第2話─星の審問会─
堅牢そうな石壁の続く廊下の先に、甲冑姿の兵士が両脇に控えた、ひと際大きな扉が見える。
近づくにつれ、床に響く自分の足音がやけに大きく感じられた。
案内をしてくれた侍女が一歩前に出ると、よく通る声で扉の中へと星羅の来訪を告げる。
「導き手様を、お連れいたしました」
わずかな間──返答はないが、扉の向こうで気配が動く。
星羅がひと呼吸した、その瞬間。
重厚な扉が内側からゆっくりと開かれ、軋むような低い音が、静まり返った廊下に重く響く。
星羅は思わず喉を鳴らし、恐る恐る広間へと足を踏み入れた。
中は想像していた以上に広く、天井は高い。細い窓から差し込む光が長い影を落とし、空気はどこか張り詰めていた。
今までの待遇を考えれば、丁重に扱われているのは分かる。
しかし、見知らぬ〝異世界人〟が現れたなら、警戒するのが普通だろう。
……何を、聞かれるんだろう。
モンテリス侯爵とやらが何を求めているのか分からない。星羅の返答次第では、身の危険すらあるかもしれない。
無意識に、星羅の指先に力がこもる。手を引いていてくれた侍女にそっと促され、星羅は一歩前へと進み出た。
広間の奥。
そこには七人の、明らかに身分の高そうな男達が並んでいる。
いずれも重厚なマントを目深に被り、その顔は仮面で覆われていた。
視線だけが、じっとこちらに注がれているのが分かる。
……見られてる。
逃げ場のない視線に、背筋がひやりとする。
その中で──ただひとり。
最奥の椅子に座る男だけが、唯一仮面をつけていなかった。
落ち着いた佇まい。揺るがぬ視線。
その存在感だけで、彼がこの場の主であると理解できる。
あの人が……モンテリス侯爵。
「ドレスはお気に召しませんでしたか?」
壮年の、厳格そうな顔立ちからは意外なほど穏やかで、柔らかな声が響いた。
思っていたよりも優しい声音に、張り詰めていた肩の力がわずかに抜ける。
「……とても綺麗なドレスを用意していただいて、ありがとうございました……モンテリス侯爵様。ですが、私はこちらの服の方が動きやすいので……」
言いながら、無意識に自分の袖を軽く握る。
先ほど侍女達に勧められた華やかなドレスが、脳裏をよぎった。
だが──どうしても、袖を通す気にはなれなかった。
この世界のものを身にまとえば、本当に帰れなくなってしまう気がして。
モンテリス侯爵は小さく頷くと、その件には特段の興味はない様子で視線を外し、周囲の六人へと目配せをする。
わずかに、衣擦れの音。
仮面の奥で、何かを計るような気配が動いた。
モンテリス侯爵がおもむろに立ち上がる。
「改めて、私はこのディヴィナリア大陸の七王国のひとつ、モンテリス侯国を治める、マリウス・モーモント=モンテリス侯爵。そして……」
モンテリス侯爵はゆるやかに両手を広げると、左右に立つ六人を示す。
「こちらはカエロリア王国、アルヴァリア公国、セリディア聖教国、フロレシア王国、ヴァレリオン帝国、ヴァルマリス共和国──それぞれ七王国から招集された〝星の審問会〟の使徒である」
その言葉と同時に、空気が一段、重く沈んだ気がした。
◇◇◇
七人の使徒──審問官達の視線が星羅に注がれる。
言葉を待たれているのだと気づき、言葉にならない声が喉に引っかかる。
「──っ、あ。せいら……明智星羅と言います!」
ようやく絞り出した声は、思ったよりも上ずっていた。
無意識に、深々と頭を下げる。
モンテリス侯爵をはじめとする審問官達が、ひとりずつ星羅の前へ進み出ると、片膝を軽く折り、その手を取る。
触れるか触れないかの距離で、そっと口づけるように礼を執った。
仮面越しに繰り返されるその所作は、どこか儀式めいていて、現実感が薄れていく。
やがて挨拶が一巡すると、再びモンテリス侯爵が口を開いた。
「では――現状について、説明しよう。〝簡潔に〟な」
その一言に、仮面の奥で誰かが小さく鼻で笑う。
乾いた、どこか諦めを含んだような気配が、場に微かに滲んだ。
わずかに、空気が緩む。
……とりあえず、いきなり何かされるわけじゃなさそうだ。怪しい魔術や尋問を受ける気配は、今のところない。
張り詰めていたものが、ほんの少しだけほどける。
「まず、この世界――ステルナヴィアは、二つの大陸から成り立っている。人間の領域ディヴィナリアと、魔族の領域マットヘイムル……」
静かな声が、広間に響く。
「その境界こそが、貴殿が現れた場所――シルヴァリアの森である」
思わず、あの森の光景が脳裏に蘇る。
息が詰まるような気配と、得体の知れない恐怖。
やっぱり、あそこ……普通じゃなかったんだ……。
「そしてこの世界では、数百年に一度〝星雨〟と呼ばれる天体現象が観測される。」
言葉と共に、ゆっくりと侯爵の視線が星羅に向けられる。
「星雨の発生とともに、異世界より〝ある者〟が現れる。
新たな叡智をもたらす存在──それが、貴殿だ」
空気が、張りつめる。
逃げ場のない沈黙の中で、その言葉だけがやけに鮮明に響いた。侯爵は続ける。
「召喚された者は〝叡智の旅人〟――あるいは、〝ナトゥリウスの導き手〟と呼ばれる」
聞いた事もない、知らない名前。
けれど、その響きはどこか重く、逃れられないもののように感じられた。
「これまで幾度となく現れた導き手たちは、それぞれの時代に〝叡智〟をもたらした。技術、思想、魔導体系――」
侯爵の言葉に合わせるように、別の審問官が低く付け加える。仮面の奥から注がれる視線に、息が詰まりそうになる。
「その積み重ねこそが、現在の人間文明の礎となっている」
つまり――。
……私も、何かを〝与える側〟ってこと……?
理解が追いつかないまま、言葉だけが胸に沈んでいく。
帰る方法を探すどころか、背負わされているものの重さが、あまりにも大きすぎた。
そんな星羅の様子に構う事なく、侯爵は続ける。
星羅が召喚された〝星雨〟は、ディヴィナリア――人間側大陸の歴史において、前回の星雨より約二五〇年、第二十二星雨にあたるのだという。
ディヴィナリア史上、いくつかの星雨ではディヴィナリアの戦乱期にあたり、星雨の観測のみで〝導き手〟の記録はない。
それが意味するのは、単に記録が消失したのか、そもそも〝導き手〟自体が現れなかったのか。または、召喚されたものの、運悪く〝保護〟されなかったのか。
星羅はふと、自分があのまま〝保護〟されなかった未来を想像して、思わず身震いした。
さらに話は、この世界の成り立ちへと移っていく。
ディヴィナリア神話──叡智を司る、主神ナトゥリウスを始めとする、三柱神と呼ばれる存在。
星雨と魔力、そして世界の理。
次々と紡がれる言葉は、どれも重く、どこか現実味に欠けていて――。
……なにこれ、全然頭に入ってこない。
聞き慣れない単語ばかりが並び、意味を理解する前に流れていく。
まるで、誰かが作り上げた設定を一方的に読み上げられているようだった。
流行りの異世界モノ、じゃないんだから……。
そんな現実逃避めいた考えが、ふと頭をよぎる。
けれど、ここが夢ではないことも、もう分かっている。
話はやがて、ディヴィナリア創世へと及び――。
どうやら、まだ続くらしい。
星羅は、意を決して口を開いた。
「あの……!」
場の視線が一斉に星羅へ集まる。
一瞬だけ躊躇い、それでも、胸の奥から押し上げられる思いに従う。
「元の世界に帰る方法は、ありますか?」
静まり返った広間に、その問いだけがはっきりと響いた。




