第四十五話 お月見
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日の朝、街のスピーカーから、いつもの優しい声が流れました。
「今夜はよいこのお月見です。夜のお散歩ができる機会ですので、ぜひスマイル動物園へお越しください」
夜のお散歩。それだけでも、胸がふわふわします。
お出かけの前に、ベッドのうさぎさんを窓のほうへ向けてあげました。お月見の日だから、お外が見えたほうがいいと思ったのです。
夜になって、スマイル動物園の門が開きました。
看板には、にこにこのお月さまと、その前に座るうさぎさんの絵だけが貼ってあります。上のほうには、何も描かれていません。特別な夜みたいで、とてもわくわくします。
門をくぐると、甘い消毒液の匂いがしました。ずっと遠くのほうから、ずちゅっ、という音が聞こえます。飼育員さんは、いつものつぎはぎのエプロンです。胸に小さなススキの刺繍がついていました。
ふれあい広場のライトは、綺麗な桜色で地面だけを照らしています。
いつもいるうさぎさんたちは、今夜はいませんでした。柵の向こうが、ぽっかり空いています。別の場所で、おめかししているのでしょう。
広場の手前には、低い見台が並んでいました。街の人たちが、音を立てないように座っています。誰も上を見ません。奥のほうだけを見て、小さく頭を下げています。
「今年は、どんな満月だろう」
誰かが、息みたいな声で言いました。隣の人も、同じ向きのまま、こくりと頷きます。私は見台の端にちょこんと座って、真似して背筋を伸ばしました。お月見は、よいこの行事なのです。
広場のいちばん奥から、大きな檻が運ばれてきました。
プレートには丸い字で『お月さま』と書いてあります。隅のほうに、小さな番号もついていました。
檻の中に、お月さまが座っています。
うさぎさんよりずっと大きいのです。私が両手を伸ばしても、ほっぺのあたりまでしか届かないでしょう。ピンク色で、お顔いっぱいの笑顔です。目とお口が、ずれたタイミングでにこにこと動きます。まるで、楽しいことを思い出すたびに笑っているみたいです。
見台の人たちは、その笑顔を見て、また小さく頭を下げました。
飼育員さんが穏やかに言いました。
「お月さまは、噛むことがあります。近づかないでくださいね」
大切にされているんだな、と思います。近づきすぎないのも、お月見の『お約束』なのでしょう。
檻の前には、うさぎさんが並んでいました。
体にススキが巻いてあって、歩くたびに穂がゆらゆらします。お祭りのお飾りみたいで、とっても可愛いのです。耳のタグは、『十五』までの子が集まっているみたいでした。
飼育員さんは、数字の大きい子から、ススキの端をそっと引いて、お月さまの前へ連れていきます。一列ずつ、とてもお行儀が良いです。見台では、引かれていくたびに、誰かが小さく手を合わせました。
スピーカーから、途中までの歌が流れます。
うさぎ、うさぎ——
そこでお歌が止まり、あとはオルゴールだけになりました。見台の人は、誰も続きを口にしません。
檻に、金色の幕がかけられました。
飼育員さんが、見台のほうへ向き直ります。
「雲がかかりました。よいこは、隙間から見ましょう」
金色の布が、ゆっくり揺れます。揺れるたびに、甘い匂いがします。不思議で、とても素敵な感じです。
お月さまの手が、幕の隙間からのろのろと伸びます。近くにいたうさぎさんのススキを掴んで、優しく幕の中へと連れていってくれます。
少し間を置いて、檻の奥から、ゴツ、ゴツ、と低い音がしました。甘い匂いが、ふわりと濃くなります。
お月さまが抱っこして、おうちへ帰してあげたんだな、と思います。
見台から、ちいさなため息がこぼれました。誰かが「ありがとうございます」と呟くのが聞こえました。
うさぎさんたちは、赤い目で檻を見たまま、じっと座っています。順番が来るのを待っているのでしょう。
しばらくすると、幕の隙間からタグと、ほどけたススキが外に出されました。
飼育員さんは、ほどけたススキを檻の足元に、まるく置いていきます。一本、また一本。十五本そろったとき、幕の奥のゴツが、一度だけ低くなりました。
お飾りが、お月さまの形になったんだな、と思います。金色の雲の下で、ススキの輪が、とても綺麗でした。
『十五』までの子がいなくなると、飼育員さんたちが、お月さまの檻をガラガラと運びはじめました。見台の人は、誰も立ちません。通るときだけ、もう一度、頭を下げます。
奥の鉄の扉が開くと、甘い匂いがさらに強くなります。
扉が閉まる音がして、お月さまの姿は完全に見えなくなりました。ふと、運んでいた飼育員さんの数が、さっきより少ない気がしました。ほかの仕事に行ったのかな、と思います。
数え直すのは、よいこのすることではないので、やめました。
園内のスピーカーから、いつもの優しい声が流れます。
「十三日後、お月見団子ができあがります。どうぞお楽しみに」
見台の人たちが、ゆっくりと立ち上がりました。誰も急がず、門のほうへ歩いていきます。私は閉まった扉に向かって、小さく手を振りました。
門を出ると、看板の絵の下に、小さな札が下がっていました。
『あと十三日』
楽しみで、胸がいっぱいになります。
おうちのベッドでは、窓に向けておいたうさぎさんが、床のほうを向いて倒れていました。前足のあたりが、少しだけへこんでいます。お月見、楽しんだのかな。
リビングで、家族のみんなに教えてあげます。
「十三日後だって。みんなで食べようね」
返事はありません。大人なので、もう予定は分かっているのだと思います。
私は札で見た数字を、もう一度指折り数えてから、眠ることにしました。まぶたの奥で、金色の幕が、まだそっと揺れている気がしました。




