第十七話 テーマパーク
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
家の中にいると、遠くからオルゴールのような音が聞こえてきました。
軽やかで、でも少しだけ音がずれているような、不思議なメロディーです。
気になって玄関を開けると、黒い大きな馬車がゆっくりと近づいてくるところでした。
艶やかな黒い布が張ってあり、そこからほんのり甘い、鉄のような香りがします。
優雅な金色の文字でこう書かれていました。
「至福のマジックショー」
馬車の小さな窓から、きれいなお顔をした受付のお姉さんがひょっこり顔を覗かせました。
「あら……この前の、金色メダルの特別なお客様」
馬車がすっと停まり、重厚な扉が開きます。
中から降りてきたのは、黒い燕尾服にシルクハットをかぶった優雅なおじさま――マジシャンのヴィクター・マリスさんでした。
マリスさんは胸に手を当て、優美にお辞儀をしました。
「これはこれは、当劇場のVIPのお客様。
このような場所でお会いできるとは光栄です。
本日は出張公演で、テーマパークへ向かう途中でございます。
よろしければ、お乗りになりませんか?」
「わあ、マリスさん!
私、行ってみたいです!」
「ええ、喜んで。どうぞ、こちらへ」
マリスさんは細く白い手で私の手を取ると、優しく馬車へと引き上げてくれました。
馬車に揺られて到着したテーマパークは、街の少し奥にありました。
入り口には、お砂糖の細密細工やカラフルなクッキーで飾られた大きな門がそびえ立ち、一番高いところに『スイート・パーク』という甘い文字の看板がキラキラと輝いています。
門をくぐると、砂糖とクリームの香りが立ち込めていて、まるで大きなケーキの中に閉じ込められたみたいです。
園内を案内してくれるスタッフのお姉さんたちは、可愛らしいパステルカラーのふわふわドレスを着ていて、背中についた大きなリボンが歩くたびに揺れていました。
「本番のショーの前に、キャストたちの動きを拝見してインスピレーションを得ようと思いましてね」
マリスさんはステッキを片手で軽やかに弄びながら、穏やかな微笑みを絶やさずに歩きます。
通りの向こうから、スタッフのお姉さんに導かれて、たくさんのキャストさんたちが一列になって歩いてきました。
みんな頭に、可愛らしいドーナツやキャンディの絵が描かれたカラフルな袋をすっぽりと被っています。
目の部分だけぽっかりと小さな穴が開いていて、穴の奥から見つめ返す瞳が、ゆらゆらと揺れていました。
「わあ、可愛いキャラクターたち!
これから出番なのかな」
「ええ。本日の舞台を彩る、『材料』たちでございます」
マリスさんは優雅にステッキの先で彼らを指し示すと、目を細めて満足そうに頷きました。
最初に見えてきたのは、大きな紅茶のカップがいくつも並ぶアトラクション『シュガー・ティーカップ』でした。
カップがけたたましい音を立てて激しく回転すると、中央の大きなポットから、熱々の濃密なお茶がなみなみと注がれます。
カップの中にいるキャスト「角砂糖くん」たちは、お茶が掛かるたびに体をびくびくと震わせ、高く短い声を上げました。
「ひあっ……!」「あっ、あっ……!」
お茶を吸い込んだ身体は、まるで湿った角砂糖のように、足元からポロポロと崩れていきます。
溶けていくにつれて声も変わり、「ゴボ、ゴボ……」と甘い気泡のような音になっていきました。
湯気の中で輪郭を失いながら、どこかうっとりとした目つきのまま、カップの底へ沈んでいきます。
回転が静まると、カップの底から小さな音を立ててお茶が抜けていきました。
中が空になると、スタッフのお姉さんたちが慣れた手つきで次の角砂糖くんをカップに導き、また新しいお茶が注がれます。
入れ替わりがとてもスムーズで、周囲の観客からは楽しげな拍手が上がっていました。
「わあ……くるくるして、泡も可愛い」
私が目を輝かせて言うと、マリスさんは口元に笑みを浮かべたまま、細い目を愉快そうに細めました。
「ええ、実に滑らかです。……あの、脆く解けて沈んでいく瞬間の目つき、実に良い。私の『消失演目』にも取り入れたくなりましたよ」
「うん。なんだか楽しそう」
「ふふ……これ以上ない喜びでしょうね」
次に見えてきたのは、細くて長いトンネルを猛スピードで駆け抜ける『チュロス・フライ・コースター』です。
こちらは音楽が一段高く、スピード感のある軽快なメロディが流れています。
レールを叩く金属音に合わせて、筒の奥から楽しそうな高い声が聞こえてきました。
ぎゅうぎゅうに狭い筒の中を、チュロスさんたちが押し出されるように滑り降りてきます。
筒の出口の手前で、急に細い金属の枠がいくつも迫ってきて、体を縦に裂くように分けていくのが見えました。
「ひっ……!」「うあっ……!」
高く短い声が、風を切る音とともに細かく弾けます。
分かれたまま黄金色のプールに落ちると、油面がパチパチと小さく波立ちました。
声は飛び込む瞬間にぷつりと途切れ、しばらくは底の方で静かに沈んだままでした。
やがて、こんがりとした波打つ棒状のものが、表面にふつふつと泡を立てながらゆっくりと浮かび上がってきます。
形は大きく変わっているのに、ところどころに元の色が薄く残っていて、ごく小さく震えているようにも見えました。
スタッフが手早く網で引き上げると、隣にある白いお砂糖の砂場へ運んでいきます。
そこで軽く転がして表面を満遍なくお砂糖でまぶし、チュロスが完成するのです。
周囲からは大きな歓声が上がっていました。
「滑って……細くなって、お砂糖までついた!」
私が感心して眺めていると、マリスさんはステッキの柄で自分の顎を軽く叩きながら、小さく首を傾げました。
「素晴らしいですね。……ですが私なら、あの金属の枠をくぐる直前の演出をもう少し引き延ばします。
あの細く分かれる一瞬こそが、観客の息を止めるのですから」
「マリスさんは、見せ方が上手だものね」
「お褒めに預かり光栄でございます」
最後にたどり着いたのは、パステルカラーの屋根が可愛い『ハニー・メリーゴーラウンド』でした。
ここは音楽がゆるやかで、甘い鈴の音が可愛らしく混ざっています。
ゆっくり回転する軸には、ポーズをとったキャンディさんたちがしっかりと固定されていました。
天井にある大きな蜂の巣タンクから、とろとろの透明なハチミツがゆっくりと降り注ぎ始めます。
最初は肩や髪に掛かる程度で、キャンディさんたちはまだまばたきをし、小さく吐息のような声を漏らしていました。
「ん……っ」「うあ……」
ハチミツの量が多くなるにつれて、声が湿ったように変わっていきます。
全体が甘い液体で覆われたあたりで、回転軸のあちこちについた大きなミツバチさんのオブジェが、白い冷気を吐き出し始めました。
最初は指先だけに当たります。
当たったところから、くすぐったそうに小さく震えていた指が、次第に動かなくなっていきました。
冷気が腕や肩へと広がるたびに、体の震え方が変わっていきます。最初はびくびくしていたのが、次第に硬く、短くなっていくのです。
「んっ……ぐ……っ」
声も少しずつ細くなり、途切れ途切れになっていきます。
瞳だけが、ゆっくりと動いていました。
やがて全身を覆っていたハチミツが、内側から凍り始めます。
表面までカチカチに硬化していく音が、小さく聞こえてきました。
最後まで動いていた瞳も光を反射したまま止まり、綺麗な琥珀色のキャンディが出来上がりました。
次のキャンディさんがすでに列を作って待っていて、スタッフが淡々と入れ替えの準備をしていました。
周囲からは、祝福するような優しい拍手が聞こえてきます。
「蜂さんが息を吹きかけると、つやつやの飴になっちゃうんだね」
私が感心して見上げていると、マリスさんは杖を両手で持ち直し、どこか魅了されたような低い声で呟きました。
「美しい……時を止める魔法のようです。
あのように、少しずつ声を失い、冷たい光の中に閉じ込められていく過程には、二度と解けない強い愛が宿るのですよ」
「ずっと解けない愛……ロマンチックだね」
「ええ。永久の愛ほど甘い演目はございませんから」
アトラクションを一通り見たころには、パークの中央ステージから軽快なオルゴールの音楽が聞こえてきました。
マリスさんは懐中時計をカチリと閉じると、私に向かって深々と腰を折ります。
「実に良い刺激になりました。
さあ、マシュマロちゃん。
私の出張マジックショーの時間が近づいております。
特別なお客様のための、とびきりの特等席へご案内いたしましょう」
「はい! マリスさんのマジック、とっても楽しみです!」
私たちはステージの方へ歩き出します。
通りの途中に、カラフルな可愛らしいショップがありました。
棚には、おしゃれなガラス瓶に詰まった濃い色のお茶や、紙包みに入ったこんがりしたものが綺麗に並んでいます。
「わあ、可愛い……」
思わず足が向きかけたところで、マリスさんが優雅に私の肩へ手を添えました。
「マシュマロちゃん、開演の時間が近づいておりますよ。
最高の席を逃すのは勿体ない」
「あ、はい!」
私はショップに手を振って、マリスさんの歩幅に合わせてパタパタと走り出しました。
特設ステージの脇では、あの受付のお姉さんが、黒いドレスの裾を揺らしながら両手を腰に当てて待っていました。
「特別なお客さま、こちらへどうぞ!
……マリス様、遅刻ギリギリですよ。みなさん首を長くして待っておられます」
マリスさんはステッキの先端でシルクハットのつばをちょんと持ち上げると、悪びれもせず優雅に片目を瞑ってみせました。
「申し訳ない、つい時を忘れてしまう質でね。……ではマシュマロちゃん、後ほど至福の舞台でお会いしましょう」
マリスさんが深々とお辞儀をして舞台裏へ消えていくと、お姉さんは小さく息をつき、私に優しく微笑みかけてくれました。
お姉さんが手招きする先には、赤い絨毯が敷かれたとびきりの特等席が用意されています。
華やかなステージの灯りが、もう目の前でゆらゆらと揺れていました。




