第四十六話 文房具屋さん
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日は、動物園でのお月見の思い出を、絵に残しておこうと思いました。
棚の特等席から、『にこにこノート』を下ろします。夜警さんが電車で買ってくれたノートです。表紙は、しっとり手に吸い付くピンク色で、真ん中ににこにこしたお顔の押し型がついた、とっても可愛い品物なのです。
せっかく綺麗なノートなのだから、ペンも新しいものがいいな、と思います。私はピンクの靴を履いて、『スマイル文具店』へと出かけました。
お店の中は、とても静かです。
紙の匂いに混じって、甘い鉄のような匂いが、薄く漂っています。
棚には文房具がきれいに並んでいました。真っ白で硬そうな素材を節のところで繋いだ、折りたたみ定規。消しゴムは、うっすらピンク色をしていて、指で押すとゆっくり戻ってくる四角くて愛らしい塊です。
ノートの棚には、ごわごわした茶色い表紙や、ちがう色の素材を太い糸でつぎはぎした表紙が並んでいます。短い毛がたくさん植えられた立派なものもありました。手に取ると、ざらざらして、なんだかくすぐったいのです。
棚の前には、お客さんが一人立っていました。
「あれ」に手を引かれながら、周りのノートを真剣な顔で見つめています。お肩が、小さく震えていました。きっと、どれにしようか迷っているのでしょう。
その人が、ふと、私の抱えている表紙を見ました。押し型の笑顔を一目見て、まん丸に目を広げます。息を呑む音が、静かな店内に小さく落ちました。
「あれ」が、その人の背中をそっと押します。レジの方へは行きません。お店の奥の、厚い扉の中へ、そのまま消えていきました。
特別なラッピングをしてくれるお部屋があるのかな、と思います。私のノートを見て、同じのが欲しくなったのかもしれません。店員さんは、何も言いませんでした。
カウンターで、店員さんにノートを開いて見せます。
「このノートに、絵を描きたいんです」
店員さんは表紙の笑顔を、指の腹で一度だけなぞってから、頷きました。
「とても上質ですね。この紙には、柔らかめで細いペン先が合いますよ」
出してくれたのは、真っ白で、少しだけカーブしている細いペンです。持ち手にある丸いふくらみが、指にぴったり収まります。それと一緒に、とろりとした赤いインクの小瓶も出してくれました。
「一番、新鮮なインクです」
包んでくれるとき、店員さんが穏やかに言います。
「この紙は、強く引っ掻くと中の模様が開いてしまいます。よいこは、優しく描いてくださいね」
私はこくりと頷いて、包みを胸に抱きました。
おうちに帰ると、すぐに机でノートを開きます。
ページは厚みがあって、しっとり柔らかいです。近くで見ると、小さなぽつぽつと、青い細い筋が透けて見えました。大理石の模様みたいで、やっぱりとても素敵です。
小瓶のふたを開け、白いペン先を赤いインクに浸します。真っさらの紙に乗せて、すっと線を引きました。
ぷちっ、と、小さな粒が弾けるような手応えがします。ペン先が紙にわずかに沈んで、がりっ、がりっ、と小さな音がしました。インクは青い筋に沿って、じわりと滲みます。普通の紙よりもよく吸い込んで、描き心地がとても良いのです。
私は夢中でペンを動かしました。
真ん中には、にこにこ笑顔の、大きなお月さま。
その下には、ススキの輪と、十五匹のうさぎさん。
楽しいお月見の夜がノートの中に広がって、描いているだけで胸がわくわくしてきます。
最後に、お月さまのお口を描きました。
でも、なんだか少し物足りません。
店員さんの注意は覚えていました。
でも、お絵かきが楽しくて、「もっと、もーっとにっこりさせてあげたい」という気持ちが止まらなくなってしまったのです。
私はペン先にインクをたっぷりと含ませて、同じところを、何度も何度も塗りつぶしました。
ブチリ、と音がして、表面が少しめくれました。
開いたところから、中の青い筋がにじみ出て、インクと混ざり合います。お月さまのお口は、つやつやした赤になって、まるで濡れたみたいに光りました。
「うん、上手に描けた!」
私はインクが乾くのを待たずに、ぱたんとノートを閉じました。
すると、中からぺちゃ、と小さく濡れた音がします。
「あ……」
インクが向かいの紙にくっついちゃったかもしれません。私は慌てて、もう一度ノートを開きました。
真っ白だった向かいのページには、うさぎさんも、ススキの輪っかも、写っていませんでした。
お月さまの、大きく開いたお口の赤色だけが、じっとりと滲んで残っています。
まるで、次のページでも、ぽっかりとお口を開けて待っているみたいです。
ノートを閉じると、表紙の押し型が、さっきよりも深く笑っている気がしました。気にしないで、と言ってくれているのかもしれません。
夜警さんに会えたら、このページを最初に見せてあげよう、と私は思いました。




