第二十四話 写生大会
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日は広場で、噴水を眺めていました。
キラキラと光る水が勢いよく空へ伸びて、また落ちてくるのを見ていると、つい時間が経つのも忘れてしまうのです。
ふと、隣のベンチに目をやりました。
杖を持ったおとなしそうな女の子が、一人で座っています。
色素の薄い髪が肩から背中に軽くかかっていて、前髪が少し長めです。
白いワンピースの裾や袖に、ところどころ小さな赤い染みがついているのが見えました。
噴水のほうを向いているのに、水を目で追っていません。
なんだか不思議な雰囲気の子です。
そのとき、街のあちこちに立っている大きなスピーカーから、いつもの優しい声が流れてきました。
「スマイル市役所からお知らせです。
本日、市役所前で写生大会を開催します。
きれいなお花畑を用意して、良い子のみなさんをお待ちしています」
私は目を輝かせました。
「お花畑いいな……遊びに行こうっと」
以前は街のあちこちで見かけましたが、最近はモデルさんばかりなので、しばらくお花を見ていないのです。
市役所前の広場に着くと、「すこやか写生大会」と書かれた可愛い看板が立っていました。
小さな旗と白い机がきれいに並び、旗が風を受けてかさかさと擦れています。
足元からは甘い匂いがふわりと上がってきて、お砂糖のような甘さと、お日さまに長く温められた少し重い匂いが混ざっていました。
受付の職員さんから画用紙とクレヨンのセットを受け取って、わくわくしながら会場の奥へ行きました。
目の前は、色とりどりのお花でいっぱいでした。
どのお花も背が高く、まっすぐ立っていて、頭には麻袋がすっぽりと被せられています。
その表面が、時々、ごく小さく動くのです。
風だけではない、ゆっくりとした、内側からの動きのように見えました。
とても可愛い、赤いお花の前に座ります。
丸い字で「チューリップ」と書かれた札が、お花の横に立っていました。
隣の男の子が、塗り始めながら小さく言いました。
「このお花、すごく赤いね」
「うん! この子がいい」
私は赤いクレヨンを選んで、紙に置きました。
チューリップの被っている麻袋の端が、ほつれています。
袋の中も赤くて、光を受けるとわずかに湿って見えるのです。
赤い蜜がぽたり、ぽたりと石畳へ落ちているので、とても状態がいいお花なのでしょう。
蜜はすぐに乾かず、石の表面に溜まっていきます。
私は赤色を丁寧に塗り重ねました。
つやつやになるまで動かすと、紙がしっとりと重くなって、指先にも薄い赤が移ります。
上手く描けた気がして、自然と口元が緩みました。
葉っぱは長く、先が五つに分かれて小さく光っています。
茎の途中は少しほぐれて、赤い雫を滲ませていました。
描いている途中、目の前のお花が、くたりと傾きかけました。
私はあわてて立ち上がり、両手で茎のあたりを支えます。
「大丈夫? チューリップさん」
掌に、生温かくて、少し湿った感触が伝わりました。
近くにいた職員さんが無言で、小さな瓶を取り出しました。
袋のほつれたところから、中に数滴、緑色の液体を落とします。
茎がピクリと硬くなって、短くふるふると震えました。
しばらくすると、しゃきっと持ち直して、またまっすぐに立ちました。
「お花の栄養剤、すごい!」
私は感心して、手を離しました。
職員さんは優しく微笑んで、次の席へと向かいました。
描きかけの絵に戻ろうとしたとき、背後で「こん」と小さな音がしました。
振り返ると、白い杖を持った女の子が、机の脚に杖を当てて立ち止まっています。
噴水広場のベンチに座っていた子でした。
淡いベージュ色の前髪が、目にかかりそうになっています。
ぶつかられた男の子が、少し不満そうな顔をしています。
「あれ」たちが、すっと寄ってくるのが見えました。
私は少し歩み寄って、声をかけました。
「大丈夫だよ。こっちの席、まだ空いてるよ」
女の子は小さく「……すみません」とだけ言って、私の声のほうへ顔を向けます。
「あれ」はその様子を見ると、そのまま離れていきました。
私は女の子の少し前を歩きながら、振り向きざまに言いました。
「気をつけて歩かないと、転んだら痛いよ?」
女の子は申し訳なさそうに、肩をすくめました。
前髪が目にかかりそうになって、彼女はそれをそっと手で払います。
杖の先が、床を探るように小さく左右へ動いていました。
ワンピースの裾に付いた小さな赤い染みが、歩くたびにかすれて見えます。
「お絵かき、しているんですよね。放送で、かすかに聞こえました」
「うん。お花畑!
放送、今日はいつもより音が大きかったね」
「……そう、なのですか」
杖を握る指先に、少しだけ力が入った気がします。
「みなさんが描いている気配が、好きです。
……この街、優しいですね」
声がとても小さくて、言葉づかいがきれいでした。
「うん、この街は可愛いものばかりだよ。
この雰囲気が好きなら、もっとお花がいっぱいあるところ、今度一緒に行かない?
きっと、もっと気持ちいいよ」
女の子は杖の先を床にそっとつけて、短く息を吸いました。
「……はい。お願いします」
「私はマシュマロ。名前、教えて?」
女の子は、まるで聞こえていないみたいに、返事をしてくれませんでした。
私は少しだけ声を大きくして、もう一度言います。
「私、マシュマロというの。
あなたの名前、聞きたいな」
「……あ、ヒナ、です。
ごめんなさい、お絵かきの邪魔をしてしまって」
ヒナちゃんは前髪をまた軽く払うと、邪魔にならない位置まで下がって、静かにその場に残りました。
しばらくして、完成した絵が掲示板に並んでいきます。
画用紙を留める音が、ぱちん、ぱちんと続きました。
私は並んだ絵を順に見ていきます。
頭の袋の部分だけを大きく描いた子、お花畑全体を俯瞰で描いた子、葉や茎を丁寧に追った子。
描き方はそれぞれ違うのに、どの絵にも赤い色が使われているのが目に入りました。
掲示板の端には、少し前までよく見かけたお花のポスターが一枚残っています。
赤い袋の下に、白くてごつごつした長い茎があるお花です。
モデルさんのポスターも素敵だけど、これも可愛かったな、と思いました。
今日は、自分で選んだお花と長く遊べたし、不思議なお友達もできました。
ヒナちゃんと一緒にするお出かけを思うと、胸の奥が少しふわっとします。
もっとお花がいっぱいのところで、同じ時間を過ごせたら、きっと楽しいでしょう。
甘い匂いが、まだ靴の先に残っています。
指先の赤いクレヨンも、簡単には落ちそうにありません。
風が吹くたびに、どこからか、ごく小さく、湿った音が混ざる気がしました。
私はおうちへ帰る途中で立ち止まって、一度だけ後ろを振り返ります。
掲示板も、お花畑も、もう遠くなっていました。
ヒナちゃんの姿は、見当たりません。
薄い桜色の空の下で、私は小さく手を振ってみました。
誰に向けたわけでもありません。
また、あの不思議な子と会えるといいな。
そう思って、ゆっくりと歩き出します。
石畳を踏む音だけが、しばらく、私の後ろに続いていました。




