第十二話 学校
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
今日も、いいお散歩日和です。
時計塔が低く唸るような音を、街中に長く響かせています。
お空は綺麗な桜色をしているけれど、どこか空気が重く感じられる朝でした。
私は、公園に行ってみようかなと思いながら、のんびりと歩いていました。
すると向こうから、一人の男性が、にこにこしながら歩いてくるのが見えました。
足を少し引きずるようにして、ゆっくりと近づいてきます。
こちらに気づくと、大きな笑顔を崩さずに、軽く手を挙げてくれました。
まぶたが重そうに垂れていて、首のあたりの皮膚が、ぷるぷると波打っています。
開いたままのお口の奥から、どっしりとした声が聞こえました。
「おや? マシュマロちゃんじゃないか。
お散歩かい?」
私は小さく会釈を返しました。
「校長先生、こんにちは」
校長先生は、私の手に握られている鈴に目を留めました。
とても驚いたような声が、お顔の奥から聞こえます。
「その鈴……マシュマロちゃんが持ってるの? どうしたんだい?」
「市場で、夜警さんに買ってもらったんです」
校長先生はよほど面白かったらしく、全身の皮を震わせて笑いました。
「面白いイタズラをするもんだな、あの人も……じゃあ、せっかくだから、学校に寄っていくかね?」
私は少し首をかしげました。
そういえば私は、学校に行った事がありません。
「……行ってもいいんですか?」
「もちろん。鈴を持っているしね」
校長先生はそう言って、ゆっくりと歩き始めました。
私はその後ろについて、学校の方へ向かいました。
学校に着くと、大きな門が見えました。
門柱には「入学式」と書かれた看板と、「卒業式」と書かれた看板が、それぞれ立てられています。
「卒業式」の看板の近くには、黒い箱がいくつも積み上げられていました。
「入学式」のほうには、たくさんの人が並んでいます。
小さな子からご年配の人まで、年齢はばらばらです。
みんな少し緊張した顔で、「あれ」たちに背中を押してもらったり、手を取られたりしながら、建物の中へと誘導されていきます。
手首や頭に、私が持っているのと同じ、お顔の形をした可愛い鈴がくっ付いていました。
時折、誰かが足を止めて後ろを振り返ったり、立ち去ろうとするように体をよじらせたりすると、鈴が甲高い音を立てます。
すると、その人は急に嬉しそうに体を震わせ、背筋をぴんと伸ばして、また歩き始めるのです。
校長先生は大きな建物の前で立ち止まり、振り返って私に言いました。
「ここが校舎だよ。毎日、いろいろな子が集まってくるんだ」
周囲からさまざまな声が聞こえてきました。
大きな歓声があちこちで上がり、足音や、何かが動く物音が混じって、なんだかとても賑やかです。
黙っている人もいれば、
「この鈴、外して! いやぁっ……」
「おちつけ、逆らうとまた……」
と仲良くおしゃべりしている人たちもいます。
私は自分の鈴をそっと撫でながら、入学する人たちを見ていました。
「みんな、とても嬉しそう……」
校長先生は穏やかな笑顔で頷きました。
首の皮膚がずれて、黒いものがちらりと見えます。
「ここで学び、卒業していくんだよ」
校長先生はそう言って、再び建物の方を向きました。
校庭の中央では、とても大きなランニングマシンの上で、たくさんの人がかけっこをしていました。
周囲の壁には、丸っこいうさぎと亀が競走している絵が描かれていて、愛らしいのです。
どんどん流れるベルト部分には、ところどころに赤黒い模様が浮かんでいました。
校庭のスピーカーから流れる元気な曲は、音が歪んだり、途切れたりしています。
大きな体の先生がマシンのそばに立って、メガホン片手に熱心に声をあげていました。
皮膚がピンと張りつめていて、動きに合わせて筋肉が浮き上がっています。
「さあ、みんなまだまだいけるぞ!
足を止めるな! その調子だ!」
走り続けられなくなった人が足を止めると、そのまま後ろへ流されていきます。
ベルトの終わりの部分には、可愛いお星様がたくさん描かれた大きな箱が、近づいてきた人を優しく迎え入れるように、入り口を大きく開けています。
箱の近くでは、這いながら前に戻ろうとする人や、幸せそうな声をあげる人の姿が見えました。
箱の内側から、ごりごり、めきめき、という音が、はっきりと聞こえてきます。
先生は汗を拭きながら、さらに大きな声で叫び続けています。
「もっと気合を入れろ! 限界を越えるんだ!
終わりなんてないんだぞ!」
その声はとても熱く、生徒たちを心から励ましているように聞こえました。
校長先生に校舎の中を案内してもらいながら歩いていると、たくさんの人とすれ違いました。
小さな男の子や、それより小さなおじさん。
肌の白いお姉さんや、肌の赤いお兄さん。
みんな壁際に座っていたり、寄りかかったりしています。
廊下のスピーカーから、優しいお姉さんの声が聞こえてきました。
「お食事の時間です。給食当番の人はお集まりください。」
その声が響くと、教室の扉がぽつぽつと開いていきました。
中から生徒さんたちが、ゆっくりと廊下に出てきます。
授業を一生懸命頑張っていたのでしょう。
みんなちょっと疲れたお顔をしています。
袖が片方だけぺらぺらと揺れている子や、足を引きずるようにして歩いている子もいました。
先生たちに誘導してもらい、全員が同じ方向に進んでいきます。
足元がふらついている人もいるけれど、みんなで支え合いながら、ちょっと急いでいるみたいに歩いていました。
校長先生は足を止めて、壁際に寄って生徒さんたちを通してくれました。
「おっと。給食の時間だね」
その声は、どこか嬉しそうに聞こえました。
生徒さんたちが向かうほうに進んでいくと、重そうな鉄の扉がありました。
上には「給食室」と書かれた金属の看板がかかっています。
看板には、コック帽をかぶった牛さんと豚さんが、楽しそうにフライパンを持っている絵が描かれています。
豚さんの足元には、赤くて潰れたものが何個も積まれていて、私は「トマトかな?」と思いました。
扉の前には、生徒さんたちを迎えるみたいに
、「あれ」が何体も集まっています。
列に並んで歩いていた人たちのうち、看板を見た何人かが急に足を止めて、ぐずり始めました。
「この部屋、入りたくない……もうやめて……」と、小さく呟いている人もいます。
「あれ」たちが、並んでいる人たちのところへ近づき、体にくっ付いている鈴を外し始めました。
お顔の形をした鈴が、ピンク色の細いものを何本も揺らしながら体から離れると、その人はびくりと背筋を伸ばして、顔を天井の方へ向けました。
細いものがちぎれるみたいな、プツプツという音が小さく聞こえます。
外された鈴は、扉の横に置かれた大きな箱の中に、次々と入れられていきます。
箱の中では、回収された鈴たちが、小さく綺麗な音を鳴らしていました。
まるで、また次の良い子のところへ行けるのを楽しみにしているみたいで、なんだか愛らしいのです。
鈴を外された人たちは、ぐったりとした様子で、「あれ」に連れられながら、鉄の扉の向こうへ入っていきました。
扉が開くたびに、中からぼんやりとした光が漏れてきて、鉄っぽい香りがふわりと漂ってきます。
重い鉄の扉が閉まる音が、ずん、と響くたびに、生徒さんの列が少しずつ短くなっていきます。
私は自分の鈴を指でいじりながら、その様子を見ていました。
「給食当番の人、たくさんいるんですね」
校長先生は穏やかに微笑んで、頷きました。
「学校のみんなが食べるからね」
その声には、どこか満足げな響きがありました。
次に案内されたのは、学校のホールでした。
紅白の垂れ幕が掲げられた場所に、鈴を手首や頭につけた人たちがずらりと並んでいて、スピーカーから明るい音楽と一緒に声が流れています。
「本日も新しい仲間をお迎えできましたことを、心よりお祝い申し上げます」
並んでいる人たちは、立ち止まる事なく、次々と前に歩いていました。
壇上に置かれたネコのぬいぐるみから、「入学おめでとうございます」という祝福の音声が再生され続けていて、とてもおめでたい雰囲気なのです。
列の先頭にいる人から順番に、ホールの奥にある大きな扉の向こうへと入っていきます。
反対側では、別の列ができていました。
白黒の垂れ幕が掲げられた場所に、壊れたお人形がたくさん並んでいて、スピーカーから「卒業おめでとうございます」という放送が流れています。
「あれ」たちが一体づつ丁寧に運び出していく様子が、すごくきちんとした感じに見えました。
校長先生が私を見て、優しく言いました。
「どうだったね? 学校は」
私は笑顔を浮かべて答えました。
「色々教えてもらえるし、みんな一生懸命やってて……すごく素敵な場所ですね」
幸せな気持ちになりながら、ホールの窓から外を眺めると、校門の近くに、回収屋さんのトラックが停まっていました。
黒い箱をいくつも積んだまま、エンジンをかけた状態で待っているようです。
私はその荷台をじっと見ながら、ふと小さく息を吐きました。
「学校って、ほんとに忙しいところ……
でも、楽しそうでいいな……」
私は校長先生の方を向きました。
「私も、ここに入れてもらえませんか?」
校長先生は微笑んだまま、何も答えませんでした。
ただ、静かに私を見つめています。
私は少し首を傾げて、自分の鈴をいじろうとしました。
……けれど、鈴はいつのまにか、手の中にありませんでした。
きっと、必要な子のところへ遊びに行ったのでしょう。
私は校長先生に軽くお辞儀をして、校舎を出ました。
外は少し暗くなっていて、回収屋さんのトラックはもう校門の近くから姿を消していました。
美味しそうな匂いが、辺りに漂っています。
給食室の方から来ているみたいで、お肉を焼いているような、濃い匂いです。
重い鉄の扉の向こうで、給食当番の子たちが準備を頑張っているのかもしれません。
「また来ようかな……」
そう呟いて、私はゆっくりと校門を出ていきました。




