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マシュマロ 【私にとっては、ぜんぶ可愛いのです。絶望と狂気に満ちた、認識乖離ホラー】  作者: 鈴音めぐり


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第三十三話 バッジ

私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。

屋台通りは、今日も甘い匂いと、焼ける音でいっぱいです。赤い玉が棒に並んだ店、湯気の立つ鉄板。お店の上では、旗がぱたぱたと揺れています。

私は古い道を、きょろきょろしながら散策していました。今日はどんな可愛いものを食べようか、考えるだけでわくわくするのです。


石畳のすき間に、小さなものが落ちていました。

細い目と、にこっと曲がった口。お化けの顔のバッジです。ピンが開いたまま、縁が少し汚れています。触るとひんやり冷たいです。

「夜警さんにあげたやつだ」

両手で大切に拾って、お洋服の袖で一度きれいに拭きました。落としたことに気づいたら、探して歩いているかもしれません。早く届けてあげないと、と思います。


店は開いていますが、ちょっと散らかっている感じがします。軒先では、お店の人が床の包みを忙しそうに拾っていました。隣の影には、「あれ」が何体か集まって、黒い箱をきれいに積んでいます。なにか楽しいイベントをしていたのかもしれません。

ゴミ箱の中から、赤い塊や白くてぐねぐねしたものが溢れています。

たまに動いていますが、捨てられているので、きっと食べ物ではないのでしょう。


私はバッジをポーチに入れて、市場にある夜警さん達の詰め所へ向かうことにしました。屋台通りからは、あまり離れていません。

屋台の旗が見えなくなってから少し歩くと、賑やかな商店が並びはじめます。

詰め所は、市場の奥まった場所にありました。黒いドアの横に、小さな明かりがついています。

よいこなので、いきなりは入りません。ドアを、小さく二回叩きます。中から、低い声がして、夜警さんの一人が開けてくれました。灰色の目が、一瞬だけ怪訝そうに細まり、すぐ戻ります。

「入っていいけど、取り込み中だよ」

詰め所は外より少し涼しくて、静かでした。黒いコートが、棚に並んでいます。机の端には、写真の載った紙が束になっていました。番号の下に、小さな印がついているものもあります。


奥では夜警さんたちが、低い声で、真面目な話をしていました。

「落とし物として、警察に回っている可能性は」

「回収屋に、聞いてみてはどうだ」

「まずは所長を励ますべきでは」

背の高い夜警さんは、いつもの黒いロングコートのまま、椅子の端に座って、襟元を何度も指で触っていました。笑うお化けのバッジが、ついていません。灰色の目が、机の上を捜すように動いて、何もないのを確認しては、ため息をついています。

「……もう一度、屋台のほうを見てくる」

声が、いつもよりずっと小さいです。他の夜警さんたちが、静かに頭を下げていました。


詰め所のベンチに、女の子が座っていました。淡いベージュの前髪。白い杖。ヒナちゃんです。白いワンピースの肩が少しずれていて、杖を膝の上で両方の手で持っています。音のする方へ、顔がすぐには動きません。

「ヒナちゃん」

少し大きめの声で言うと、肩が小さく跳ねました。それから、音のした方へ顔を向けて、短く頷きます。息を、ひとつだけ長く吐いたみたいでした。

「……マシュマロちゃん」

声が、いつもの倍くらい小さいです。前髪が目にかかりそうになっても、すぐには払いません。

「どうしたの?」

「……屋台で、お洋服を引かれました。それから周りで騒ぎになって……ここで、しばらく待っているようにと」

「大変……でも怪我しなくて良かったね」

ワンピースの、胸の辺りの布が伸びてしまっています。

誰かが、羽根のバッジを強く引っ張ったのでしょう。ひどいイタズラです。


私はポーチから、お化けバッジを出しました。夜警さんのほうへ、歩いていきます。ヒナちゃんの杖の先が、私の靴のほうを、一度だけ確かめました。

「これ、夜警さんの。屋台通りに落ちてたの」

背の高い夜警さんに、差し出します。

長い指が、ハッとしたように、一度だけ空中で止まります。灰色の目が、バッジと、私の顔とを、往復しました。

「これは……マシュマロちゃんが、見つけてくださったのですか」

「うん。ピンが開いてた。探してると思ったから」

夜警さんは、周りの視線を気にするように短く咳払いをしてから、バッジの縁を撫でて、コートの襟に丁寧に付けます。

カチッと、ピンの小さな音がしました。灰色の目が安心したみたいに細くなります。

「……ありがとうございます、マシュマロちゃん。もう絶対に無くしません」

お祭りで渡したときと同じ、やさしい声です。胸のあたりが、ふわりと温かくなりました。ヒナちゃんは、その声の方向へ、小さく顎を向けたまま、杖をぎゅっと握りました。


襟にお化けの顔が戻ると、詰め所の空気が、すっとゆるみます。他の夜警さんたちが、低い声で「解決だ」と何度か言い合ってから、奥から小さな器を出してきました。お祝いみたいです。

黒い椅子を二つ、ベンチの前へ寄せます。器の中は赤くて、とろりとしていて、甘い匂いがします。湯気はありません。縁が、人の肌くらいぬるいです。

「届けてくれた礼だ。そっちの子も食べな」

夜警さんのひとりが、器を三つ置いてくれました。

「所長も、お二人とご一緒に」

背の高い夜警さんが、自分の器を手に取ります。私の顔を見て、灰色の目が細くなりました。電車のときみたいに、一緒に飲めるのかな、と思います。


周りの視線が、そろって寄ります。背の高い夜警さんの肩が、ぴくりと固くなりました。器を机に戻して、短く咳払いをします。コートの裾を、一度整えました。指先が、戻した器の縁を、まだ離れていません。

「私は、あとにいたします」

「夜警さんも、一緒に飲もうよ。電車のときみたいに」

他の夜警さんたちが、少しどよめきました。背の高い夜警さんの目が、慌てたみたいに瞬きます。

「……お電車でのお接待は、特別でございますので」

首は振っていますが、席からは立ちません。どうして今はお茶会にならないのか不思議ですが、なにか理由があるのでしょう。


夜警さんが、ヒナちゃんの器を、手元が分かる位置へ寄せてくれました。

「お暖かいうちにお召し上がりください」

私は両手で受けて、ひとさじ口に入れました。蜜みたいです。舌の上で、細かい粒がほぐれて、あとから鉄の味が残ります。

夜警さんは自分の分に触れないまま、私の器が減るのを見ていました。灰色の目が、なんだが残念そうに揺れています。


ヒナちゃんの喉が、小さく鳴りました。

あまり得意な味ではなさそうです。

さじが当たるたびに、細くて赤いものが、ぷるぷるしながら切れます。

「美味しいね、ヒナちゃん」

「……は、はい。お祝いのお料理ですものね」


部屋の奥で、何かが短い音を立てました。

ねばつくものが落ちたような。

どちゃり……。

ヒナちゃんの器も、少しずつ空に近づきます。口の端に、赤い色が点になって残っています。器の縁が、指の形に少しへこんでいました。

空になった器が、下げられていきます。

背の高い夜警さんのぶんは、表面に膜が張り始めたまま、残っていました。

お祝いの席は、これで終わりのようです。


「それでは、お気をつけて」

外の光が、ドアのすき間から入ってきます。甘い匂いと、鉄のあと味だけが、まだ机の上に残っていました。ヒナちゃんは口元を、袖の先で押さえています。私はみんなにぺこりとお辞儀して、一緒にお外へと出ました。


ヒナちゃんと並んで、市場のほうへ歩き始めます。

ト、ト、と杖の先が石畳を確かめる音が、周りの足音と混ざっていました。

細い路地に入ったときです。

ヒナちゃんの肩が、後ろへ強く引かれました。

「きゃっ……」

杖が、軽い音を立てて転がります。物陰から、大きな体の男の人が手を伸ばして、ヒナちゃんの胸元を掴んでいました。ぼろぼろの服です。羽根のバッジに、指がかかっています。次の瞬間、二人とも路地の奥へ、すっと消えます。角の向こうは、暗くて見えません。

「だれか助けて! ヒナちゃん!」

通りを巡回していた警察さんが足を止めました。路地を一度見て、首を横に振ります。

「街の住人ではない方のトラブルには、警察は非干渉です」

ピンク色の紐をぶらぶらさせたまま、向こうへ行ってしまいました。


詰め所のほうから影が、石畳の上を滑るようにこちらへ伸びてきました。私の靴の前で、すっと立ち上がります。光沢のない黒いロングコート。背の高い夜警さんです。

「マシュマロちゃん。こちらでお少しだけお待ち下さいね」

周りの空気が、しんとしました。

通り過ぎていた警察さんが、つまらなさそうに視線を逸らします。


夜警さんは、私の前を通り過ぎ、足をほとんど動かさないまま、ヒナちゃんが消えた奥へ滑っていきます。コートの裾が、曲がり角で見えなくなりました。

しばらくして、路地の奥から、楽しそうな歌声が小さく聞こえてきます。ごり、くちゃ、という音が、歌の下に一度だけ混ざって、途切れました。


夜警さんが、路地の奥から戻ってきました。両手でヒナちゃんの体を支えています。襟のお化けのバッジが、光を少し反射していました。男の人は、もういません。

「お待たせしました。あちらは、お遠くへお行きになりました」

ヒナちゃんは杖を受け取り、音のした方へ顔を向けます。肩の力が、ごくわずかに抜けていました。

「……地面が、大きくふるえて。それから、止まりました」

「夜警さんが、来てくれたんだよ」

私が言うと、ヒナちゃんは小さく頷きました。よく分からないままですが、安心したみたいです。


夜警さんはヒナちゃんの胸の羽根を見て、短く息を整えました。灰色の目が、路地の出口と、空いた物陰とを、一度ずつ確認します。

「これで二度目ですね……その羽根は、どうも人気のようです」

ポケットから、黒いフチのついた、ガラスのような球体を取り出しました。下に、小さな台座と金具がついています。球体の中に、綺麗な青色のおめめが一つ、ぷかりと浮いていました。

持ち上げると、おめめがゆっくり回り始めます。ヒナちゃんの肩、路地の奥、通りを歩く人の背中を、順に追います。人が近づくと、色が赤く変わって、とても可愛いのです。

夜警さんが、杖の握りのすぐ下に、カチッと留めました。


通りの向こうで、ぼろぼろの服の人が一人、こちらを見て足を止めました。球体に浮かぶおめめが真っ赤になって、その人のほうを向きます。するとその人は、首を縮めて、急いで別の道へ曲がっていきました。急な用事を思い出したのでしょう。

「……なにか、杖の先で動いています」

「とっても可愛い飾りがついたんだよ」

夜警さんは、何も言いません。灰色の目が、球体の中の目と、一瞬重なった気がしました。


私は空になったポーチを閉じて、にっこりしました。

ヒナちゃんは杖を持ち直し、羽根のバッジを確かめているみたいです。きちんとついているか気になるのでしょう。

夜警さんはドアの内側で、一度だけ手を上げて、詰め所の中へ戻りました。甘い匂いが、扉のすき間から、薄く漂います。ヒナちゃんの袖にも、同じ匂いが残っていました。

「また、お話ししようね」

「……はい」


詰め所の明かりが、小さく灯っています。夜警さんが、また中で仕事をしているのでしょう。襟の小さな笑顔を見て、少しでも楽しい気持ちになるといいな、と思います。

扉の奥で、ごりっ、と重い音がしました。

甘い匂いが、その音のあとに、濃くなります。

お祝いの続きをしているのかもしれません。

「夜警さん、なんであの時飲まなかったのかな」

ヒナちゃんは答えません。杖の先が、一度だけ止まります。

私たちが歩く石畳の溝を、赤いものが細い筋になって、とろりと伸びていきました。

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