第五十九話 リーヴおばさま
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
ある日、石畳の通りをお散歩していると、角のところで、シルクハットに燕尾服を着たマリスさんと、黒いドレスのノワールさんを見かけました。お二人の前には、この間のバスでご一緒した、上品なおばさまが立っています。
ノワールさんは、ドレスの裾をぎゅっと握りしめて、息を止めるようにガチガチに緊張していました。お顔を真っ青にして、うつむいたままピクリとも動きません。でも、私に気づくと、ふっと安心したように少しだけ表情を緩めてくれました。
マリスさんは、いつものようにステッキを持って優雅にお辞儀をしています。
「マダム・リーヴ。次回の『至福のマジックショー』も、極上の魔法をご用意しております。ぜひ特等席をご用意させてください」
「ええ、楽しみにしているわ、ヴィクター・マリス。あなたの芸術は、いつも良い退屈しのぎになるものね」
リーヴおばさまがレースのお扇子でお口元を隠して微笑むと、マリスさんは片目を細めてから、ふと、私の方を見ました。
「おや、これはこれは……マダム・リーヴ、こちらは私の小さな友人、マシュマロちゃんです」
マリスさんの言葉に、リーヴおばさまがゆっくりと私の方を見下ろしました。
「あら。あなたは、この間のバスでご一緒したお嬢さんね」
「こんにちは、リーヴおばさま!」
私がスカートの裾をすこしだけつまんで、お行儀よく頭を下げると、リーヴおばさまはふわりと目を細めました。
「まあ。ご挨拶がきちんとできる、礼儀正しいお嬢さん。本当に良い子ですこと」
おばさまは、私のお辞儀がとても気に入ったみたいです。
「これから、小さなお買い物に行くのだけれど。あなたもついていらっしゃる?」
「いいんですか? 行きたいです!」
マリスさんは「我々は次のショーの準備がありますので」と帽子に手を当てて深くお辞儀をし、ノワールさんも慌てて、折れ曲がるくらい深く頭を下げました。
お二人とお別れして、私はリーヴおばさまと一緒に通りを歩き出しました。
少し歩くと、香水屋さんの前を通りかかりました。
ショーウィンドウには、立派なライオンさんの蓋がついた大きな香水瓶と、その周りにいくつも転がった、可愛いウサギさんの蓋が飾られています。
「ウサギさんの香水……どんな香りだったんだろう」
私が小さく呟いたのに気づいて、リーヴおばさまはクスリと笑いました。
「あなたが今、嗅いでいる香りよ」
リーヴおばさまがレースの扇子を優雅に揺らすと、ふわりと、か弱くて甘い香りが少しだけ強くなりました。
おばさまはショーウィンドウを見て、優しく微笑みます。
「私の要望で、調香していただいたの。店主の方は、使った材料の数だけ、ウサギの蓋を飾ったみたいね。……『従順な侍女たち』という香水よ」
「わぁ……! たくさんのおはなしが、ひとつになったのですね!」
「ええ。とてもよく仕えてくれているわ」
私たちはお店には入らず、そのまま前を通り過ぎました。
やがて、とっても高級そうな標本のお店に着きました。
古い本のような乾いた匂いと、ほんの少しだけ、鉄の粉のような匂いがひんやりと漂っています。
店の中には、静かな光に照らされて、綺麗な石がたくさん並べられていました。
店主のおじさんは、リーヴおばさまのお顔を見るとハッと姿勢を正し、深くお辞儀をして歓迎してくれました。
「わざわざお知らせ、ありがとう。例のものが入ったそうね」
「ええ。マダムに真っ先にご覧いただきたく存じまして……」
おじさんは嬉しそうに頷いてから、おばさまの隣にいる私を見て、ほんの一瞬だけ、パチクリと不思議そうにおめめを丸くしました。
でもすぐに、私にもにっこりと微笑んでくれました。
「品物を落とさないように、気をつけて見てくださいね。中のものが、びっくりしてしまいますから」
棚には、不思議な石がたくさんありました。
ピンク色の結晶を、私が手を後ろに組んでお行儀よく眺めていると、店主のおじさんが「触れてみますか?」と優しく声をかけてくれます。
私が指先を押し当てると、石なのにほんのり温かくて、少しだけぷにっとした気がしました。
まっ黒でツヤツヤした鏡のような平たい石は、のぞき込んでも私のお顔は映りません。代わりに奥のほうに、歯ぐきまで見える見知らぬ大きな笑顔が薄く映って、私が動くとすぐにフッと消えてしまいます。
さらに奥には、半分に割れた、小さな洞窟みたいな空洞のある灰色の石がありました。
中を覗き込むと、底のほうに並んだ四角い結晶は、どれも真ん中が柔らかそうにへこんでいます。上のほうからは、銀色に光る細い輪っかのような結晶が、いくつもぶら下がっていました。
「わあ、ちっちゃなバスの石だ!」
私が言うと、リーヴおばさまは少しだけ目を細めて、「あら、本当に。とても良い形をしているわ」と頷きました。
店主のおじさんは、それを聞いてニコニコと笑いました。
「さすがはマダム、お目が高い。素晴らしい目利きでいらっしゃいますね」
すると、リーヴおばさまの綺麗なおめめが、すうっと冷たく、つまらなさそうな色に変わりました。
おじさんはハッとして、「あ、いえ、その……マダムの素晴らしい美意識には、いつも感服させられるということでございまして……」と、少し慌てたように言葉を足しました。
リーヴおばさまは何も言わず、お店の奥のほうへ視線を移して、静かに言いました。
「それで……お願いしたものは、用意して下さっているのかしら?」
「ええ、もちろんでございます、マダム」
店主のおじさんはお辞儀をすると、奥の重たい扉を開けて、小さなビロードの箱を大事そうに運んできました。
箱の中には、はちみつ色をした、透き通った綺麗な石が入っていました。
中には小さな羽根の一部が、きゅっとよじれたまま閉じ込められています。
店主のおじさんは、おばさまに内緒のことを伝えるみたいに、静かな声で言いました。
「市役所にもお出ししていないお品です」
「わあ、石の中に、可愛い羽根が眠ってる!」
私が言うと、リーヴおばさまはふたたび満足そうに頷き、お財布から金色のメダルを取り出しました。
チャリン、チャリチャリ……と、重たくて綺麗な音が鳴ります。
あのメダルは良い子のご褒美にもらえる特別なものなのに、たくさん持っているなんて、リーヴおばさまは、とってもすごい人なのでしょう。
お店を出ると、リーヴおばさまは太陽の光の下で、ビロードの箱を開けました。
はちみつ色の石を指先でそっとつまんで、光に透かしながらうっとりと眺めます。
中に入った白い羽根は、ずうっと昔からそこだけ時間が止まっているみたいに、静かに眠っていました。
「羽根のバッジは見たことあるけど、羽根の石もあるんですね」
私が言うと、おばさまはクスリと笑って、レースのお手袋をした指先で石の表面を優しく撫でました。
「街に石畳が敷かれるよりもずっと前から、この石は存在するのよ。私のお部屋の窓辺に、とてもよく似合うと思うわ。……それじゃあ、ごきげんよう、礼儀正しいお嬢さん」
「さようなら、リーヴおばさま!」
私が手を振ると、おばさまは石を箱にしまい、そのまま優雅な足取りで見えなくなりました。
足元の石畳は、いつも通りの静かな色をしていました。
どれも同じ形をしていて、隙間なくぴったりと繋がっています。
ふと、香水屋さんのショーウィンドウに転がっていた、金色のウサギさんの蓋を思い出しました。
この石畳も、きっと材料の数だけ作られたのでしょう。
石のひとつひとつに、物語があるのかもしれません。
私はその表面を少しだけ強く踏みしめてから、またお散歩の続きを歩き出しました。




