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第8話─新たな旅立ち─

「シグルズ……待ってくださいってば……ねぇ!」

「早くしないと、置いていくぞ」

「そ、そんなこと言われてもぉ……!」


 モンテリス侯城の大門前で、星羅は為す術もなく馬上で揺れていた。

 大人しく従順――そう聞かされて乗り始めたこの馬、シダスに振り回され続けて早数週間。

 いまだ一度として、思い通りに動いてくれたことはない。


「……やはり、馬車で行く方が良いのでは?」


 見かねたのか、それとも呆れているのか、モンテリス侯爵が助け舟を出してくれたのだが……シグルズは即座に却下した。

 

「いや、馬車の中からではなく、自分の目や耳、肌で感じた方が良い。それに、馬の方が何かと身動きが取りやすい」

「それはそうであろうが……」


 侯爵は言葉を濁し、ちらりと星羅へ視線を向ける。

 当の本人はというと――。


「ちょ、ちょっと待って、あっ、え、そっちじゃ……!」


 手綱を引くたびに揺らされ、ただひたすらに体勢を立て直そうとしているだけだった。

 その足元で、シダスは我関せずとばかりに芝を喰んでいる。

 ――この調子では、いつ出立できるのやら。

 誰もがそう思ったであろう。


 シグルズは一瞥すると、無言で自分の馬に星羅の荷を移し、ひと息でその後ろへ跨がった。

 軽く手綱を引くと、それだけで、シダスの態度が一変した。

 先ほどまでの気まぐれが嘘のように、ぴたりと動きを止める。


「え、ちょっ……なんで!?」

「そろそろ行くぞ」


 星羅の抗議をよそに、頭上から、落ち着いた声が降ってくる。


「あ、えっと……モンテリス侯爵、アルマ……皆さん、お世話になりました!」

「導き手様……道中、お気をつけて!」

「……シグルズ殿、導き手様を頼んだぞ」


 それぞれの声が重なる。星羅は振り返り、小さく頭を下げた。

 馬が城門の外へとゆっくりと歩き出す。

 石畳を踏む蹄の音が、やがて一定のリズムを刻み始めると、その背後で、見慣れた城と人々の姿が、少しずつ遠ざかっていった。


 朝霜の下りたモンテリスの山脈には、雪化粧を施した頂も見え、早くも冬の到来を告げていた。

 人も馬も、吐く息は白く、冷気の中へと溶けていく。

 背中越しに伝わる体温が、やけに心地良い。


 しばらく進んだところで、シグルズが星羅に手綱を渡す。

 すると、シダスの足取りがふと緩んだ。星羅が慌てて手綱を引く。


「あ、ちょっと……待って、そっちじゃ……」


 ぐらりと体が揺れる。

 後ろから、低い声が落ちた。


「力が弱い」

「えっ?」

「手綱も、脚も。シダスに指示が伝わっていない」


 そう言われて、星羅はふと足元を見る。

 確かに、腹に添えているだけだ。

 蹴る、というほどの力は入れていない。


「でも……お腹を蹴るって、なんか……」


 思わず言い淀む。

 その先を言葉にするのは、なんとなく躊躇(ためら)われた。

 シグルズは短く息を吐くと、そのまま星羅の足首に手を添える。


「蹴れと言っているわけじゃない」

「え、ちょ――」

「押すだけでいい。合図だ」


 触れられた足に、ぐっと、軽く圧がかかると同時に、手綱を引く手にも力が添えられる。


「このくらいだ」


 途端に、シダスの動きが変わる。

 ぴたりと進路が整い、一定の速さで歩き出す。


「……あ」


 思わず声が漏れる。

 確かに、さっきまでとは明らかに違う。


「……分かったか?」


 すぐ耳元で、淡々とした声が響く。

 背中越しに、シグルズの体の動きがそのまま伝わってくる。

 言葉で教えられるよりも、分かりやすかった。


「ん……ちょっとだけ」

「もう一度やってみろ」


 シグルズの手が離れると、星羅は恐る恐る、同じように足に力を入れてみる。

 蹴る、のではなく――押す。同時に、手綱を少しだけ引く。

 シダスの耳がぴくりと動き、素直に進路を変えた。


「……でき、た?」


 安堵の息とともに、ぽつりと呟く。


「最初からそうすれば良いだけだ」

「できたから言えるんですよそれ……!」


 小さく抗議する。

 でも、何となくコツは掴めたかもしれない。

 星羅は小さく息を吐くと、もう一度、同じように手綱を動かしてみる。


 今度は、さっきよりも少しだけ自然に。

 シダスは素直に応じてくれる。……ちゃんと、伝わってる。

 その実感に、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 

 ふと気がゆるんだ途端、背中越しに伝わる体温を意識してしまった。

 なぜだか、さっきより近く感じる。

 いや――距離は変わっていないはずなのに。


「どうした」

「な、何でもないです!」


 星羅は慌てて前を向き、そのまま、少しぎこちなく手綱を握り直した。


◇◇◇


 数週間前──ディヴィヌス祭の後、シグルズはひとつの提案をした。

 人間側の大陸ディヴィナリアでは、大気や地中に満ちる魔力の濃度は一定ではなく、極めて局所的に偏っている。

 そして、その現れ方もまた、土地ごとに大きく異なるのだという。

 星羅がエーテル研究を進めるのならば、モンテリス一国に留まるのではなく、各国を巡り、その〝在り方〟そのものを知るべきだと──。


 そうと決まってからのシグルズの行動は早かった。

 モンテリス侯爵を通じて審問会へ話を通し、〝導き手〟が各国を巡る旅に出る旨を正式に届け出る。

 ほどなくして通行許可証が発行され、各地での滞在や移動にかかる費用も手配された。

 さらに、各国の研究機関に対しても協力要請がなされ、受け入れの準備が整えられていく。

 あまりに手際が良すぎて、星羅はただそれを見ていることしかできなかった。


 ――〝導き手〟


 その名が持つ重さを、改めて思い知る。

 モンテリスにいる間も、十分すぎるほどの待遇を受けていた。

 けれど、それはまだ一国の中での話に過ぎなかったのだと、今になって分かる。

 たったひとつの呼び名で、これほどまでに世界が動く。

 その事実に、戸惑いと、言いようのない重責を感じながら――星羅は静かに息を吐いた。


 そのとき、不意にシグルズが手綱を引いた。

 シダスがゆっくりと足を止める。


「……少し休むか」


 短く告げ、道の脇へと馬を寄せる。

 岩陰に陣取ると、手際よく荷を下ろし、小型の魔導器(コンロ)に〝火〟を入れた。

 淡い光とともに、じんわりと熱が立ち上る。

 その間に、シグルズは馬の方へ歩み寄った。


「ノクス、シダス」


 低く、柔らかな声。

 青毛の馬が鼻を鳴らし、嬉しそうに頭を寄せる。

 続けて呼ばれたシダスも、声に応えるように大人しく耳を向けた。

 首筋を撫でる手つきは慣れていて、優しく労わるようでもある。


「お前達も少し休め」


 短い言葉。けれど、その声音は驚くほど穏やかだった。

 星羅は、少し離れたところからその様子を眺めていた。


 ……名前、普通に呼ぶんだ。


 ぽつりと、そんなことを思う。

 当たり前のことだ。馬の名前を呼ぶなんて、何もおかしくない。なのに――。


 私は、呼ばれてないのにな。


 ふと、胸の奥に引っかかる。

 ディヴィヌス祭のとき、確かに一度だけ呼ばれた。でも、それきり。

 別に、それがどうしたというわけでもない。

 ――なのに。


 無意識に、視線を向ける。

 ノクスの首を軽く叩くその手つきも、シダスに向ける目も、どこか優しい。

 自分でも理由はよく分からないまま、星羅は小さく唇を尖らせた。

 そのとき、ふいにカップが差し出される。


「……ほら、温まるぞ」

「あ……ありがとうございます」


 受け取りながら、ほんの少しだけ視線を逸らす。

 湯気が立ち上り、冷えた空気を和らげる。一口飲むと、じんわりと甘いミルクの温かさが広がった。


 無言のまま、ちらりと横を見る。

 シグルズは特に何も気にした様子もなく、ただ静かに自分の分を口にしている。

 

 ……別に、呼ばなくてもいいですけど。


 心の中で、なぜか言い訳のように呟く。

 そしてもう一口、少しだけ強めにカップを傾けた。


「……少しは落ち着いたか」

「えっ?」


 不意に声が落ちて、驚いて顔を上げると、シグルズはこちらを見ていた。

 いつもと表情は変わらない。けれど──。


「……ありがとうございます」


 それだけ言うと、シグルズは軽く頷く。

 それ以上は何も聞かない。詮索もしない。その距離が、今はどこか心地よかった。

 星羅がもう一口温かいミルクを飲むと、白く吐いた息が、さっきよりも少しだけ柔らかく見えた。


 アルマが持たせてくれた軽食に手を伸ばしながら、シグルズはおもむろに地図を広げた。


「最初の目的地は、ここから東へ向かった先――水の王国カエロリアだ」


 簡素な地図の上を指先でなぞる。


「本格的に雪が降り始める前には、着いておきたい」

「雪……」


 思わず小さく繰り返す。

 先ほど見た、山の頂に積もる雪が脳裏をよぎる。


「カエロリアに入るまで……ここから、どのくらいかかるんですか?」


 少しだけ声が慎重になる。

 シグルズは視線を落としたまま答えた。


「順調に進めば、七日から十日といったところだな。天候次第ではもう少し延びるかもしれないが」

「そんなに……」

「今日中に山を越えれば、麓の村で宿を借りられる手筈だ」


 星羅の方をちらりと横目に見て、ほんのわずかに――口元が緩んだ。


「越えられなければ、今夜は野営になるぞ」

「野営……? え、テントは? 寝袋だって――」

「そんなものはない」


 あっさりと切り捨てられる。

 慌てる星羅の様子を、シグルズは楽しんでさえいるようで。


「えっ!?」


 声を上げたときには、すでにシグルズは立ち上がっていた。

 手早く荷をまとめ、颯爽とノクスに跨る。

 星羅も慌てて立ち上がる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいってば、シグルズ……!」

「早くしないと、置いていくぞ――セーラ」

 

「――え?」


 反応が一瞬、遅れる。

 けれどその頃には、シグルズはもう馬を進めていた。


「ちょっ、……! 待ってくださいってば!」


 慌ててシダスに飛び乗り、その背を追う。

 冷たい風の中、蹄の音が軽やかに響き始める。


 東へとどこまでも広がる空。

 山を越え、雲の向こうへ――まだ見ぬ景色へと続いている。


 白い吐息が、風に溶けて消えた。

 振り返れば、もうモンテリスの姿は遠い。

 それでも――進むべき道は、確かに前にあった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

第一章は一旦ここで終了。

第二章からはカエロリア王国編となります。

元々このお話を考え始めたのがカエロリア王国の設定からだったので、私的にはこれからがやっと物語が大きく動き始める(と良いなぁ)本編となります!


第二章は閑話を挟んで、少しお時間をいただいてから再開したいとおもいます。

ここまでで少しでも「面白い」と感じていただけましたら、評価や感想など是非宜しくお願いいたします!

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