第3話─導き手の条件─
一瞬の沈黙のあと、審問官達の間に小さなざわめきが広がった。
仮面の奥で、何かを見定めるような気配が揺れる。
過去の導き手達がどうだったのかは分からないが──いきなり〝叡智の旅人〟だの〝導き手〟だのと言われて、受け入れられるはずがない。
視線に耐えきれず、星羅はわずかに俯き、遠慮がちに口を開く。
「……ご期待に添えず申し訳ないのですが、私には、皆さんに新しい叡智を授けられるような特別な力も……何もありません」
言いながら、自分の言葉がこの場にそぐわないことも分かっていた。
それでも、他に言いようがなかった。
「きっと、何かの間違いだと思うんです……。その……例えば、私と同じように転移してきた別の人が、本当の〝導き手〟で……!」
語尾がわずかに強くなる。
否定したい気持ちが、言葉の端に滲んでいた。
広間に、再び静寂が落ちる。
小さな咳払いのあと、背の高い審問官のひとりが、ゆっくりと一歩前へ進み出た。
「……まぁ、見知らぬ世界に召喚され、いきなり〝導き手〟などと言われれば、混乱なさるのも無理はない」
仮面越しにくぐもってはいるが、その声音はどこまでも滑らかで、艶を含んだベルベットのように耳に心地よい。
不思議と、拒む気持ちを和らげてしまう響きだった。
「……しかし、だ」
わずかに間を置き、声の温度が一段だけ下がる。
「これまでの歴史上、一度の星雨において〝導き手〟が複数人現れたという記録はない。そして──〝導き手〟が元の世界へ帰還したという記録もまた、存在しない」
静かに告げられたその事実は、刃のように鋭く、容赦なく突きつけられる。
言葉を失う星羅に、審問官はほんのわずかに声色を和らげた。
「……だが」
その一言に、思わず顔を上げる。
星羅は息を呑み、縋るように手を組み合わせた。
「ナトゥリウス神の教義によれば、〝導き手〟の成すことはすべて神の思し召し。──ならば」
星羅にも、周囲にも、ゆっくりと言い含めるように続けられる。
「導き手が元の世界へ還るために、このステルナヴィアで為すこと。そのすべてが、〝新たな叡智〟の種となるやもしれん」
それは、救いの言葉のようでいて――同時に、逃げ道を塞ぐ宣告のようでもあった。
広間に静寂が落ちる。
星羅は組んでいた手に、知らぬ間に力がこもっていることに気づいた。帰れる可能性を示されたはずなのに、その道筋はあまりにも曖昧で、果てしなく遠い。
「……それで、私は……何をすれば……?」
思わずこぼれた問いに、審問官達は互いに視線を交わす。その中で、モンテリス侯爵がゆっくりと口を開いた。
「歴代の導き手に共通しているのは、星雨の夜にこの世界へと現れたという事実だ」
その言葉に、星羅ははっと息をのむ。
夜空を埋め尽くした、あの幻想的な光景が脳裏に蘇る。
「星雨は〝ナトゥリウスの星船〟とも呼ばれ、〝導き手〟を運ぶ──異世界とステルナヴィアを繋ぐ〝門〟のようなものだと考えられている。ゆえに」
侯爵は静かに言葉を区切り、星羅をまっすぐに見据えた。
「導き手が元の世界へ還るためにも、再び星雨の力が必要になる可能性が高い」
その一言が、胸の奥に深く落ちていく。
数百年に一度しか訪れない天体現象。
希望であると同時に、あまりにも遠い未来を示す言葉だった。
星羅は震える指先をそっと握りしめた。
◇◇◇
星雨こそが元の世界に帰るための鍵である──。
審問会からの説明によって、その可能性に一筋の希望を見出したものの、現実はあまりにも厳しかった。数百年に一度しか起こらない天体現象を、人の手で再現することなど不可能に近い。
では、その仕組みを解き明かせばよいのか。そう考えてみても、どこから調べ始めればいいのかさえ分からない。神話、歴史、魔導、天文学――あまりにも広大な領域を前に、星羅はただ途方に暮れるしかなかった。
審問会が開かれてから、数日が過ぎた。
星羅はモンテリス侯城の一室を与えられ、侍女達の世話を受けながら平穏な日々を送っていた。
石造りの回廊を歩けば、窓から差し込む柔らかな陽光が床に長い影を落とし、遠くにはシルヴァリアの森の深い緑が広がっている。どこか現実感の薄いその光景に、ふと自分が本当に異世界にいるのだと実感させられるのだった。
日中は、侯爵の計らいで城の書庫に通うことを許された。高い天井まで届く書架には、見たこともない文字で記された書物が並んでいる。
しかし、エーテル酒の効能のおかげか、不思議とその内容を理解することができた。星雨に関する記録や、ディヴィナリアの神話、三柱神についての書物を読み進めてはみるものの、帰還へと直結する手がかりは見つからない。
時折、城の庭園を散策することもあった。色づき始めた木々の葉が風に揺れ、噴水の水音が静かに響く。その穏やかな時間は心を落ち着かせてくれる一方で、日本に残してきた日常――大学の講義や天文サークルの仲間たち、そして昴先輩のことを思い出させ、胸の奥に切ない痛みを残した。
それでも、何もせずに待っているだけではいられない。星羅は自分にできることを探し続けたが、状況が大きく動くことはなく、ただ静かに日々が過ぎていった。
書庫の静寂の中、星羅は一冊の古びた書物を閉じ、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、簡単には見つからないよね」
自嘲気味に呟きながら、指先で頁の縁をなぞる。どれほど読み進めても、星雨の記述は神話的な象徴にとどまり、具体的な手がかりには至らない。
窓の外に目を向ければ、夕暮れに染まり始めた空が広がっていた。あの夜、自分をこの世界へと導いた星雨の光景が、鮮やかに脳裏に蘇る。
「……昴先輩、今ごろどうしてるかな」
ぽつりと零れたその言葉は、誰に届くこともなく、静かに夕暮れの空へと溶けていった。
そんなある日、モンテリス侯爵からの呼び出しが届く。
「ヴァルガルズより、使者が到着している。貴殿との謁見を望んでいる」
ヴァルガルズ――モンテリス侯国とシルヴァリアの森を挟んで、境界を接する魔族の国。その名を耳にした瞬間、星羅の胸は不安と緊張で大きく脈打った。
突然の申し出に戸惑いながらも、星羅は侯爵に伴われ、謁見の間へと向かった。
重厚な扉が静かに開かれる。広間にはすでに一人の男が立っていた。高い天井から差し込む光が、その長身の姿を淡く照らし出している。
その姿を目にした瞬間、星羅は思わず息を呑んだ。
「……あなたは……!」
星雨の夜、シルヴァリアの森で出会った男。
獣から星羅を救い、そして〝エーテル酒〟を飲ませた――あの人物だった。
男は静かに星羅へ向き直ると、胸に手を当て、丁寧に一礼する。低く落ち着いた声が、広間に響いた。
「我が名はシグルズ。ヴァルガルズを代表し、拝謁の栄に浴し感謝申し上げる」
その言葉に、星羅はただ呆然と立ち尽くすことしかできない。隣に立つモンテリス侯爵が、一歩前へ進み出た。
シグルズは侯爵へと視線を移し、落ち着いた口調で続ける。
「この者を最初に保護したのは、我らヴァルガルズである。ゆえに、その身の安全と動向を見守る権利があると考える」
「ふむ……。導き手様の様子を見るに、嘘というわけでは無いようだが……」
静かながらも揺るぎない主張だった。広間の空気がわずかに張り詰める。
「無論、モンテリス侯国の主権を侵す意図はない。ただ、導き手の存在は我らにとっても看過できぬものだ。よって、しばらくの間、この地に滞在する許可を願いたい」
侯爵はシグルズを静かに見据え、わずかな沈黙ののち、ゆっくりと頷いた。
「……よかろう。導き手を巡る事象は、すべての種族に関わる問題だ。貴殿の滞在を認めよう」
その言葉に、広間を満たしていた緊張がわずかに和らぐ。星羅はなおも目の前の男を見つめたまま、胸の奥に広がる複雑な感情を抑えきれずにいた。




