第四十四話 歯医者さん
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日はお口の定期検診で、『スマイル歯科』にやってきました。
待合室は、お花のように甘い消毒液の匂いがして、静かなオルゴールが流れています。
隣のソファーには、迷子の患者さんが座っていました。お膝を抱えて、ガタガタと激しく震えています。
私も昔は、あのキーンという機械の音が怖かったので、ドキドキしてしまう気持ちはよくわかります。
名前を呼ばれて、迷子の患者さんがお部屋に入りました。
すりガラスの向こうで、ウィーン、と椅子が倒れる音がします。
すぐに、キーン! という高い音と、ジュゴゴゴ……という機械の音が響きました。お口の中のお水を、機械がたくさん吸い取ってくれている音です。
患者さんの「あーっ、あーっ」というくぐもった声に混じって、銀色のお皿に、カラン、コロ、カラララッ……と、硬いものがいくつも、連続して落ちる音がしました。
悪いお虫さんのついた歯が、とてもたくさんあったみたいです。
すりガラスの向こうから、先生の優しい声がしました。
『悪いところは、全部取りましたよ。代わりに、とびきり可愛いお星さまやハートの歯をプレゼントしますからね』
ゴリッ、ギュギュッ、とお皿の上から何かを押し込む音がします。患者さんは、ひっ、ひっ、と短い息をしていました。
『はい、それでは最後に、噛み合わせのチェックをしましょうね。カチカチ、してください』
でも、患者さんはお口を動かせないみたいでした。
『あら、遠慮しなくていいんですよ。先生がお手伝いしてあげますね』
すりガラスに、先生が患者さんの顎を、下から両手でしっかりと包み込む影が映りました。
グン、と影が上に動きます。
メキッ、グシャッ、と、硬いおせんべいと、やわらかいキャンディを同時に噛んだみたいな音がしました。
『はい、綺麗に噛み合いました! おめでとうございます!』
患者さんの声が、ピタッと静かになりました。きっと、噛み合わせがバッチリで、安心したんだなと思います。
その時、待合室にいた別の患者さんが、ガタガタと激しく震えだしました。そのうち、お耳を塞いで待合室から逃げ出そうとします。
スタッフさんが優しく近づいて、患者さんのお鼻に小さな透明のマスクを当てました。
シューッ、と、お菓子みたいに甘い匂いのする空気がこぼれます。
すると、患者さんはすぐに肩の力が抜けて、「ふふ、ふふふ」と楽しそうに笑い始めました。スタッフさんに手を引かれて、笑いながら診察室へ入っていきます。歯医者さんが怖くなくなる、魔法の空気みたいです。
診察室のドアが開いて、さっきまで治療してもらっていた患者さんが、スタッフさんに台車に乗せられて出てきました。
少しだけ開いたお口の中に、虹色に光るガラスのお星さまや、ピンク色のハートの石が、ぎっしりと並んでいるのが見えます。お口からはみ出るくらい大きくて、キラキラしていて、まるでおもちゃ箱みたいです。
台車が待合室の小さな段差を越えたとき、お口の中で、新しい歯がカラン、とぶつかる綺麗な音がしました。
顎のあたりから、イチゴのシロップみたいな赤いお水が少し垂れていますが、患者さんはすっかりリラックスして、目を閉じていました。
しばらくして、私の順番になりました。
椅子に座って、大きくお口を開けます。先生の持った冷たい小さな鏡が、カチン、と私の奥歯に触れました。
「マシュマロちゃんは、良い子だね」
先生は私の口の中を隅々まで見てから、鏡を置きました。
「うん、ピカピカだ。きらきらの歯を入れるには、まだ早いね。今日はおしまい」
先生に褒めてもらえて、嬉しいです。
ふと横を見ると、スタッフさんが先ほどのお皿を片付けていました。お皿には、さっきの患者さんから取れたものが山のように積まれています。
スタッフさんはそれを、赤と白のしましまの紙の筒へ、ザラザラと流し込んでいました。このあいだ、お出かけした場所で見たのと同じ筒です。
帰りがけ、診察室の奥から、まだ「ふふ、ふふふ」という笑い声が細く聞こえていました。魔法の空気、まだ残っているのでしょう。
おうちのリビングには、いつもと同じ位置で家族が待ってくれていました。
おとうさんの口も、おかあさんの口も、動きません。
私は自分の奥歯を、舌先でそっとなぞってみました。きらきらは、ついていません。まだ早いのだと思います。
「みんな、検診は終わってる?」
誰も答えません。
にこにこのままなので、きっと、もう噛み合わせはバッチリなのでしょう。
私は笑いかけてから、窓の外の薄い桜色に目を向けます。
風の音に混じって、どこかからカラン、と小さな音が聞こえた気がしました。




