い腕が一本、ぬっと出てきました。
ゆりかごのほうへ一生懸命に伸びていますが、少し距離があるので届きません。床を手探りするたびに、落ちていた白い棒のおもちゃが、カラン、と乾いた音を立てて転がりました。
壁の向こうから、ぎゅう、ぎゅう、と喉を鳴らすような、甘えるような声が響きます。
私は、はっと気がつきました。
壁の向こうのお部屋にいる誰かが、あかちゃんを抱っこしてあげたいのに、手が届かなくて困っているのです。
「いま、近くにしてあげるね」
私はゆりかごの車輪についていた留め具をパチンと外して、小さな窓のほうへ、ごろごろと押してあげました。
ゆりかごは、私ひとりでは押すのが大変なほどずっしりと重たいのです。きっと毎日ミルクをいっぱい飲んで、すくすく大きくなったのだと思います。
壁に近づくにつれて、毛布の下の子が、急にガタガタと激しく揺れ始めました。
「んーっ! んむぅーっ!!」
ゆりかごがきしむくらい、とっても元気な声です。
「もうすぐ抱っこしてもらえるよ、よかったね」
ゆりかごが小さな窓のすぐ前に届いた瞬間、白い毛布がふわりと跳ね上がりました。
窓の近くで、ゴツン、と重たい音がひとつ鳴って、毛布の下にいた子は、あっという間に暗い奥へと消えてしまいました。
「わあ、そんなに急がなくても大丈夫だよ。よっぽど抱っこしてほしかったんだね」
ゆりかごの底には、少しだけ赤くにじんだ白い毛布が、ぺたんと落ちました。中はすっかり空っぽです。
壁の向こうから、ごく、ごく、と大きく喉を鳴らす音が聞こえてきました。
小窓から、鉄のような匂いと混ざった、甘くて温かい湯気のようなものがふわっと漂ってきます。
しばらくすると、鎖がじゃらりと短く鳴って、そのあとは、すぅ、すぅ、と大きな風船が膨らんだりしぼんだりするみたいな、穏やかな寝息に変わりました。
「お隣の広いお部屋で、ミルクをいっぱい飲ませてもらったんだね。お腹がいっぱいになって、すぐにねんねしちゃったみたい」
私は空っぽになったゆりかごの中の毛布を、きれいに畳んであげました。あかちゃんがいなくなって少し寂しいけれど、気持ちよさそうに眠っているなら安心です。
やがて、廊下のほうから、みしり、みしり、と床が深く沈むような音が近づいてきました。
ガチャリとドアの鍵が開いて、お買い物袋を指先でつまんだおばさんが、お顔をぐっと低くして入ってきました。
天井の明かりが隠れて、あたりがすっと暗くなります。
おばさんは、壁のすぐそばまで動いたゆりかごと、畳まれた毛布を見下ろして、目を丸くしました。
壁の向こうから聞こえる大きな寝息に耳を澄ませて、ふわりと優しい笑顔になります。
「まあ……マシュマロちゃん。かごを運んでくれたのね」
「うん! あかちゃん、急いでお隣のお部屋に入っていったよ」
おばさんは嬉しそうに目を細めて、床に転がっている白い棒や丸いおもちゃをちらりと見ました。
「いつもはぐずって散らかしてしまうのに、今日は残さずきれいに飲めたのね。マシュマロちゃんがお世話してくれたおかげだわ」
おばさんは、お礼にピンク色の丸いキャンディを一個くれました。
お口に入れると、お部屋の白い粉と同じ、甘くて優しい味がします。
私は誇らしい気持ちでお外へ出ました。
石畳の道から振り返ると、おうちの壁の低いところにある通気口から、すぅ、すぅ、と白くて温かい息がリズムよく吹き出していました。まるでおうち全体が、お腹を揺らして気持ちよさそうに眠っているみたいです。
厚いカーテンのすき間からは、おばさんのお顔が半分だけのぞいて、こちらを優しく見下ろしていました。
私は小さく手を振ってから、お口の中のキャンディをコロコロと転がします。また今度、あの子に会いに行ってあげようと思いました。




