第二十七話 プール
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
街を散策していると、通りのお店のショーウィンドウに、小さなフリルのついた淡いピンク色の水着が飾ってあるのが見えました。
光を受けるたびにフリルのフチがきらきらして、まるでお菓子の包み紙のように素敵なのです。
「わあ……可愛い」
ガラスに近づいてじーっと眺めていると、中から店員さんが顔を出して、にっこり笑いながら誘ってくれました。
「少しお試しになりますか?
マシュマロちゃんに、きっとお似合いですよ」
更衣室の鏡の前で、淡いピンクが私の白い腕に沿います。
フリルを指で摘まむと、しゃら、と小さな音がして、胸がうきうきしてきました。
お会計をすると、店員さんがおまけに小さな券を添えてくれました。
「今日から使える、プールのチケットです」
丸い字で『なかよしプール』と書いてあります。
せっかく新しい水着を買ったのだから、今日のうちに行ってみようと思いました。
私はピンクの靴の紐を結び直して、券を大切にポーチにしまいました。
市役所の向こう、噴水広場から一本入ったところに、水色の屋根の建物があります。
壁には大きな波と、手をつないだ子どもたちの絵が描いてあって、入口の上で小さな旗がパタパタと揺れていました。
甘い匂いが、門の外まで届いてきます。
夏の帽子を被った監視員さんが、指と指の間の薄い膜を小さく伸ばしながら、券を確認してくれました。
「今日もいいお天気ですね。いってらっしゃい」
受付の奥で、通路が二つに分かれていました。
監視員さんが私を、右側へ通してくれます。
左側では「あれ」たちが、さまざまな年齢の人の手を引いて入っていきます。小さな子も、背の高い人も、みんなそわそわした感じにならんでいました。
私が通されたエリアは、おひさまの匂いがしています。
ロッカーの扉が開く音、水のはねる音、誰かの楽しそうな笑い声。
私はさっそく新しい水着に着替えて、先に進みました。
足洗い場は、消毒のお薬の甘い匂いがふんわり漂っています。
私は背が低いので、フチに両手をかけて足を浸けました。温かくて、とっても気持ちいいです。
壁の向こうから、「ひぃああっ!」と高い声がいくつも聞こえてきました。
合間に、ごぼっ!という水の音も混ざっています。
待ちきれなくて、みんなではしゃいでいるのでしょう。
洗い場を出ると、隣の通路から出てきた人たちの足先が見えました。
赤くて、歩き方がふにゃふにゃしています。指の形も、少し揃っていません。
私は首を傾げました。
「消毒のお薬が、お肌に合わなかったのかな?」
プールは広くて、おひさまの光がきらきら落ちています。
街の人たちが、お水を掛け合いながら笑っていました。
私も、ゆっくりとプールに入ります。
お水は生温かくて少し甘く、底はクッションみたいに柔らかいのです。
水着のフリルが水面で可愛く揺れて、ちょっと幸せな気分になりました。
すぐ横に、ドーナツみたいな形の流れるプールがあります。
私たちが遊んでいるプールとは、ハート模様の柵で分かれていました。
隙間から向こうの顔がよく見えるので、なんだか近くて嬉しいです。
真ん中には、キノコ型の噴水がありました。
お水は時計まわりに、ゆっくり回っています。
さっき隣の通路から出てきた人たちも、その円の中に混ざっていました。
柵のハートに指をかけようとする人もいますが、表面がつるつる滑って、うまく掴めないみたいです。
監視員さんが、笛を短く吹き鳴らしました。
「これから、流れるプールが始まります。
がんばれさんを応援してあげましょう」
街の人たちが手を振り始めます。
「がんばれさん、頑張れー!」
私も真似して、大きく手を振りました。
中央のキノコが、目を覚ましたみたいに、傘のてっぺんから水を高く噴き上げます。
おひさまの光が散って、虹みたいに見えました。
楽しい音楽も、同時に流れ始めます。
円の中の人たちが、急にすごい速さでぐるぐる回りだしました。
キノコに近い人ほど、手足をばたばたさせています。
一番手前にいた人が、指先で水面を掻きながら、背中からキノコのほうへすーっと寄っていきました。
口をぱくぱくさせて、なにかを呼びかけているみたいです。
「すごい! 反対向きになって泳いでる!」
私はその動きに、とてもびっくりしました。
傘の影に人が触れると、キノコが内側からふくりと丸く膨らみました。
ウィーン、カシャン、と機械の音が、水の上まで響きます。
泳いでいる人がキノコの中に入るたび、華やかなファンファーレが鳴り、噴き上がる水が、ぱっと赤くなりました。
あれは、ヒナちゃんが前に教えてくれた、イルミネーションでしょう。
キノコまで到着した人へのお祝いの演出は、とても綺麗で、見ている私も楽しくなってきます。
「がんばれさん、頑張れー!」
街の人たちの声は止まりません。
音楽も、イルミネーションも、止みません。
キノコからは、ガショ、ガショ、と規則正しい音だけが続いています。
もっと近くで見ようとして、流れるプールのフチへ寄ると、監視員さんが穏やかに止めてくれました。
「よいこさんはこちらですよ。あちらのレーンは、がんばれさん専用ですからね」
振り返ると、さっき通った通路の上に、看板がふたつあるのに気がつきました。
私が通った明るい方が「よいこ通路」。
もう一方は「がんばれさん入口」でした。
「専用なんだね」
私は納得して、自分の側へ戻りました。
少し離れた場所では、流れるプールの柵に引っかかってしまった人を、監視員さんが長い竿で助けていました。
体が挟まって、うまく外せないみたいです。竿の先で丁寧にほぐしてあげた後、プールサイドに寝かせ、お口の中に緑色のお薬が垂らされます。
「大丈夫、まだまだ遊べますよ」
その人の手足が、びくん、びくん、と跳ねました。
薬が効いたのでしょう。
目がぱちりと開いたのとほとんど同時に「あれ」が寄ってきて、両脇を抱えると、またプールの中へ戻してくれます。
その人はすぐ流れに乗って、キノコのほうへ元気に泳いでいきました。
困っている人を助けて、もう一度遊ばせてあげるなんて、この街は本当に優しい人ばかりです。
ファンファーレと一緒にあがった赤い噴水を見ながら、胸の奥がふわりと温かくなりました。
こちら側のプールでは、またお水をかけ合う音が始まりました。
水滴が腕まで落ちて、蹴った水がきらきらと割れます。
「がんばれさん」を応援している人は、もうほとんどいません。
ファンファーレに振り返ると、赤い雫が、こちら側の水面にも、ぽつ、と落ちました。
「綺麗!」
私は流れるプールに向けて、もう一度大きく手を振ります。
近くにいた街の人が、同じ方をちらりと見て、飽きた顔でまた遊びに戻りました。
遊び疲れてきた頃、スピーカーから、いつもの優しい声が流れてきます。
「そろそろ、よいこは帰る時間です」
私はプールから上がりました。足の裏も水着も、甘い匂いがしています。
監視員さんが、奥の部屋から台車を引いてきました。
大きな箱に、丸い字で『お掃除用』と書いてあります。
箱の中で、細長いものがいくつもくねくね動いて、カチ、カチ、と硬い音が漏れていました。
振り返ると、自分が遊んでいた側には大きな夕空が広がり、キノコの傘から上がる噴水は透明に戻っています。
台車は、流れるプールの方へとゆっくり曲がっていきました。
更衣室で、濡れた水着の上から服を着ます。
服の下でフリルがくたっと重たく張りついていましたが、買ったばかりの可愛い水着を着ていると思うだけで、なんだかうきうきするのです。
がんばれさん、噴水の下まで行くのが、とっても上手だったな。
体に残る甘い匂いに包まれながら、私は軽い足取りでおうちへ向かいました。




