【9−2】二人だけの合言葉
夏が終わる蒸し暑い日の頃、アトレ達はセール村というベルン地方東部の小さな集落に到着したのだが。なぜか、酒場でクロエという黒髪の女性を目にしたアミュがポロポロ涙を流しているという、よく分からない事態に遭遇していた。
別にクロエがアミュを泣かせたわけではないのだが、旧友との再会のように涙を流しているのだ。
「クロエ? クロエなの?」
「そうだよ。わたしは本当にクロエだよ。もう会えないかと思ってた」
「……! クロエ!」
そう言ってアミュは椅子から飛び降りると、膝をついてアミュを眺めるクロエに正面から抱きついた。
人間の年齢の見た目にすると、アミュとクロエという女性の歳の差は親子と大して変わらない。
だけどアミュの年齢(推定)からして親子という線は薄いし、なんせ髪の色が全く違いすぎる。
だから余計に二人の繋がりが不明で、アトレは困惑してしまった。
「あの……えっと、抱き合っているところ悪いんですけど、アミュちゃんとクロエさんはどのようなご関係で……」
「ごっ、ごめんなさい! 多分言っても分からないと思うんですけど、わたしとアミュは昔の友達なんです」
「アミュはね、クロエとお友達なの!」
「じゃあ、クロエさんはアミュの正体について知ってるのか?」
「もちろんです! ただ、角が無いみたいですが」
ラスカの問いに自信ありげに答えた様子からして、クロエはアトレ達以上にアミュのことを知っているようだ。それは魔族のことも含めて。
「ところで、アミュはどうしてここにいるの?」
「それはね、アトレお姉ちゃん達と旅をしてるの。すっごく、楽しいんだよ!」
クロエがアトレ達を見わたす。
貴族らしい整った顔立ちと身なりの良さそうなアトレと、スーツのバル。旅人らしい服装なのはリュカだけか。
確かに、旅人らしくないといえばらしくないか。
アトレは紅茶を丁寧に啜った。
クロエがアミュを胸から下ろすと、すくっと立ち上がり深くお辞儀をした。
「アミュを連れてきてくれてありがとうございます。もし差し支えなければ、少しアミュと話してもよろしいでしょうか」
「もちろん。アミュちゃんも話したそうだし、全然いいわよ」
「本当?! でも、すぐに出発するんじゃないの?」
「いいや。この村にはしばらく滞在するから大丈夫よ」
アトレにこの二人の再会を邪魔する道理は無い。ましてや、アミュの数少ない友人だ。
しばらくは二人だけで居させたい。
アミュはクロエの手を引っ張りながら、歩き出した。
「クロエ、アミュね、クロエにいっぱい話したいことがあるんだ。アトレお姉ちゃんのこととか、竜とか、喋るスライムさんとか!」
「竜……喋るスライム? あ、後でいっぱい聞くね」
竜の件についてはちょっと口を閉じてもらいたいが、アミュはクロエと共に別の席に座った。
遠くから見ていても分かるくらい、アミュはこれまで以上に楽しそうな顔をしている。そしてクロエも、同年代の友人と話すようにアミュと会話している様子から、アミュは彼女にとっても特別なのだろう。
「アミュちゃん、いつもよりいい顔してるね」
「なんだ? お前まさか嫉妬か?」
「そうかもね。アミュちゃんは私の妹みたいなものだし。そう考えると、妹の友達なら嫉妬はしないかも」
「……うちのお嬢様は何を言ってるのでしょう」
ちょっとだけ、ルミネの気持ちがわかったような気がしたアトレであった。
* * *
アミュと出会ってから六年が経ち、クロエもちょっぴり魔族の言葉が話せるようになった頃、いつものようにアミュの元へ遊びに行った。
すっかり身長も大きくなって、村から外れた小さな学校に通えるようになったせいで、毎日とはいかなくても数日に一回は会いに行っている。
だけど、今日がアミュに会える最後の日になるかもしれないのだ。
寂しい気持ちを胸に隠して、クロエは元気よく朝日に照らされた茂みを抜けた。
「アミュー、いるー?」
クロエが大きな声で呼ぶと、飼い主を待っていた犬のようにウッドハウスからアミュが飛び出してくる。
「aila!」
「アイラ!」
魔族の言葉でおはよう。もはや二人の恒例行事だ。
簡単な挨拶を交わし、アミュとクロエは両手でハイタッチをする。人間の七、八歳児と同じくらいの身長のアミュと、十一歳のクロエはだいぶ身長差ができていた。
昔はアミュの方が少し大きかったのだが、今はクロエの方が胸が膨らみ始めるくらい大人びてしまった。
悲しいが成長が遅く、寿命も長い魔族と人間ではいつしかこうなってしまう。
精神的にもクロエの方がずっと大人だ。だけどこうしてアミュといる時だけ、幼さをむき出しで遊ぶことができる。
「んー、いい匂い。何作ったの?」
「今日はね、畑で採れたにんじんさんを使って、スープを作ったの! クロエも食べる?」
「うん! にんじんは苦手だけど、アミュのだったら食べれるかも」
「えへへ〜。今持ってくるね」
膝を折りたたんで地面に座る。
一人で暮らしている小さな子供のアミュは、少しばかりだが料理ができる。
このウッドハウスはアミュが一人で作ったらしいのだが、キッチンの設計とか、そもそも家の設計とかどうやって考えたのかいつも不思議だ。
きっと、魔族の魔法とかで作ったのだろう。
色々考えていると匂いに釣られて猪や鹿がクロエの近くに集まってきた。
みんなアミュの友達らしくて、いつの間にかクロエも仲良くなっていた。だけどそんな彼らと今日でお別れなのは寂しい。
そうこうしていると、大きな鍋を両手で重そうに持ちながらアミュが外に出てきた。前も見えないようでフラフラしている。
咄嗟にクロエは立ち上がり、アミュの鍋を持った。
「わたしが持つよ」
「クロエ、ありがとう」
橙のスープがぎっしり詰まったクロエにとっては小さな鍋を、丁寧に地面に置いた。その隙にアミュは木の椀を持ってきてにんじんのスープを注ぐと、クロエの前に並べる。
それから自分の分も注ぐと、残った椀を動物達の前に置いて、スープを注いでやった。
「いただきます」
きっと食べれるだろうと意を決し、目を閉じてスープを一口飲み込んだ。
粘度の高いスープはとろっとクロエの口腔に運ばれる。その味はクロエの思った以上によく、にんじん特有のあの甘味がほとんど消え、苦手な彼女でも食べられるくらい味が整っていた。
だけど、にんじんがよく切られていないのかたまに大きめの塊が口の中に入り、顔を青くして辛そうに耐える。
それを除けば完璧なのに。
でも美味しい。
初めてにんじんが美味しいと感じた。
「アミュ! これならわたしも食べれる! すっごく美味しいよ!」
「やったー! 美味しいって言ってもらえるか怖かったけど、喜んでもらえて嬉しいな」
アミュは顔を溶かしたかのようにへにゃりと笑ってみせた。
その安堵も束の間、アミュは何故かしょんぼりした様子で膝の上のスープに目を落とした。
「……だけど、どうしてクロエは、嬉しそうなのに、寂しそうな顔をしてるの?」
「どういうこと?」
「だって、今日のクロエは様子がおかしいもん。ナポレオンのことだって、なんだかお別れするみたいに撫でてるもん」
ナポレオンとはアミュの家に遊びに来る猪の名前である。
現にクロエは動物たちに別れを惜しむよう、いつもより優しく丁寧に撫でていた。
やはり何年も共にいると、些細な変化に気付いてしまうのだろう。
本当はもっと早くいうべきだったのだが、アミュと会えない日が続いたり普通に言いそびれてしまったりして引っ越しの当日になってしまった。
だから余計に寂しい感情が漏れてしまったのだろう。
今しかないと思い、クロエは口を開いた。
「実はね、今日お引っ越しするの。遠く離れたベルンのライラ村に行くんだ。だから今日でお別れ」
悲しむアミュの顔を見るのが怖い。
思わず顔を背けてしまったその時、クロエの手をアミュが上から握った。
自分より小さな手が自分の何倍も力強く握った。
「なんで言ってくれなかったの? 言ってくれれば、アミュももっといろんなことしてあげれたのに……」
「ごめんね。アミュと最後までいつものように遊びたかったんだ。だから、言わなかったの」
(違う。本当は言いそびれただけなんだ。こんな馬鹿なわたしでごめんなさい)
綺麗事を言って誤魔化そうとする自分が嫌いになる。まるでアミュのことも騙そうとしているみたいで。
その時だった。
アミュが声を張り上げて、握るクロエの手を自身の胸の高さに持ち上げた。
「行かないで! とは言わないよ。アミュ、いい子だもん。行ってほしくないけど、止めちゃいけないこともわかるもん。だから、ずっと待ってるよっ!」
最後まで言い切ったところでアミュは、子供のようにしゃくりあげて泣きじゃくった。
本当はいつまでも一緒にいたいと、苦しいくらい思っているのだろう。
クロエもアミュと離れたくない気持ちは誰よりも強い。胸がギュッと締め付けられるようなくらい辛い。
村に魔物が出なければ畑も荒らされることもなく、いつまでもアミュと入れたのに。
悔しいけどクロエも子供なので、黙って両親について行くしかない。
「アミュ、泣かないで」
「うぐっ…………ずっと、手を握りたい。離したら、アミュ、またひとりぼっちになっちゃう……」
そうだ。アミュは魔族だから人里に降りられない。
彼女の話し相手と遊び相手はクロエ以外どこにもいない。一人で静かに暮らしてもう何十年も経っていたらしい。
だから寂しいという感情を覚えてしまったのかもしれない。
そんなアミュを慰めるように、クロエは手を握られたまま飛んで抱きつき、アミュを押し倒して横になった。
そして安心させるため、頑張って微笑んだ。
「アミュ、遠く離れてもわたしとアミュはずっと友達だよ。だからアミュはひとりぼっちじゃない。また会いに来るから」
「……本当?」
「ぜったい」
アミュは涙を滲ませ、目を閉じて囁いた。
「kikuuiki」
「キクイキ」




