第二十八話 時計塔
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日は、楽しみにしていた時計塔の見学の日です。
少し前、街の掲示板に色鮮やかなポスターが貼ってありました。
『良い子の皆さん、なかよしツリーを見に行こう』
スマイル市役所と、にこにこ観光協会の合同イベントと書いてあります。
最初はなんのことか分からなかったのですが、案内の絵を見ると、街のどこからでも見える大きな時計塔が描かれていました。
私はその時初めて時計塔の本当のお名前を知り、すぐに参加の申し込みをしたのです。
時計塔は、市場の少し先に建っています。
壁は綺麗に白く塗られていますが、ところどころ、下地の淡いピンク色が透けて覗いていました。
一番上にある大きな文字盤には、「13」まで数字が書かれているのです。
集合場所に着くと、すぐに名前を呼ばれました。
「マシュマロちゃんですね」
ピシッとした服を着た、市役所の職員さんがこちらへ歩いてきます。
観光協会の旗の下では、すでに他の人たちが並んでいて、係の人が大きな声で工程を説明していました。
「本日は展望台、ガラス床の順でご案内いたします。お手洗いのある方は、このあとすぐにお済ませください」
職員さんは私の前で少し身をかがめて、静かに言います。
「マシュマロちゃんの案内は、私が担当いたします」
私は心の中で「案内さん」と呼ぶことにして、そのお隣に並びました。
他の人たちは、観光協会の人に連れられて、もう歩き始めています。
案内さんは私の隣で、何も急かさず立っていてくれました。
エレベーターで上に昇ると、石と金属でできた広い廊下に出ました。
たくさんのお店や、記念写真を撮る場所が綺麗に並んでいます。
観光協会の人が、列の先頭で明るい声を上げます。
「右手に見えますのが記念撮影スポットです。背景の街並みを入れてお撮りください。次の工程まで、あと三分です」
私は写真の枠の前で少し立ち止まりました。案内さんも後ろで、足を止めてくれます。
他の列の人が「お店にも寄っていいですか?」と声をかけると、案内さんは表情ひとつ変えず、短く答えました。
「お手数ですが、観光協会の係の者へお尋ねください」
私に向き直ると、目元を優しく和らげます。
「マシュマロちゃんは、ゆっくり見て大丈夫ですよ」
賑やかな廊下を歩き、突き当たりにあるエレベーターに乗ります。
扉が開いた瞬間、目の前がぱっと開けました。
とっても高いところにある、展望台です。
おひさまの光が全面に差し込んでいて、街が全部見渡せました。
私のおうちの方角も、市役所も、噴水広場も、みんな小さくて可愛いです。
私は柵に両手をかけて、しばらくその景色を眺めていました。
足元の方を見ると、床が透明なガラスになっている区画がありました。
光が下まで落ちていて、その向こうに、もう一つのフロアが見えます。
私は柵を離れて、そちらへ歩いていきました。
足元がすっと開けて、下のフロアがよく見えます。
そこは広々としていて、たくさんの人たちが、とてもお行儀よく一列に並んでいました。みんな背筋をぴんと伸ばして、順番が来るのをいまかいまかと待っているみたいです。
観光協会の人が、明るい声を上げました。
「こちらのガラス床は、大変頑丈に作られております。どうか安心してお進みください。下のフロアでは、スリル満点のバンジージャンプをお楽しみいただいています」
ちょうど下の一人が、太くてしっとりとした赤い帯のようなものを体につけてもらい、係の人にポンと背中を押してもらっているところでした。
両手を大きく広げて、歓声をあげながら宙へ飛び出します。
ふわ、と浮いて、また戻って。
もう一度浮いて、また戻って。
そのあと、体がすーっと小さくなって、とっても下まで伸びていきました。
伸びていった先は、暗くてよく見えません。
太い帯がふっと軽くなって、空中でひらひらと楽しそうに揺れ始めました。
「すごい!何回も跳ねて、ずっと下まで行けるんだ」
私は、腹ばいになり、ガラスに額をぴったり近づけました。
下ではすぐに次の人が前に促され、同じように帯をつけてもらっています。
並んでいる人たちはみんな、真剣な顔で足元を見つめていました。これから始まる大冒険に、胸を躍らせているのかもしれません。
誰かが「今日は多いね」と小さく囁くのが聞こえました。
よく見ると、ガラス床の向こうに、赤黒い汚れがところどころこびりついています。
案内さんは、私が顔を上げるまで、何も言わずに待っていてくれました。
展望台フロアから下りのエレベーターへ向かう途中に、とっても可愛いお店がありました。
おもちゃ箱をひっくり返したようなポップな内装で、入り口では大きな時計のパネルが、みんなをお出迎えしています。
店内には賑やかな音楽が流れ、たくさんの棚に可愛らしいグッズが並んでいました。
お店の中央には、メリーゴーラウンドのようにくるくる回るカラフルな棚があって、一番上の段には13の形をした大きなお菓子が飾られています。
虹色のお砂糖がたっぷりかかっていて、中のとろりとした赤いものが、お店の明かりを浴びてきらきらと輝いていました。
大きなPOPには、丸文字で『ぜんぶ、ツリー限定グッズです!』と書いてあります。
時計の形をした大きなキャンディ、まんまるい白い石がついた可愛いストラップ、そしてリボンがちょこんとついたピンク色の小さな箱。どれもカラフルな台座やトレイに載せられていて、見ているだけでテーマパークに来たみたいにワクワクしてしまいます。
観光協会の人が、通り過ぎる列に向かって言います。
「売店は工程内ではお立ち寄りできません」
列の人たちは、お店を名残惜しそうに振り返り、通り過ぎていきました。
私は棚の前で足を止め、ピンク色の箱をそっと手に取りました。表面はつるつるとして暖かく、中で何かが蠢いた気がします。
キャンディは光にかざすと赤い筋が綺麗に透けて見えて、とても素敵です。
「どれも可愛いな」
指でなぞっていると、案内さんが静かに言います。
「お時間は、まだ大丈夫ですよ」
私は品物を棚のトレイへそっと戻しました。買わなくても、こんなに賑やかで楽しいショップを見ていられるだけで、胸がいっぱいになるほど嬉しかったのです。
お店の先、奥まった場所の物陰に、重い扉がありました。
プレートに、『じかん』とだけ書かれています。
扉の隙間から、甘い匂いと温かい風が、細く漏れ出ていました。
中で、ごく小さな機械のような音と、何かが重なる音がします。
「あそこは?」
私が聞くと、案内さんは扉の方を一度見て、それから私の顔を見ました。
返事まで、ほんの少し間があります。
「……中を、ご覧になりたい、ですか」
私は小さく頷きます。
案内さんは胸につけている黒くて小さな機械に手を伸ばしましたが、すぐには話しません。ボタンの位置を確かめるみたいに、指先が一度だけ止まります。
「確認いたしますね」
少し後ずさってから、機械に向かって短い言葉を送りました。何を言ったのかは、よく聞こえません。
案内さんは機械から顔を上げず、返事を待っているようでした。
一拍置いて、扉の内側から、カチ、と小さく鍵の外れるような音が響きました。
重い扉が、ほんの少しだけ内側から隙間を広げます。
案内さんは、その音を聞いてから、やっと私を見ました。
声は丁寧なままなのに、さっきの売店のときより、少し硬いです。
「どうぞ」
私は扉に書かれた『じかん』の文字を、もう一度だけじっと見つめます。
案内さんは急かさず、少し離れたところで静かに待っています。
他の人たちの足音は、すでに遠ざかっていました。
温かい風が、扉の隙間から、すーっと、強く流れてきていました。




