第十話 お寺
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
いつものようにお散歩をしていると、道端で小さな「あれ」が動かなくなっているのを見つけました。
地面にぴたりと横たわっていて、何の反応もないのです。
指で優しく触れてみると、もう冷たくなっていました。
ところどころがめくれていて、赤くて細いものがむき出しになっています。
目があったはずの部分は、空っぽになっていました。
「……かわいそう」
私は小さく呟きました。
いつもはあんなに元気なのに、こんなところで動かなくなってしまうなんて。
このまま道端に置いていくのは、なんだか寂しい気がしたのです。
ふと、お寺のことを思い出しました。
笑顔が素敵なお坊さんのいる、あのお寺。
きっとあそこなら、この子も安心して眠れると思います。
私は「あれ」を両手でそっと抱き上げました。
ぬるっとした感触が掌に残りますが、優しく胸に寄せます。
「今まで頑張ったね。
一緒に、お寺に行こうね」
私は小さく微笑んで、「あれ」を抱えたまま歩き始めました。
木の向こうに、どっしりとした大きな像が見えてきました。
お膝を組んで座っていて、青銅色に光るお顔が、静かにこちらを見下ろしているみたい。
遠くからでもすぐにわかるので、私はいつも「あの太ったおじさんの像が見えたらお寺だね」と目印にしているのです。
境内に入ると、茶色い袈裟を着たお坊さんがほうきで、赤い塊を掃き集めていました。
私に気づくと、お掃除をやめ、小さく手を振ってくれます。
「マシュマロちゃん、よく来てくれたね」
私は丁寧にお辞儀をしました。
「こんにちは、お坊さん。道端で動かなくなっていた「あれ」を連れてきたの。
落ち着ける場所だからと思って……」
お坊さんは、歯ぐきまで見える大きな笑顔で頷きました。
「そうか。丁寧に供養しよう」
境内の隅に、大きな麻袋が落ちていました。
中身はすっかりなくなっていて、袋の内側がところどころ赤く染みています。
私は近づいて、そっと触れてみました。
少し湿った感触が指に残ります。
「この前のボール、壊れたの?」
「そうだよ。たくさん遊んだからね」
お坊さんはそう言って、目元を優しく下げました。
私たちは一緒に、のんびりと本堂の方へ歩き始めました。
境内にそびえる太ったおじさん像の足元には、何人かの人が集まっていました。
みんな体をくねくねと動かしていて、とても楽しそうにしています。
「わあ、みんなはしゃいでる……」
そのとき、境内に入る門の方から、賑やかな足音が聞こえてきました。
振り返ると、お兄さんやお姉さんたちが何人か、疲れた様子で境内に入ってくるのが見えます。
服は少し汚れていて、息を切らしながら、お互いに声をかけ合っています。
「もう大丈夫だよ……お寺なら安全だ」
「……でも、ここに来るまでに、みんなが……」
私は少し首をかしげました。
すると、大きな像の台座の下から、太くてピンク色の長いものが何本も、ぬるりと伸びだしました。
まるで、来た人たちを優しく迎え入れるように、地面を滑っていくのです。
お兄さんたちは、太いものが近づいてくるのを見て、賑やかな歓声をあげました。
「ひっ……何か来てる……!」
「やめて!離して!いやぁっ……!」
手を嬉しそうにばたばた振りながら、像のほうに近寄っていくのを見て、私は小さく微笑みました。
お兄さんたちは像の足元にぴたりとくっついて、お互いにおしゃべりしていましたが、少しすると、他の人たちと一緒に体をくねくね動かしはじめました。
「みんな、お寺が大好きなんだね」
私は立ち止まって、その様子をしばらく眺めました。
「救いを求める人のための場所だからね」
お坊さんは、大きな笑顔を浮かべて、お兄さんたちの踊りを見守っていました。
本堂に入ると、中は少し薄暗くて、甘いお線香の匂いがふんわりと漂っていました。
このお寺のご本尊様は、外に置かれている大きなおじさん像と違って、とても可愛いのです。
ふっくらとした白いお肌。
大きくて少し潤んだ、優しそうな目。
にっこり開いたお口の中は、薄っすらと赤みがかった柔らかい色をしています。
お腹には、ピンク色の管のようなものが絡まっていて、ところどころがぷくぷくと膨らんだり、縮んだりしているのがわかりました。
私は手を合わせて、静かに頭を下げました。
「こんにちは、仏様」
本堂の中では、たくさんの人がお祈りの姿勢で座っていました。
みんな笑顔のまま、一生懸命にお経を唱え続けています。
声が途切れそうになっている人を見つけて、お坊さんがのんびりと近づき、丁寧に頭を整えてあげました。
目元を穏やかに下げながら、少し低い声で
「しっかり祈りなさい。御仏に届くように」
すると少し背中を反らせてから、また熱心に声を出し始めるのです。
ご本尊様の足元からは、細くてピンク色のものが何本も伸びていて、お祈りする人たちを慈しむように、緩やかに絡んでいます。
私は手を合わせて、小さく微笑みました。
「仏様、とっても嬉しそう。
集まってる人たちの事が大好きなんだね」
お坊さんが、私のそばにやって来ました。
私が連れてきた「あれ」を抱えています。
「マシュマロちゃん、奥の部屋でこの子を弔うけど、見るかい?」
私は少し首をかしげました。
「奥の部屋?」
「そう。仏様のところへお送りする場所だよ」
お坊さんは穏やかに言いながら扉を開け、「あれ」を部屋の中に入れました。
私は頷いて、扉についた小窓から、少しだけ中の様子を見てみました。
部屋の中は真っ暗で、中からたくさんの人の声が聞こえてきます。
みんな楽しそうに、何か話したり歌ったりしているみたいです。
時々、くちゅ……くちゅ……という、湿った音も混じっています。
なにかが、「あれ」の体を、部屋の奥へと引き込んでいくのが、ぼんやりと見えました。
「あの子、向こうで幸せになれるよね?」
お坊さんは無言で、私の肩にそっと手を乗せました。
本堂を出ると、屋外の太ったおじさん像の足元では、さっきのお兄さんやお姉さん達が楽しそうに体をくねらせていました。
辺りに、いつのまにか、赤い塊がたくさん散らかっています。
私はお坊さんに小さくお辞儀をして、境内を後にしました。
「また来ますね、お坊さん」
お坊さんは、ほうきを手にしながら、大きな笑顔で私を見送ってくれました。
帰り道、ふと振り返ると、太ったおじさんの像が、桜色の空に、どっしりとそびえています。
この街では、迷子になる人が本当にたくさんいるのです。
でも、あのお寺に行き着いた人たちは、きっとみんな安らかな時間を過ごしているのでしょう。
遠くからお寺の鐘が鳴りました。
低くて、重い音が、ゆっくりと街に広がっていきます。
私はその音を聞いて、そっと胸に手を当てました。
「……良い子は、帰る時間だね」
私は小さく微笑んで、足早におうちへと歩き始めました。




