第六十一話 仮のおうち
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
通りを歩いていると、ト、ト、と杖をつく音が聞こえました。
「ヒナちゃん、こんにちは。これから、新しいおうちへ帰るの?」
私が声をかけると、ヒナちゃんは振り返って、小さく頷きました。
胸にある羽根のバッジは、綺麗な白色です。前に会った時より、お顔の色が良くなっていました。
「おうち、遊びにいってもいい?」
「……はい。道、少し遠いですけど」
ヒナちゃんが優しく言ってくれたので、私たちは一緒に歩き出しました。
ハッピーニュータウンのアーチをくぐると、石畳が足の裏でむにゅっと沈みます。
楽しそうな家族の笑い声があちこちから聞こえてきますが、それはお家の中からではなく、道端に立つ高いポールの上についた、四角い箱から流れているのでした。
しばらく歩くと、番号のふられたお家の前につきました。表札には、ヒナちゃんの名前がうっすらと書いてあります。
お隣の窓際には、にこにこ笑顔の人たちが、前と同じ向きのままぴったりくっついていました。
ヒナちゃんがドアノブに手をかけます。カチャ、と冷たい音がするだけで、ノブは回りません。
「中にだれかいるみたい。ヒナちゃんの鍵、まだなのかな」
私が言うと、ドアの向こうから、くちゃ、と粘りけのある音がしました。なにかが床を滑る音がして、天井のほうから「おかえりなさい」という声が一度だけ流れました。
ヒナちゃんは杖で玄関の段をト、と叩いて、ドアノブから手を離します。
「……住所は、あります」
ヒナちゃんは俯いて、杖の先で地面をなぞりました。
「でも、準備ができていないみたいです」
「そっか。ヒナちゃんのこと、楽しみに待っててくれてるんだね」
私が笑うと、ヒナちゃんは辺りを少し気にするように顔を動かしました。
「……ここは、あまり落ち着かないので。私が今、待たせてもらっているところへ行きましょう」
ヒナちゃんは小さく言って、歩き出しました。
お家から少し離れたところに、窓のない小さな四角い建物がありました。
入り口に、かたい字で『処理待資源仮置場』と書いてあります。
「むずかしい字が書いてあるね」
「……そうなのですか?」
中に入ると、お薬の甘い匂いがいっぱいのお部屋でした。
「病院みたいな、甘くて清潔な匂いがするね」
「……はい。たくさん洗い流した匂いがします」
「床の真ん中に、お水を流すための穴があるよ。便利そう!」
私が言うと、ヒナちゃんは杖で床を確かめました。
「……でも、隅のほうは、少し靴がくっつきます」
床には、破れた布や、番号の書かれた札、片方だけの靴、髪の毛が絡まった櫛などが、あちこちに散らばっています。
「きっとみんな、新しいお家に行くときに、慌ててお着替えして忘れちゃったんだね」
私が言うと、ヒナちゃんはベタベタしていない場所に座って、大きくため息をつきました。
「……そう、かもしれませんね」
ふと見ると、お水を流す丸い穴のそばに、小さなバッジが一つ落ちていました。
ヒナちゃんの胸にあるのと同じ、羽根の形です。でも、色はひどくくすんでいて、ねずみ色に沈んでいました。
「これ、ヒナちゃんと同じバッジだね。ちがう色だけど」
ヒナちゃんは杖の先でコン、とバッジの位置を確かめました。
バッジのふちには、黒くてカピカピしたものがこびりついています。
「チョコレートみたいなのがくっついて、固まってるよ」
「……マシュマロちゃん」
ヒナちゃんが、すこし震える声で言いました。
「……それは拾わないで、そっと、そのままにしておいてください」
「うん、わかった。落とした人が、探しに来るかもしれないもんね」
外から、コツ、コツ、と硬い足音が近づいてきました。
その瞬間、ヒナちゃんの杖についているガラスの飾りがぐるんと回って、中の青いおめめが真っ赤になりました。
入り口に現れたのは、ひらひらのドレスを着た、綺麗な女の人です。飾りの真っ赤なおめめは、女の人をじっと見つめています。
女の人はすこしだけ足を止めて、ふふっと上品に笑いました。
「あら、相変わらず怖い番犬がついているのね」
それからヒナちゃんを見て、にこにこしながら、優しく首をかしげました。
「まだお家に入れなくて、ここにいたの? 本当に可愛い子ね」
ヒナちゃんはビクッと肩を揺らして、杖をぎゅっと握りしめながら、深く頭を下げました。
女の人は私のお顔にも気づくと、パッと嬉しそうに目を細めます。
「まあまあ! 特別なお友達もいるのね! それなら、どうぞごゆっくり」
女の人は、じっと見つめてくる真っ赤なおめめを避けるように、少しだけ離れたところへしゃがみこみました。持っていた綺麗な紙袋から、白くて繋がったおやつを丁寧に取り出します。そして、ヒナちゃんの袋のそばに、並べるように置いてくれました。
「たくさん食べてちょうだい。せっかく羽根バッジをつけているのだから」
「……はい。ありがとうございます」
ヒナちゃんが震える声でお礼を言うと、女の人は満足そうに微笑んで、歩いていきました。
お家に入れなくて困っているヒナちゃんを助けてくれている、とても親切な人みたいです。
お日様が傾いてきたので、私たちは外に出ました。
帰り道、ヒナちゃんのお家の前まで戻ってきましたが、ヒナちゃんはもう、ドアノブには触りません。
「今日は、まだ準備中みたいだね」
「……はい。また、今度にします」
中からはもう何の音もせず、ヒナちゃんの名前が書かれた表札だけが、静かにそこでお留守番しています。
通りの角で、ヒナちゃんと別れました。
夕方の光を受けて、胸の白い羽根が、きらりと綺麗に光っています。
「ヒナちゃんの羽根、とってもきれいだね」
私が言うと、ヒナちゃんは嬉しそうに小さく頷きました。
「また、遊びにきてくださいね」
カサリ、と袋の鳴る音が遠ざかっていきます。
ヒナちゃんのお家の鍵がいつ開くのか、あの看板の字がなんて読むのか、私には分かりません。
でも、ヒナちゃんに立派な住所があるのは、とっても素敵なことだなと思います。
私は一人で、自分の家族が待つおうちへと、石畳の道を歩きはじめました。




