第二十二話 ニュータウン
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日もお散歩をしていると、道の向こうからお坊さんがやってくるのが見えてきました。
歯を全部見せた、いつもの素敵な笑顔です。
茶色い袈裟を着て、木の柄のついた尖った道具や、布を巻いた棒をいくつも背負っています。
先の方は、少し赤く湿っているのが見えました。
「マシュマロちゃん、こんにちは」
お坊さんが先に気づいて、手を振ってくれました。
「お坊さん、こんにちは。
今日はお寺からお出かけですか?」
「うん。今日は新しい区画の、お疲れになった方々のお世話をして回る日なんだよ」
お坊さんはそう言って、笑顔を深めました。
「新しい場所を、すこやかに整えるのに必要なお役目だからね」
「へえ……。町を綺麗に保つのですね。
お坊さんは、やっぱり偉いなあ」
私は心から思いました。
お坊さんは目を細めて笑います。
「興味があるなら、一緒に来るかい?
マシュマロちゃんがいても、邪魔にはならないよ」
私はすぐに興味を持ち、こくりと頷きました。
お坊さんについていくと、大きな白いアーチが見えてきました。
上に「ハッピーニュータウン」と、丸い文字で書かれています。
アーチの両側には、お花やリボンの飾りがついていて、とても可愛らしいのです。
アーチをくぐると、石畳は白くて、ところどころがピンク色に染まっています。
踏むたびに、やわらかく沈む感触が足の裏に残りました。
両側には、ふくらんだ白いおうちが並んでいます。
表札の字体も、郵便受けの位置も、とても揃っていました。
窓の向こうでは、家族がテーブルを囲んで座っているのが見えました。
お父さんとお母さんと子供。
みんな同じ方向を向いたまま、にこにこと笑った表情で動きません。
どのおうちの家族も、笑顔の角度や手の置き方が、よく似ているのです。
テーブルの上には、ごはんがたくさん並べられていました。
丸いものや細長いもの、色とりどりのご馳走が、まるでおままごとみたいに綺麗に盛り付けられています。
表面が少しだけぬるぬるしていて、できたてのようでした。
別の窓では、誰かの手が、ゆっくりと窓ガラスの内側を撫でているのが見えました。
元気がない感じに、何度も同じところをなぞっています。
その手が、ふいに、すっと見えなくなりました。
撫でていた場所に、薄い筋が残っています。
後ろの壁では、赤い水玉模様が、さっきより少し増えている気がしました。
「みんな、とっても仲良しなんだね」
私は目を細めて、先に進みました。
角を曲がると、小さな広場がありました。
ベンチに人が座っています。
全員が膝の上に手を置いたまま、大きな笑顔を浮かべ、物音をたてずにのんびりしていました。
隣にある公園では、子供たちが遊んでいます。
滑り台の階段に手をかけたままの子や、ブランコに座ったままの子。
くるくる回る台の上に乗って、走った姿勢になっている子たちもいました。
みんな、転ばないように、手や足をきちんと保護してもらっています。
そばでは女の人たちが、無言で子供たちを見守っていました。
公園は、子供の笑い声や、遊具が軋む音で、とても賑やかです。
公園のポールの上に取り付けられたスピーカーが、なにかを放送しているみたいに、わずかに震えていました。
私は足を止めて、その微笑ましい光景をしばらく眺めました。
私の横で、お坊さんが嬉しそうに笑みを浮かべています。
「ここの人たちは、姿勢が良いのだよ」
もう少し先には、スーパーのようなお店がありました。
ガラス張りの入り口から、中がよく見えます。
棚は「お肉コーナー」「お野菜コーナー」「エサ」など分けられていて、品物がたくさん並んでいます。
どれもカラフルで、とても可愛いのです。
通路にはカートがいくつか置いてあります。
中に何かが入っていて、時々小さく動くのが見えました。
奥の方は少し暗くて、カートを押す音がしますが、お客さんの姿は見えません。
レジには、たくさんの店員さんが、同じ方向を向いたまま、背筋を伸ばして立っていました。
口元は動いていませんが、レジの方から「いらっしゃいませ」という明るい声が、くりかえし聞こえてきました。
「こんなに大きなお店があるなんて、すごい場所だな」
私はそう思いながら、お坊さんのあとについて歩きました。
スーパーの前を通り過ぎると、お坊さんが一つのおうちの前で足を止めました。
「ここが、お疲れの家族がいるおうちだよ」
お坊さんは穏やかに言って、ドアを開けます。
中を覗くと、三人の家族が床に崩れるように倒れていました。
形がところどころゆるんでいて、動かないのです。
三人の横には、折りたたんである黒い箱が積まれていました。
お坊さんは道具を持ち直すと、私の方を振り返って微笑みました。
「お世話をするので、ちょっとお外で待っていてね」
「わかりました」
私はおうちの外で、きちんと良い子に立ち止まりました。
ドアが静かに閉まります。
中から、ごりっ、という音がしました。
少し間を置いて、めきっ、という音。
くちゅっ、と湿った音も混じります。
音は時々途切れ、また続きます。
しばらくして、低くて穏やかな声が聞こえてきました。
何かを、ゆっくりと唱えているようです。
時々、その合間に、短くて愉快そうな笑い声が漏れました。
扉の下の隙間から、赤いものがゆっくりと広がってきました。
石畳の白を、じわじわと染めていきます。
「お坊さん、とても丁寧にお世話をしているのね」
しばらくして、ドアが開きました。
お坊さんは、手を合わせて、いつもの何倍も大きな笑顔を浮かべています。
足元には、サイズの違う黒い箱が三つ、きちんと並んでいました。
一番大きなものと、少し小さなものと、もっと小さなものです。
「お疲れ様でした。
家族の人たち、お出かけしたんですか?」
お坊さんは笑顔のまま、ぽたぽたと赤いものが滴る道具を、のんびり背負いました。
「安らかに過ごしてもらえる場所へね」
お世話が終わると、白い道の向こうから回収屋さんのトラックがやってきました。
おじさんが運転席から降りて、大きな笑顔で手を振っています。
首の後ろから、太くて黒い管が何本も垂れ下がり、トラックの中へと続いていました。
「おはようございます、お坊さん!
マシュマロちゃんもいるんですね。
明日の夜は爽快に起きられましたか?
僕は来週の朝から全然眠れないんですよ」
私は「こんにちは」と笑顔で返事をしました。
お坊さんが指差した三つの黒い箱を、おじさんは手際よく荷台に積み込んでいきます。
箱の隙間から、時々、何かが小さく動くのが見えました。
少し遅れて、市役所の制服を着た職員さんがトラックの荷台から降りてきました。
職員さんが手を振ると、回収屋さんが大きな白い箱を三つ運んできます。
箱を開けると、中には新しい家族が、きれいに座ったまま入っていました。
お父さん、お母さん、子供。
みんな、素敵な笑顔です。
職員さんは、空いたおうちの中に、一人ずつ配置していきます。
テーブルの前に座らされると、彼らはすぐに前を向いて、動かなくなりました。
「新しい家族さんが来てくれたんだね。
よかった」
私は、食卓を囲む仲の良さそうな家族を見て、胸がふわっとしました。
そろそろ、良い子はおうちに帰る時間です。
お坊さんたちに「お疲れ様でした」と挨拶すると、大きな笑顔で手を振ってくれました。
一人になった私は、広場の方へゆっくりと歩きます。
ベンチに座っている人たちが、さっきより少し増えていました。
全員が、同じ方向を見ています。
笑顔の角度も、手の置き方も、前と変わらず揃ったままです。
ニュータウンのアーチが見えてきた時、遠くでトラックが黒い箱を積んで走っていくのが見えました。
箱の底から、赤い滴が時々落ちて、白い道に小さな染みを作っています。
石畳を踏みしめながら、私は小さく呟きます。
「綺麗な町を、ちゃんと保ってるんだなあ」
ピンクの靴でとんとんと歩き出すと、足元の石畳が、やわらかく応えてくれました。
おうちの玄関を開けると、いつもの空気が迎えてくれました。
リビングでは、おとうさんが静かに座っています。
天井ではおかあさんが、白いワンピースの裾をゆっくりと揺らしていました。
床の下からは、おとうとの小さな寝息が、ぶーん……ぶーん……と聞こえてきます。
私はピンクの靴を脱いで、そっと笑いました。
「ただいま。
みんな、待っててくれたんだね」
ふと、今日見たニュータウンのことを思い出しました。
私の家族も昔、ああやって、このおうちに来たのでしょうか。
……忘れてしまいました。
でも、それで良いのです。
今こうして、みんながいてくれる。
それだけで、私は毎日幸せなのです。




