第五十一話 定期検診
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日はクリニックに行くお約束の日です。
ショコラくんにまた会えると思うと、うれしくて胸の奥がふわふわします。ピンクのワンピースでおめかしをして、棚に飾ってある金色のボタンをちらりと見てから、小さなお靴の音を立ててお外に出ました。
広場のはずれに、お城みたいな大きな建物が見えてきます。壁はあたたかくて、赤くて細い模様がたくさん描かれています。丸い窓が、いつもより多く開いていました。
定期検診の日だからでしょうか。今日は入口が最初から大きく開いていて、奥の薄暗いところまでずうっと見えています。
クリニックの前に、ショコラくんが立っていました。私の姿を見つけると、ぱあっと表情が明るくなります。
「おはよう、マシュマロちゃん。また会えてうれしいな」
「おはよう! 私もとってもうれしい」
二人で笑い合っていると、「あれ」に連れられたおにいさんやおねえさん達がやってきました。
屋根の上から伸びている煙突のお掃除に、来てくれたみたいです。
「あれ」にお手伝いしてもらって、でこぼこした内側へ、足から先へ潜っていきます。
「ひゃああっ!」と楽しそうな歓声が聞こえました。
「手足をあんなにたくさん動かして、熱心にお掃除しているね。えらいなあ」
ショコラくんがしきりに感心しています。お掃除の人が奥へ入っていくたび、丸い窓がぱたんといくつか閉まりました。お仕事のじゃまにならないように、風をよけてあげているのだと思います。
広く開いた入口をくぐると、オルゴールが鳴っている待合室は、街の人たちで賑わっていました。みんなにこにこして、椅子に座っています。
手前の部屋から、口元を少し赤くした人が廊下に出てくるのを見て、ショコラくんはにっこり微笑んで、小さく手を振りました。
「お疲れさま。もう大丈夫だね」
ショコラくんと私は、ずうっと奥の重たい扉のほうへ案内されました。扉の向こうに、横になる台が見えます。綿のような白いものが、銀色のお皿に山盛りにされていました。
あたたかくて甘い声がします。いつもの先生です。
白い服。歯がぜんぶ見える笑顔。ハートのキラキラが入ったピンク色の目。頭の大きなピンク色のリボンが、ぴこぴこ動いています。
「お久しぶりです、先生。定期検診にきました」
私の顔を見て、先生のリボンが一回だけ止まりました。
「あら、マシュマロちゃん。この前入れたハートいっぱいのおめめ、とっても似合ってるわよ」
「え、おめめ?」
「三日前に治療したばかりでしょう。だから今日は大丈夫」
「そうだったのですか?」
私は首をかしげました。いつ治療したのか、よく覚えていません。それでいいのです。この街がかわいいことは、ちゃんと頭に残っているのですから。
ショコラくんのほうへ、別の先生が来ました。
頭に大きな、青いリボンをつけています。手元の紙の束をめくりながら、素敵な笑顔になりました。
「今回が初めての治療ね。あと少しで、特別な子になれるわよ」
ショコラくんは、深く頭を下げました。
「ありがとう。優しくしてくれそうで、安心しました」
廊下に、重たい扉が隣同士で二つ並んでいます。ピンクの部屋と、青い部屋。二人の先生が、それぞれの取っ手に手をかけます。
「終わったら、また一緒にお散歩にいこうね」
「うん、約束だよ」
ショコラくんはにっこりしてから、青い扉を見ました。
「また後でね」
そして自分から、静かに入っていきます。青いリボンの先生が、嬉しそうなお顔で扉を閉めました。
私の先生は、歯を全部見せたまま、ピンクの部屋の椅子に私を座らせます。冷たいものが、頭の後ろに軽く当たります。
縫い目が、するりとほどかれました。
「うん、中はまだ新しいままね。今日はおしまい」
縫い目を、すぐに閉じられます。ほっぺを、軽くつついてくれました。
「隣は、少し手間がかかる子みたいね」
廊下の椅子に戻ります。隣の扉は、閉まったままです。ドアの下の床が、ぬれて光っています。
壁の向こうで、くちゅ、という音がしました。私のときより、長くかかっています。 待合室のオルゴールが、止まりました。
ショコラくんの、短い声がしました。
「すごく、むずむずします……」
私は膝の上でお行儀よく手を組んで、ショコラくんが終わるのを静かに待っていました。
こり、こり、と硬い音が間を置いて続きます。ショコラくんの細い声が、壁の厚さのぶんだけ遅れて届きました。
「僕もう、帰ります……帰り……あはは……」
あは、と短い声がして、続いていた音がぷつりと切れます。
チッ、と舌を打ったような音のあとに、甘い匂いが濃くなりました。
扉が開き、青いリボンの先生が出てきました。白衣のポケットが少しだけ膨らんでいて、一瞬、金色に光った気がします。
「ショコラくんは?」
先生は歯を全部見せたまま、首をかしげます。
「もうお帰りになったわよ?」
壁の向こうから聞こえた、細い声を思い出します。
「そういえば、帰るって聞こえた、かも」
「そう。先にね」
約束のお散歩は、また今度なのでしょう。
私は椅子の上で、閉じたままの扉のほうへ小さく手を振りました。
少し遅れて、私を担当してくれた先生が、ピンクの扉からひょっこり顔を出しました。
「マシュマロちゃん。もう一度だけ、見せて。縫い目を見直したいの。ごめんね?」
私はよいこなので、おとなしく診察室の椅子へ戻ります。先生のお口の奥から、銀色のオモチャがいくつも出てきて、私の頭の後ろを丁寧に開いてくれるのがわかりました。
私はとても幸せな気分で、クリニックの外へ出ました。丸い窓は、ぜんぶ閉まっていました。煙突の先っぽは、まだ何本か開いたままです。中から、お掃除の人の楽しそうな笑い声だけが聞こえます。
穏やかな光の下で、石畳がとてもきれいに照らされていました。
おうちの棚では、金色のボタンが、朝と同じ位置で光っています。
フチが削れていますが、丸くて、とっても綺麗なのです。
ピンクのワンピースの、どこにつけようかと考えます。胸もと、裾、袖。どれも似合いそうです。くれたときの手のひらのあたたかさを思い出して、胸の奥がふわふわしました。小さいけれど、私の大事な宝物です。
明日のお約束は、もうありません。でも、明日も素敵な事が待っているはずです。
この街はいつだってやさしくて、かわいいのですから。




