第四十八話 スーパーマーケット
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日はヒナちゃんと、市役所の前で待ち合わせをしました。
ヒナちゃんは、おめめのついた白い杖と、大きめの袋を一つ持っています。胸にある羽根は、前よりすこし色が沈んで、ねずみ色になっていました。前に会った時より、痩せたように見えます。
通りの人たちは、羽根を見ても、にこにこしながら、すっと横を過ぎていきます。みんな、ヒナちゃんに気を遣って、静かに歩いてくれているのでしょう。
「……今日は、角のお店、何もくれませんでした」
袋の中で、カサリと紙がすれます。おやつがなくなったのだと思って、私は自分のポケットを探しました。でも、飴はありません。
「市役所の人とお話してみよう。前にここでもらったんでしょ?」
ヒナちゃんは小さく頷いて、私の靴の音がするほうへ顔を向けました。
市役所の待合室は、体のあちこちに番号札を貼った人たちで、今日も賑わっていました。
窓口で、ヒナちゃんが羽根のバッジを出します。
対応してくれた人は、ちらりとそれを見てから、優しく笑顔を浮かべました。
「権利の更新時期です。一部のサービスが受けられません。更新には住所が必要です。窓口が違いますので、番号札をどうぞ」
ヒナちゃんの指が、羽根のふちで止まります。なんだか、返事に困っているみたいです。
「住所って、どうしたらもらえるの?」
私が聞くと、窓口の人の手から、用意された番号札がぺちゃりと落ちました。私の顔をじっと見てから、大きな笑顔になります。
「すぐ、生活案内の者に引き継ぎます」
奥から、緑色の制服を着た職員さんが来てくれました。私の顔を見て、にこりとします。
「マシュマロちゃん、ご案内しますね」
市役所からしばらく歩くと、『ハッピーニュータウン』の大きなアーチが見えてきました。石畳が、足の裏でむにゅっと沈みます。
おうちはどれも同じような形をしていて、壁がぷくぷくしているのです。
窓の向こうの家族は、みんな同じ方向を向いたまま、にこにこして動きません。
ヒナちゃんは杖で足元をト、ト、と叩きます。
「……この道、変な歩き心地がします」
「ふかふかで気持ちいいね」
公園の前にさしかかると、子どもの声が流れてきました。滑り台のほうです。私の足が向きかけても、職員さんの背中は止まりません。
「先に、生活に必要な場所からのご案内となります」
必要な場所、という響きがなんだか立派で、私はこくりと頷きました。
ガラス貼りになった、とても大きなお店が見えてきました。
看板に『スーパーマーケット』と書かれています。
「ねえ、ここは必要な場所?」
私が聞くと、職員さんの背中がぴたりと止まりました。しばらくしてから、ゆっくりと首だけをこちらへ向けます。
「……そう、ですね、お入りになりますか?」
どこか遠い声でした。私はわくわくしながら頷き、お店の中に入ります。ヒナちゃんも、杖で床を確かめながら私のあとについてきました。
入り口をくぐると、お店の中がとても賑やかになりました。
「スーパーマーケットへようこそ。カゴをお取りください」
楽しそうな笑い声と一緒に、案内が天井から流れます。
置いてあるのはご家族用の大きなカゴばかりです。ヒナちゃんの袋を底に入れても、まだスカスカでした。
「すごい!いっぱい入るね」
ヒナちゃんはカゴの縁をなぞって、持ち手の位置を確かめています。
通路には、お買い物の人たちが立っていました。
カゴを持ったまま、とってもお行儀よく並んでいます。すれ違うと、ざらざらした声で『楽しいお買い物で嬉しいわ』とおしゃべりしているのが聞こえました。
ヒナちゃんが、顔を少し上げます。
「……気配はたくさんあるのに、足音も、振動もないんですね」
「みんなお買い物に夢中みたいだもの」
白くてきれいなお肌の人たちのあいだを抜けながら、歩いていきます。
お野菜の棚から、シューッと細かい霧が出ていました。薄いピンク色です。公園の鉄棒をぎゅっと握っていたときみたいな匂いがします。
ころんと丸くて毛のついたものや、細かく枝分かれしているものが、綺麗に並んでいます。ピンクのお水を弾いて、とても新鮮そうです。
「いろんな形があって、面白いね!」
ついている札は、どれも『今日』です。ヒナちゃんが棚に手をかざすと、霧で濡れた指先が少しだけ濃く浮き出て見えました。
お肉のコーナーには、不透明なラップに包まれたものが積まれていました。中はよく見えません。値札には太い字で『スマイル』と書いてありました。
指でつんつん押してみると、自分のほっぺたを押したときみたいな感触なのです。
「きっと、にこにこが入ってるんだね」
端っこから、赤いシロップがとろりと滲んでいました。なんだか甘い匂いがします。
棚の前に立っている人のカゴには、同じ大きさの包みが三つ、隙間なくぎゅっと乗っていました。
『楽しいお買い物で嬉しいわ』という声がしますので、ご家族の人のためにご馳走を選んでいるのだと思います。
エサのコーナーの前で、ヒナちゃんが杖を止めました。
「……ここ、いつももらっている食べ物の匂いがします」
深めのお皿の中に、白くてつながったものが乗っています。珍しいおやつです。私の手が伸びかけると、職員さんが静かに言いました。
「試食品ではありませんよ」
ヒナちゃんはカゴに一袋だけ入れて、お会計コーナーのほうに杖の先を向けます。レジの人たちはみんな同じ向きで、背筋をピンと伸ばしています。
『いらっしゃいませ』という明るい声が、きちんとしたリズムで流れてきます。
ふいに、天井が鳴りました。
『品物を持って、レジまでお越しください』
ヒナちゃんは、自分が呼ばれたみたいに一瞬、ビクッとしました。
「こっちだよ。音がしてるほう」
私はカゴの縁を、ヒナちゃんの指のところへ寄せました。杖の先が、カゴの枠に当たります。私たちは、お客さんたちの間を抜けながら、レジのほうへと歩いていきます。
通路に置かれたままのカートの中で、包みが小さく動いていました。
『レジ袋はご入用ですか?品物をどうぞ』
店員さんがにこにこしながら、カゴと、ヒナちゃんの羽根を見て、間を置きます。
横に置かれた機械から、紙が出てきました。『精算不能』。
店員さんは笑顔を浮かべたまま、品物を自分の足元へと落としました。くちゃり、と音がします。
職員さんは、お仕事の声のまま言います。
「更新が済むまでお買いものはできません。
午後は、お家までご案内します」
ヒナちゃんは『精算不能』の紙だけを、袋の一番下に入れました。
「おうちがあれば、おやつ買えるんだね」
ヒナちゃんは、少しだけ頷きます。周りのお客さんたちが一斉に、『嬉しいわ』と言いました。
外に出ると、白い道がアーチの向こうへと伸びています。
端を半歩、踏みます。石畳がむにゅっと沈んで、踏んだ先が、遅れて持ち上がりました。
「お家、もう近いね」
ヒナちゃんは袋の紐を握り直して、杖を石畳に落とします。新しい道の音を、確かめているみたいです。
職員さんの背中が、番号のふられた一軒のほうへ、まっすぐ歩き出します。
そのお家の窓だけ、中が白くて、家族の形が見えません。隣の窓には、にこにこの人たちが、同じ向きのまま付いています。
表札は、まだ空っぽです。
「ヒナちゃん、中、見たいね」
ドアの向こうが、どうなっているのか、知りたくてたまらなくなります。
職員さんが、胸のあたりから重たそうな鍵の束を出しました。
カチャ、と冷たくて小さい音がします。
職員さんはドアの前でぴたりと止まって、束の中から鍵を選びはじめます。
重なり合った鍵の鳴る音が、ふかふかの白い道の上に、静かに落ちていきました。




