第五十五話 訓練
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
大通りを歩いていると、前のほうから、ちりん、じゃらっ、と鈴の音が聞こえてきました。
見ると、「あれ」がおにいさんやおねえさんたちを長い列にして、どこかへ案内していました。みんな、首や手首にお顔の形の鈴をつけていて、何度も後ろを振り返っています。列から外れて迷子になりそうになる人が出るたび、鈴が高い音で鳴るのです。
「なにかのイベントかな?」
私はわくわくして、少しだけ背伸びをしながらその行列を眺めました。おにいさんたちはなんだかそわそわしていて、みんなで遠足に行くみたいです。
少し離れたところに、黒いロングコートの夜警さんが立って、列を見ていました。襟には、にこっと曲がった笑顔のおばけバッジがついています。私が前にプレゼントしたものを、大事につけてくれているのです。
「夜警さーん!また会えて嬉しいな!」
私が手を振って駆け寄ると、氷みたいに冷たかった灰色の目をすっとやさしく細めて、丁寧にお辞儀をしてくれました。
「マシュマロちゃん。こんにちは。本日は、あちらのお会場のご確認のお仕事で来ています」
「お仕事、おつかれさまです。みんな、どこに行くの?」
夜警さんは顎に手をあてて、ちょっとだけ間をあけてから教えてくれました。
「あれは……そうですね。大切な、基本の動き方を学ぶためのお勉強に向かっているのですよ」
物語を聞かせてくれているみたいな、とてもおだやかな声です。
「なんだか楽しそう!」
みんなで並んでお勉強なんて、とっても素敵なイベントです。
「私も、見学していいですか?」
私が両手を合わせてお願いすると、夜警さんはぴたりと動きを止めました。
少しだけ、静かな時間が流れます。
夜警さんは、そわそわしているおにいさんたちの列を無表情で一瞥してから、長い指先で、コートの裾を一度だけ整えました。
「……ええ。お約束を守っていただけるなら」
夜警さんは再び私へ向き直ると、ほんの少しだけ首を傾けて、やわらかく言いました。
「マシュマロちゃんにご万一のことがあってはいけませんので。よいこで学んでいただけるとお約束できるなら……ご一緒いたしましょう」
「わあ、本当? お約束する!」
私が嬉しくてその場でぴょんと跳ねると、夜警さんの口元が、バッジのおばけと同じくらい、やさしい形にふわりと緩みました。
列の先にある白い建物は、まるで大きなお菓子の箱みたいでした。
入り口にはパステルカラーのお花やふんわりしたリボン、キラキラのお星さまがたくさん飾ってあります。ピンク色のアーチの上に、まるい字で『よいこの訓練会場』と書かれた看板が掲げられていました。
建物の周りには、紺色の制服を着た警察さんが何人も、等間隔でぐるりと立っていました。
腰のあたりからピンク色のふにゃふにゃした長いひもをたくさん垂らして、おにいさんたちが列から外れないように、じっと見守ってくれています。
夜警さんと私が並んで歩いているのを見て、腰のひもが、びくりとうねりました。夜警さんもほんとは、あそこで一緒に見守りをするお仕事だったのかもしれません。
「夜警さん、お仕事、お休みしてよかったの?」
私がすこし申し訳なくなって見上げると、夜警さんは涼しい表情のまま、入り口の横にあった大きな販売機の前で立ち止まりました。にこにこ笑う子どもたちの絵が並んでいます。
夜警さんが『げんき』のボタンを二つ押すと、奥のほうでゴリゴリという音がしたあと、『きゃああっ!』という元気で楽しそうな声がして、あたたかい紙カップが二つ出てきました。
夜警さんはそのうちの一つを、そっと私に差し出してくれました。
「どうぞ、マシュマロちゃん。私たちはご見学ですから、のんびりと参りましょう」
「わあ、ありがとう!」
私が両手でカップを受け取ると、夜警さんはご自分のカップを片手で持ちながら、並んでいる警察さんたちを冷たく流し見ました。
それから、私の背に合わせてすっと身をかがめると、ないしょのお話をするみたいに、イタズラっぽく目を細めます。
「あのようなお仕事は、お警察の皆様にこそお似合いです。私は、マシュマロちゃんをご案内するという素敵なお言い訳ができて、むしろ感謝しているくらいですよ」
「ふふっ、夜警さんったら」
私たちはあたたかいお飲み物をふーふーしながら、仲良く並んで建物の入り口をくぐりました。
列の最後の人が入ると、ガシャン! と、重たい扉が閉まりました。お外の音に邪魔されずにお勉強できるように、気配りがされているのでしょう。
見渡すと、キャンディの包み紙みたいにカラフルな壁が、天井からの光でぴかぴかと明るく照らされています。
高いところにあるスピーカーから、ざざっ、という音と一緒に、案内が聞こえてきました。
『よいこの訓練を始めましょう。それぞれの判断で進んでください』
最初のお部屋は、天井から白い煙がもくもくと降り注いでいて、足元がちっとも見えません。
おにいさんたちは慌てて、床に這いつくばるように低い姿勢になりました。
すると、煙の底のほうで、しゅるり……と何かがうねるような音が近づいてきます。
煙越しにぼんやりと、太くて黒いものがしゃがみこんだ人たちの体に絡みつき、壁の奥の暗がりへと連れていってくれているのが見えました。
壁の向こうからは、「ひぃっ!」「ああっ!」という、とても楽しそうな声が響いてきます。くちゃ、くちゃ、と泥んこ遊びをするような音や、ボキッ、と木の枝を折るような音も混ざっていました。
「壁の奥に秘密の場所があるんだ!すごいかくれんぼのしかけ!」
私も真似してしゃがもうとすると、夜警さんが前にすっと立ちました。長いコートの袖が、煙をふわりと遮ってくれます。
「マシュマロちゃん。しゃがむと、せっかくのお飲み物がこぼれてしまいますよ」
「あ、ほんとだ。よいこは、背筋を伸ばして歩かなくちゃね」
夜警さんに言われた通り、お顔を上げて歩いてみると、煙はキャンディみたいにほんのり甘い匂いがするだけで、吸い込んでも少しも苦しくありませんでした。
靴のすぐ横で、またしゅるっ、と音がして、壁の奥の場所へかくれんぼしに行く人が増えていきます。
夜警さんは、姿が見えなくなった人たちには見向きもせず、片手で持ったご自分のカップから、コクリと一口味わっていました。
次のお部屋は、ぐらぐらと激しく揺れていました。
天井からは、パラパラと乾いたほこりが落ちてきます。
お部屋の床には、机がたくさん固定されていました。
それを見た人たちが、安心したように、大急ぎで机の下へ潜り込みます。
「こんなに揺れてるのに、なんでのんびりしてるんだろう?」
私が不思議そうに首をかしげていると、夜警さんはご自分のカップを指先でつまんでから、私をふわっと優しくだっこしてくれました。
「マシュマロちゃん。私たちはお早めに進みましょうね」
おだやかな声でそう言うと、夜警さんは、すうっと地面を滑るように、音もなく歩きはじめました。
「うん、あぶないものね!」
彼の胸に顔を埋めながら、ふと上を見ると、天井がずいぶん低くなっているような気がしました。きっと、背の高い夜警さんがだっこしてくれているからでしょう。
私たちが、次のお部屋へ続く扉をくぐった直後でした。
後ろで、ドガァン!と、大きくて重たい音が響きました。
扉の向こうから、ぶわっと強い風が押し出されてきて、私の髪を揺らします。少しだけ、ほこりっぽい匂いがしました。
「わあ、すっごく大きな音! おおきな積み木が倒れたみたい!」
私が言うと、夜警さんは後ろを振り向くこともなく、少しだけ肩を揺らして笑いました。
「ええ。お机の下にいた方達は、さぞ驚かれたかもしれませんね」
夜警さんは私をそっと床におろすと、私の頭をぽんぽんと優しく撫でてくれました。
私はこくりと頷き、夜警さんと一緒に次のお部屋へ歩き出しました。
次のお部屋に最後の人が入ると、後ろで、ガシャン! と重たい扉が閉まりました。
壁の丸い穴からごうごうと、すこし酸っぱい匂いのお水が流れ込んできます。お水が床にこぼれると、しゅわしゅわと白い泡が立ちました。
お部屋の真ん中には、たった一人しか立てないような、細くて高い台が一つだけありました。
おねえさんやおにいさんたちが一斉にその台へ群がります。みんなでお互いのお洋服を掴んでぎゅっと引っ張り合い、突き飛ばされて台から落ちた人が、泡立つお水の中で「ぎゃああっ」と激しくしぶきを上げて遊んでいました。
「椅子取りゲームのお水遊びだ! 私も、台が空いたらあとで仲間に入りたいな」
私が順番を待とうと一歩下がったとき、私の背中側で、雑音の混じった声が流れます。
『良いお所作です』
壁の一部がすっと音もなく開きました。
夜警さんがやさしく微笑んで、私を中へ招き入れてくれます。
中は乾いていて、ふかふかの椅子が二つ置いてあります。
「あちらは少し賑やかすぎるようですから。私たちは座って、ゆっくりとお茶会でもしながら待ちましょうか」
夜警さんに勧められて、私たちは向かい合って座りました。そして、カップに残っていたあたたかい『げんき』を、ゆっくりと味わいます。
外からは、どぶん、どぶん、と激しくお水を掻く音や、ごぼっ、というくぐもった声が聞こえてきます。
「外のみんな、楽しそうにしてるね」
私が言うと、夜警さんは静かに頷いて、飲み物を一口飲みました。外の音なんて、まったく気にしていないみたいです。
「ええ。ですが私にとっては、あのようなお遊戯よりも……マシュマロちゃんとこうして穏やかな時間を共有することのほうが、ずっと素敵なイベントですよ」
夜警さんは灰色の目を細めて、満足そうに言いました。
外の音がすっかり静かになってからお部屋を出ると、高い台の上にはもう誰もいませんでした。
先へ進むと、長くてまっすぐな廊下に出ました。
突き当たりの奥の扉は、すこし暗い色をして、横になにかのメーターがついています。
上の看板には『ゴールおめでとう』という文字と、旗を振るかわいいウサギさんの絵が描かれていました。
そのとき、私たちより先にお部屋を抜けていた一人ぼっちのおにいさんが、「ああっ!」と大きな声を上げて、ゴールの扉に向かって駆け出しました。
危ないと思って、私は思わずおにいさんの背中へ声をかけました。
「おにいさん、よいこは廊下を走ったらだめだよ!」
でも、おにいさんには私の声なんてぜんぜん聞こえていないみたいです。靴をバタバタと鳴らして、まっしぐらに走っていきます。
おにいさんが勢いよく扉の中へ飛び込むと、横についていたメーターの針が右へぐんと大きく揺れて、ガシャン!と重たい音をたてて扉が閉ざされました。
扉の向こうから、ガリガリガリッ!と何かをこする音や、大きなクラッカーが何度も弾けるような音が響いてきました。おにいさんの「ひゃああっ!」という喜びの声が、まるでお祭りみたいに混ざります。
「わあ、すごく賑やかなファンファーレだね!」
私が目を輝かせると、夜警さんはすっと私の前に立ち、ゆっくりと頷いてくれました。
「私たちは、あの音が鳴り終わるまで、ここで待っていましょうね」
しばらくすると、カチャリ、と音がして、扉がすうっと開きました。
夜警さんにエスコートされてのんびりと中に入ると、お部屋の壁や床には、つやつやとした真っ赤な水玉模様が一面に散りばめられていました。
ところどころに赤いリボンのような飾りもくっついていて、とっても可愛い空間です。
おにいさんの姿はもうどこにもありませんでした。
「おにいさん、もうおうちへ帰ったんだね」
夜警さんは否定しません。やさしい笑顔のまま、私をそのままお外へ導いてくれました。
お外に出ると、入り口にあった長い列は、もうどこにもありませんでした。
夜警さんが私の背に合わせてすっと身をかがめ、おだやかな声で言ってくれました。
「お疲れ様でした、マシュマロちゃん。今日も無事にご案内できてよかったです」
「うん! みんな、とっても真剣にお勉強してたね」
私が言うと、夜警さんは微笑みながら、ご自分の襟元についたおばけのバッジに、そっと触れます。
「では、お気をつけてお帰りください」
優雅なお辞儀をしてから、別の角へすうっと音もなく滑るように消えていきました。
暗がりへ溶けていく黒いコートの中で、襟のおばけのバッジだけが、最後まで楽しそうに笑ってくれているように見えました。
「ばいばーい、またね」
私は、見えなくなった夜警さんに向かって、もう一度だけ大きく手を振りました。
おうちへ向かってひとりで歩いていると、道の向こうから、回収屋さんの大きなトラックが走ってきました。
すれ違ったトラックの荷台には、真っ黒な箱がぎっしりと積まれています。
私がさっきまでいた、あのかわいい建物のほうへ向かって遠ざかるエンジン音を聞きながら、すこしだけ不思議に思いました。
背筋を伸ばして歩く。
危ない場所でのんびりしない。
順番を譲りあう。
廊下を走らない。
なんで皆さん、当たり前の事をしなかったのでしょう?
でも、今日のお勉強会に出た人たちは、きっともう大丈夫だと思います。
私は、もうすっかり空っぽになってしまった紙カップを両手で持ちながら、ふふっ、と笑いました。
ここは大切な事を教えてくれる、とっても優しい街なのです。




