第二十一話 うるおい工房
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日はお散歩の途中で、「蜜の壺」に遊びに行きました。
蜂さんやハートがいっぱい飛んでいる看板が、とても可愛らしいのです。
お店の中は相変わらず黄金色にきらきらしていて、床を踏むたびにくちゅくちゅと可愛い音がしました。
カウンターにいるバーテンダーのおねえさんは、今日も上半身だけを優しく傾けて、笑顔で迎えてくれます。
ふと見ると、おねえさんは店内の一角に貼ってあるポスターを、ぼんやりと見つめていました。
そこには、吸い付くような艶やかなお肌をした、綺麗なモデルさんの写真が載っています。最近、街のあちこちでよく見かける人たちです。
「綺麗よね、本当。……私には、ちょっと縁のない話だけど」
おねえさんはそう小さく呟くと、自分の足元をチラッと見下ろしました。
スカートの裾の奥で、何かがゆっくりと脈打つように動いているのが見えます。
天井から伸びた蔦が、少し寂しそうに揺れました。
「……おねえさん、綺麗なお肌、いいなって思うのですか?」
私が尋ねると、おねえさんは少し目を丸くしました。
すぐに、いたずらっぽく目を細めて笑います。
「あら。マシュマロちゃんが、そんなことに興味を持つとは思わなかったわ。
……まあ、私も女だもの。少しは、ね。
ツヤツヤしてたら、もっと嬉しいかも」
その小さな本音を聞いて、私はなんだか嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
「どうやったら、そういうお肌になれるのでしょう?」
おねえさんはくすっと笑いながら、教えてくれました。
「うるおい工房」というお店で売っている石鹸や化粧水が、お肌にとても良いらしいのです。
「わあ……ありがとうございます!」
私はにっこり笑ってお礼を言ってから、ピンクの靴をしっかりと履き直しました。
いつもお仕事を頑張っているおねえさんに、とっておきの贈り物をする為に。
教えてもらったお店は、とても色鮮やかな建物でした。
壁にはお花や葉っぱの絵がいっぱい描かれていて、扉を開けた瞬間から、甘くて香ばしい良い香りがふわっと広がります。
お店の中にもモデルさんのポスターが貼ってあって、みんなここでお手入れをしているのかなと思うと、なんだかわくわくしてきます。
おねえさんへのプレゼントを探そうとしていたら、黒いエプロンをつけた店員さんが笑顔で声をかけてくれました。
制服は鮮やかな緑色で、胸元に小さな葉っぱの刺繍がしてあります。
「ようこそ。
今日は手作り体験をやっているんですよ。天然素材だけで、世界に一つだけの石鹸が作れます」
大きな看板に、手書きで「手作り体験コーナー」と書かれていました。
「本当に? 私もやってみたい!」
私は目を輝かせて、すぐに頷きました。
おねえさんへのプレゼントを探す前に、自分で作れるなんて、なんだか特別な気分です。
「手作り石鹸コーナー」は、思ったより賑やかでした。
清潔そうな白いタイル張りの部屋に、何人もが大きなボウルの前に立って、真剣にヘラを動かしています。
材料が並ぶ棚には、「やわらかめ」「お肌にハリを与える」「香りの強いもの」など、効果の書かれたラベルが貼られています。
私の隣のテーブルでは、赤黒い塊をたくさん入れている人がいました。
ヘラで押すたびに、塊から半透明の脂のようなものがにじみ出て、形がゆっくりと変わっていくのです。
別のテーブルで練っている、白くてぶよぶよしたものは、押すと元の形に戻ろうとするのがわかりました。
エプロンを着けた店員さんが、優しく微笑みかけてくれます。
制服の袖の下から、もう一組の細い手がそっと出ていて、ヘラを持ったり、型を支えたりしていました。
「手がたくさんあって、お仕事が早そう」
私はそう思いながら、自分のボウルを見つめました。
切り分けられた材料を入れると、ほのかに生温かくて、やわらかい感触です。
ヘラで練り込んでいると、時々小さく痙攣するような手応えが伝わってきます。
押すと脂分がにじみ出て、ボウルの底の方が少しテカって見えました。
「新鮮なうちにじっくり練り込むと、とても良い香りと成分が立つんですよ」
店員さんが教えてくれます。
「温かくて、やわらかくて……とっても元気な材料さんなんだね!」
私は嬉しくなって、心を込めてぐるぐる練り続けました。
店員さんが「型に流しましょうね」と下の細い手で型を支えながら、上の手で私のボウルを傾けるのを手伝ってくれます。
とろりとした材料が、型の中にゆっくりと落ちていきました。
型の中の石鹸は、淡い桃色をしていて、表面がツヤツヤしていました。
近くで見ると、中に細かい筋のようなものが、うっすらと浮かんでいるのがわかりました。
「世界に一つだけの石鹸です。
まだ完全に固まっていないので、型のままお持ち帰りくださいね」
店員さんが、もう一組の手で丁寧に包装紙を準備しながら言います。
「わあ……自分で作った石鹸。
使えるようになるのが楽しみ!」
私は石鹸を両掌で包み込むように持って、鼻を近づけてみました。
甘くて、少しだけ鉄っぽいような、不思議ないい匂い。
とっても可愛い仕上がりに、私は思わずにっこりとしました。
売り場へと戻る途中、「資源を大切にしています」と書かれた大きな木箱が置いてありました。
使い終わった材料を入れる箱のようです。
フタが少し浮いていて、その隙間から、赤いものがゆっくりと脈打つように動いているのが見えました。
時々、くちゅ、くちゅ、という音が中から聞こえてきます。
「無駄が出ないようになってるのね」
環境に優しいお店のようです。
途中、「リラックススパ」と書かれたお部屋がありました。
半透明のすりガラス越しに中を覗くと、ふんわりとした柔らかい光と、心地よい香りに包まれています。
台の上で、誰かがゆったりと体を伸ばしてもらっているのが見えました。
大きな店員さんが四本の腕を使って、丁寧に肩や足を支えたり、ぐねぐねしたものを取り除いたりしてくれているようです。
体の線がだんだん柔らかくなっていくのが、ぼんやりとわかりました。
とろりとしたものが台の溝を伝って、静かに流れていきます。
天井からは、たくさんの人がぶら下がって、ガチャガチャと音を鳴らしながら、楽しそうに揺れていました。
待っている間、退屈しないように遊具が使えるのでしょう。
「これ……外して……」「次は私……?」
と、順番をワクワクしながら待っている人たちの声が、下の作業の音に混じります。
揺れるたびに、細い筋が伸びて、床へ落ちていくのがわかりました。
奥からは、温かいものがパイプを伝う音が、規則正しく聞こえてきます。
「みんな、すごく気持ちよさそう。
天井でブランコしてる人もいる。
……大人って、いいなあ」
私はガラスに額を近づけて、そっと息を吹きかけました。
最後に、バーテンダーのおねえさんへのプレゼントを探すことにしました。
お風呂に入るのが難しそうなので、お肌に直接つけられるものが良いでしょう。
綺麗なボトルや、色とりどりの石鹸が並ぶ棚を眺めていると、店員さんが声をかけてくれました。
「お勧めの新商品はいかがですか?
ちょうど今、実演をご覧いただけます」
店員さんが案内してくれた台には、一人の女性が横たわっていました。
目を閉じたまま、静かに息をしています。
店員さんはトレイから、うっすらとお肌の質感がある、薄い膜のようなものを取り出しました。
「このフェイスマスクは、モデルさんが使われているんですよ」
女性の顔の上に、まるで大切なお人形に着せるように、そっと重ねます。
マスクが肌に触れた瞬間、ペタリと密着し、ゆっくりと沈み込むように馴染み始めていきました。
女性の体が、ごく小さく動いた気がします。
しばらくすると、女性の顔は、吸い付くほど艶やかなお肌に変わっていました。
「わぁ……! 魔法みたい!
モデルさんが使ってるものは、すごいのね。
このマスクに決めました!」
私は胸の前で手を合わせて、目を輝かせました。
女性は、綺麗になった自分の顔を鏡に映して、安心したように目元を緩めていました。
ほっとした吐息が、小さく漏れた気がします。
店員さんは彼女の肩に手を置き、淡々とした声で言いました。
「実演お疲れ様でした。
スパでリラックスしてきてくださいね」
その言葉が落ちた瞬間、女性の肩が、びくりと小さく跳ねました。
目線があちこちに揺れています。
きっと、びっくりしたのでしょう。
「ひっ……!」という声に、床を滑るような小さな音がいくつも重なりました。
「あれ」たちが、いつの間にか周りに集まってきています。
静かに女性の両脇を支えると、女性は唇を小さく動かしましたが、声にはなりませんでした。
「次はスパで、もっと気持ちよくなれるんだね」
私はそう思いながら、店員さんが差し出してくれたピンクのリボン付きの包みを、両腕で大切に受け取りました。
ラッピングの上からでも、中のものがわずかに温かく感じられます。
おねえさんは、きっと喜んでくれる。
そう思うと、嬉しさで胸の奥がくすぐったい感じになりました。
「蜜の壺」に戻ると、おねえさんは接客を終えて、お食事をしているところでした。
カウンターの下の方で、何かがゆっくりと動いている気配がします。
「おねえさん、ただいま! これ、プレゼントです!」
私がリボンのついた包みを差し出すと、おねえさんは目を丸くしてから、とても愛おしそうに受け取ってくれました。
「まあ……私のために?
ありがとう、マシュマロちゃん……!
あなたって本当に……良い子なのね」
その声と一緒に、天井から垂れ下がっている蔦が、くねくねと大きく揺れ始めました。
「これね、モデルさんが使っているんだって!
おねえさんが、もっと綺麗になれますように」
「ふふ、楽しみだわ。今夜、お店が終わってから試してみるわね」
おねえさんは上半身をゆったりと揺らしながら、とても嬉しそうに微笑んでくれました。
蔦たちも、その笑顔に合わせるように、しばらく揺れていました。
お店を出ると、夕暮れのお空が綺麗な紫色に染まり始めていました。
街角のポスターでは、艶やかなお肌のモデルさんたちが、相変わらずにこにこと笑っています。
プランターの中にも、大きな笑顔を浮かべた姿が、静かに並んでいました。
私はピンクの靴でとんとんとリズムを取りながら、ゆっくりと歩き出します。
踏みしめるたびに、柔らかな感触が足の裏に伝わってきました。
おねえさんが喜んでくれる姿が見れて、今日はとっても素敵な日。
空の色も、風の匂いも、なんだか全部が優しく感じられます。
「また、遊びにいこうっと」
私は小さく呟いて、紫色の街並みを歩いていきました。




