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第4話─エーテルの灯火─

 モンテリス侯国での生活も数週間が経ち、少しずつ慣れ始めて過ぎた頃――星羅は、城内の至るところで用いられている〝エーテル〟の存在を、改めて認識するようになっていた。


 石造りの回廊を歩くたび、壁に等間隔で設えられた燭台のような装置が、柔らかな光を放っている。炎の揺らぎはなく、煤の匂いもしない。それでいて、ほんのりと温かな光が周囲を優しく照らしていた。


 不思議に思って近づくと、透明なガラスに包まれた淡青色の結晶が、静かに脈動するように輝いている。


「……やっぱり、これもエーテルなんですよね?」


 思わず振り返って尋ねると、後ろに控えていた侍女が微笑みながら頷いた。


「はい。エーテル灯と呼ばれるものでございます。他にも城内の多くの設備が、エーテルの力によって動いております」


「そうなんですね……」


 星羅は小さく頷き、淡く輝く結晶を見つめた。ここに来た当初にも耳にした言葉だったが、慌ただしさの中で深く考える余裕はなかった。こうして落ち着いて城内を見渡してみると、自分の生活がこの〝エーテル〟という力に支えられていることを、改めて実感する。


 現代日本でいう電気のように、この世界ではエーテルが文明を支えているのだろう。


「まるで……電気みたい」


 懐かしさを含んだ呟きが、静かな回廊にそっと溶けていく。

 その時、星羅の脳裏に、ふとある記憶がよみがえる。


 ――そういえば、エーテルといえば……。


 シルヴァリアの森での出来事。獣に襲われ、意識が朦朧とする中で、あの男に無理やり飲まされた琥珀色の液体――〝エーテル酒〟。


 身体の傷が癒え、言葉まで通じるようになった不思議な効能。あの時は状況に流されるまま受け入れてしまったが、改めて考えてみると、あまりにも不可思議な力だった。


「……エーテル酒も、同じ〝エーテル〟なんですよね」


 思わず口にした問いに、侍女は静かに頷く。


「はい。エーテル酒は、精製されたエーテルを用いた大変貴重なものでございます。医療や儀式の際にのみ使用されることが多く、一般には滅多にお目にかかれません」

「そう、なんですね……」


 星羅は小さく頷きながらも、胸の奥に新たな疑問が芽生えているのを感じていた。文明を支えるエネルギーとしてのエーテルと、人の身体に直接作用するエーテル酒。その関係性について、もっと詳しく知りたいという好奇心が強くなる。


 そして同時に、その答えを持つ人物の顔が思い浮かんだ。

 

 ――シグルズ。


◇◇◇


 数日後、城の中庭で偶然その姿を見かけた星羅は、意を決して声をかけた。


「シグルズ様、あの……少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 呼びかけに、彼はゆっくりと振り返る。鋭い視線が一瞬だけ星羅を捕らえ、短く息を吐いた。


「……シグルズで良い。用件はなんだ」


 ぶっきらぼうな口調に一瞬たじろぎながらも、星羅は小さく頷く。


「ありがとうございます、シグルズ。あの……エーテルについて教えていただきたくて。特に、その、エーテル酒のことを」


 シグルズはわずかに眉を動かし、沈黙したまま星羅を見下ろす。やがて、低く落ち着いた声で口を開いた。


「……お前に飲ませたあれのことか」

「は、はい……!」


 星羅が頷くと、彼は視線を庭園の木々へと向けながら続けた。


「シルヴァリアの森は、人間の住むディヴィナリアと、我ら魔族の地マットヘイムルとの境界に位置する〝魔力の緩衝地帯〟だ。あの地では、両者の魔力が交錯し、濃度が不安定になる」


 淡々とした説明に、星羅は真剣な表情で耳を傾ける。


「異世界から来たお前の身体が、その環境に適応できる保証はなかった。エーテル酒は、魔力に対する耐性を一時的に高めるためのものだ」

「……そう、だったんですね」


 星羅は胸の奥にあったわだかまりが、少しだけ解けていくのを感じた。あの時の強引な行動にも、きちんとした理由があったのだ。


 星羅は驚きと納得が入り混じった表情で、静かに頷いた。


「……ありがとうございます。あの時は、何も分からなくて……その、指まで噛んでしまって……ごめんなさい」


 星羅がためらいがちに謝罪すると、シグルズは一瞬だけ彼女を見つめ、短く答えた。


「……俺は気にしていない」


 あまりにもあっさりとしたその言葉に、星羅は思わず瞬きをする。


 ――え、それだけ?


 胸の奥に、安堵とは少し違う感情がむくりと顔を出した。

 確かに、責められなかったことにはほっとした。けれど同時に、あの出来事が彼にとっては大した意味を持たないものだったのだと突きつけられたようで、なんとも言えない悔しさが込み上げてくる。


 ――わ、私にとっては、曲がりなりにも初めてのキスだったのに……!


 しかも、それを「気にしていない」の一言で片付けられてしまうとは。

 星羅は思わず唇を引き結び、視線をわずかに逸らした。


「……そ、そうですか」


 平静を装って答えながらも、その声には微かに拗ねたような響きが混じる。シグルズはその変化に気づいた様子もなく、淡々と話を続けた。


「ディヴィナリアの人間は、マットヘイムルほど濃い魔力環境に慣れていない。導き手であるお前が今後どちらの地にも関わる可能性を考えれば、早い段階で慣らしておく必要があった」


 彼の説明を聞きながらも、星羅の胸の内では先ほどの言葉がぐるぐると回り続けていた。


 ――もう少しくらい、気にしてくれてもいいのに……。


 そんな思いを抱きつつも、星羅は気持ちを切り替えるように小さく息をつき、改めてシグルズへと向き直った。


「エーテルって、この世界では……電気みたいに、生活を支えているエネルギーなんですよね?」


 シグルズはわずかに首を傾げながらも、短く頷いた。


「……デンキが何かは知らんが、概ねその認識で間違ってはいない。エーテルは、ディヴィナリアでもマットヘイムルでも、文明を支える根幹の力だ」

「つまり……エーテルは、人間にとっても魔族にとっても欠かせないもの……」


 星羅の言葉に、シグルズは静かに頷き、わずかに間を置いてから言葉を続ける。


「だが、我ら魔族にとっては、それだけではない。魔力――すなわちエーテルは、生命を維持するための〝(かて)〟でもある」

「糧……?」


 聞き慣れない概念に、星羅は思わず首を傾げた。


「個々の差はあれど、この世界では存在する全てのものに魔力が宿っている。かつての魔族は、他の生物の肉を摂取することでその魔力を吸収していた。強い者が弱い者を喰らう……いわば弱肉強食の社会だったのだ」


 淡々と語られるその過去に、星羅は息を呑む。


「しかし、エーテルの元となる魔鉱石から魔力を抽出し、食料として利用する技術が確立されてから、状況は大きく変わった。安定して魔力を得られるようになり、無益な争いは次第に減少したのだ」

「じゃあ……魔鉱石のおかげで、社会が平和になったんですね」

「完全にとは言えんがな。それでも、理性によって統治される社会へと移行する大きな契機となったことは確かだ」


 星羅は静かに頷きながら、その話を自分の知識と重ね合わせていた。

 ――エネルギー資源の安定供給が、社会構造そのものを変える。

 それは、彼女にとって決して馴染みのない考えではなかった。


「私……大学では、再生可能エネルギーについて勉強していたんです」


 不意に口をついて出た言葉に、シグルズがわずかに視線を向ける。


「サイセイ……エネルギー?」

「はい。太陽光や風力、水力みたいに、枯渇しないエネルギーを利用して社会を支えていこう、という研究です。限りある資源に頼り続けると、いずれは社会に大きな影響が出てしまうので……」


 そう言いながら、星羅は城内で見かけたエーテル灯や、シグルズの語ったエーテル資源の減少について思い返した。


「エーテルも、もし採取量が減ってきているのだとしたら……この世界でも、いずれ同じような問題が起こるかもしれませんね」


 シグルズはしばし無言で星羅を見つめ、その言葉の意味を静かに咀嚼しているようだった。


「……興味深い話だ」


 短くそう呟いた彼の声音には、わずかながらも関心の色が滲んでいた。

 星羅の知識が、この世界にどのような変化をもたらすのか――。その可能性は、まだ誰にも分からない。だが確かに、新たな〝叡智〟の種が、静かに芽吹き始めていた。

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