第四十二話 喫茶店
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日はお散歩の途中で、レンガ造りの小さな喫茶店の前を通りかかりました。白い看板には『喫茶ほほえみ』と書かれています。
窓から中を覗くと、奥のソファーで、見覚えのある人がテーブルに突っ伏していました。
マジックショーで受付をしている、ノワールおねえさんです。今日はいつもの黒いドレスではなくて、ゆったりした黒いお洋服を着ていました。
心配になって扉を開けると、カランコロンとベルが鳴りました。お店の中は少し薄暗くて、香ばしく焙った匂いと、甘い鉄の匂いがします。
「ノワールおねえさん、大丈夫? どこか痛いの?」
私が声をかけると、おねえさんはビクッと肩を揺らして顔を上げました。目の下が少しだけ曇っています。
「あら、マシュマロちゃん。どうしたのかしら?」
「おねえさん、病気なの?」
「病気じゃないの。今日はショーがお休みだから、ここで癒されようと思ってね」
おねえさんはふうっと息を吐いて、眉のあいだに指を当てました。
「明日のショーの後始末を思うと、胃がキリキリするのよ」
おねえさんの声がいつもより細いです。きっとショーの後にたくさんお片付けがあるのでしょう。
それでも、おねえさんは席を詰めて、私に椅子を引いてくれました。
「せっかくだから、一緒にどう。ケーキ、おごるわ」
「わあ、ありがとう」
カウンターの奥では、白いシャツのマスターが、勝手口から届いた二つの紙袋を受け取っていました。
大きな袋はカラカラに乾いていて、『深煎り』と丸い字で書かれています。中身は、少し細長い形をしていました。
もう一つの小さな袋は少し濡れていて、『摘みたて』とだけあります。底のほうに赤い染みがにじんでいました。
マスターはそれぞれの重さを確かめると「今日は上質だ」と短く呟きました。濡れた小さな袋の口が、内側からモゾッと一度だけ動きましたが、すぐに紐で結ばれて棚へしまわれました。とても新鮮なのでしょう。
マスターが金色のミルに、乾いた粒を入れてハンドルを回します。ゴリッ、パキッという硬い音がしました。豆が小気味よく砕けているみたいです。
お湯を注ぐと、粉がふくらんで、閉じ込められていた空気がシューッ……と、深い吐息のような音を立てて抜けました。
赤いしずくが下の瓶へ落ちていきます。立ち上る湯気は、お鼻の奥にほんのり残るような匂いがしました。
「お待たせしました。本日のブレンドと、赤い実のタルトです」
カップの中のコーヒーは、透き通った綺麗な赤色です。ノワールおねえさんは両手で包み込むように持って、ゆっくりと一口飲みました。すると、眉のあいだのしわが、すっと平らになりました。
「……やっぱり、ここの香りは深い。雑味がないわね」
おねえさんは『五臓六腑にしみる』という言葉を、小さな声で足しました。なんだか大人の人の言い方でかっこいいです。
私も、赤い実のタルトにフォークを入れます。ぷにぷにした実は、私の爪よりひと回り小さくて、薄い膜に包まれていました。先が触れると、中がまだやわらかくて、中身の形がほんの少し寄ります。力を入れると膜がぷちりと破れて、甘い汁がにじみます。蜜みたいで、とても美味しいのです。
「マシュマロちゃんと食べると、なおさら美味しいわ」
おねえさんは、目を細めて笑ってくれました。
ふと隣を見ると、街の人がカップをお皿に置かずに、音を立てないよう一口ずつ飲んでいました。マスターがこちらを見て、口の形だけで『静かに』と合図をしてくれます。ここは、静かに過ごす良い子のお店みたいです。私たちも、できるだけお話しする声を小さくしました。
「明日から、また始まると思うと……」
おねえさんはカップを見つめて、もう一口飲みます。胃のあたりに、そっと手が置かれました。
それでも、香りを嗅ぐと、だんだん肩の力が抜けていくみたいでした。お仕事で苦労していても、こうしてちゃんと休憩しているおねえさんは、やっぱり立派です。
「おねえさん、お仕事、頑張ってね」
「ええ。また、見に来て」
おねえさんが小さくて銀色のものを一つお皿に置くと、マスターは黙って受け取りました。
私がお店を出ると、カランコロンとベルが鳴ります。扉の向こうで、ズリズリと袋を引きずるような音が聞こえました。
外の光は、うっすらと綺麗な桜色に染まっています。
口の中には、赤い実の甘さがまだ残っています。
振り返ると、おねえさんは窓の内側で、カップを両手で持ったままでした。
もう、難しいお顔はしていません。
私は小さく手を振って、おうちの方へ歩き始めました。




