【9−1】森の妖精
ベルン地方の東方に位置するリヴィエールに近い小さな村に、黒髪の美しい女性——クロエ・ロベッタは五歳の息子と配偶者と共に暮らしていた。
この村に引っ越してもう十年以上経つのに、未だに地域の慣習に慣れない。
と言うのもクロエは十一歳までリール平原というエスト地方の端っこの地域に住んでいた。
そこにいた頃は田舎の中の田舎という感じで、住民の誰もが農業をして暮らしていた。
クロエの両親も例外ではなく、農業で生計を立てていた。そうなるとクロエには遊び相手がいない。
そもそもこの村の大半は老人で、クロエのような幼い子供はほとんどいなかった。
だから彼女は親の目を盗み、一人で近くの鬱蒼とした森に行って遊びに行っていた。
石を掘り起こしてミミズを探したり、森の動物と追いかけっこしたり、なかなかアクティブな日常を過ごしていた。
もちろん、お昼の時間には必ず帰ってくるし、どんなに奥まで行っても帰って来れるくらいには方向感覚と体内時計が優れていた。
クロエが五歳の時、またいつものように森でうさぎと追いかけっこしてると、どこからかほんわりと何かのスープのようないい匂いがしてきた。
森の中なので雨が降ったりすると独特の匂いがするが、今のは明らかに食べ物の匂いだ。
その香りに釣られてなのか、目の前の白うさぎが匂いの方へ走っていく。
クロエも追いかけるようについていった。
髪の毛に枝をひっかけながら茂みを抜けると、目の前に小さなウッドハウスが現れた。
その小さな家の煙突からは真っ白な煙がゆらゆら立ち上がっている。
どうやらこの美味しい匂いはこの家から出ているらしい。
クロエは恐る恐る茂みから身体を出した。
興味が湧いて、家の後ろから前までキョロキョロしながら歩き出す。
(こんなところにお家なんてあったんだ。初めてかも)
すると家の前にある小さな花畑に、麻布のフードを被った女の子が一人。遠くから見てもわかるが、おそらく自分と同い年くらいだろう。
しゃがんで花を眺めていた。
クロエは静かに彼女の後ろに回り込む。
そして興味深々で尋ねた。
「ねえ、あなた何してるの?」
「……!」
女の子は驚いた猫のように飛び上がり、腰を抜かして這いずりながら数歩下がる。
その時彼女のフードが外れ、ブロンドヘアーで真っ赤な瞳の幼い顔があらわになった。雑に伸びた後ろ髪がサラサラとなびいた。
驚かせてしまい悪いが、目の前の女の子があまりにも同い年に見えすぎて嬉しくなったクロエは、笑顔で近づく。
しかし、女の子はクロエが近づくたびに、涙目で怯えながら同じくらい後ろに座りながら下がった。
彼女がクロエのことを怖がっていることは知らないので、クロエは話したくて思いっきり詰め寄った。
「驚かせちゃってごめんね。わたしはクロエ。あなたの名前はなに?」
「ひゃっ! ……う、あう…………」
女の子は今にも泣きそうな顔をしている。
よく見ると額には小さな角があって、耳は角ばっていて長い。もしかすると、童話の中のエルフかもしれない。
だから言葉が伝わらないのかもしれないので、クロエは自身を指差して途切れ途切れに伝えた。
「わたし、クロエ。あなたの、お名前、教えて」
「あ、アミュ……」
「アミュちゃんっていうの?!」
女の子に伝わったか分からないが、彼女はこくりと静かに頷く。
どうやら名前はアミュと言うらしい。
「ここは、アミュちゃんの、お家?」
クロエはウッドハウスを指差す。
おそらく伝えたいことが伝わったらしく、アミュはまたこくりと頷いた。まるで人形のような妖精と話しているみたいだ。
「アミュちゃんは、ここでなにをしてたの?」
アミュはポカンと訳の分からなそうな顔をしている。流石にこれ以上は言葉が通じないみたいだ。
ふと空を見上げると、いつの間にか太陽が上に昇り切っていた。そろそろ家に戻らないと両親が帰ってきてしまう。
「バイバイ、アミュちゃん! 明日も来るね!」
慌てて手を振ると、急いでもときた道を辿ってクロエは帰った。
* * *
次の日、昨日出会った女の子と遊ぶために家から絵本を持って、昨日の道を進んだ。
ウサギを追って昨日はたどり着いたが、意外と道は覚えているようですんなりとウッドハウスに着くことができた。
今日はどうやら猪に跨って遊んでいるようで、庭をアミュと猪が駆け回っていた。
(なにそれなにそれ! 面白そう!)
森で遊ぶくらいの儚い野生児のクロエはこの手の遊びに弱い。
「アミュちゃーん! きたよー!」
クロエが大声で叫びながら茂みから飛び出すと、猪は驚いてアミュを落として森へ逃げた。
そのせいでアミュは猪からコテンと滑り落ち、地面にうずくまった。
「ごっ、ごめんね。わたしが大声出したせいでっ」
クロエが駆け寄ってアミュを立たせると、彼女ははにかんで笑ってみせた。
きっと、気にしてないよとでも言いたいのだろう。
クロエはアミュが友達と思ってくれたのが嬉しくなった。同世代の友達なんて初めてだ。
それですぐに手に持っていた絵本をアミュにみせた。
「ジャジャーン。今日はね、絵本を持ってきたの。アミュちゃんと一緒に読みたいなーって」
するとアミュは、己の小さな手を震わせながらゆっくりとクロエのスカートの裾を引っ張り、残った手で家の隅のベンチを指差した。
あそこで読もう、そう言っているのだろう。
同じ背丈のアミュは勇気を出して伝えたようで、目にはほんのり涙が滲んでいた。きっと極度の人見知りなのだろう。
そんなアミュの期待に応えたくて、クロエはアミュのスカートを掴む手を取った。
「一緒に、読もっか!」
アミュはにっこり笑って、嬉しそうに頷いた。
そしてクロエはアミュを引っ張って走って、彼女が指差していたベンチに向かった。
二人で隣り合って座ると、クロエは絵本を開く。
当然ながらアミュは字が読めなさそうなので、クロエが読み聞かせで絵本を読む。
伝わっているかどうか怪しかったが、たまにアミュの顔を覗くと彼女はなんだか楽しそうな顔をしていた。
「『こうして、大きな大根はおじいさんとおばあさんが食べましたとさ。めでたしめでたし』どう? 面白かった? わたしはね、アミュちゃんと大好きな本を読めて、とっても楽しかったよ」
「……アミュも、クロエの、楽しかった」
初めてアミュが口を開いた。
まだ言葉使いが拙いが、一生懸命伝えようとしているらしく、アミュは足をフラフラさせながら話せた喜びで笑顔だった。
「クロエ、アミュ、楽しい!」
「わたしも、アミュちゃんといると楽しい!」
「楽しい!」
「楽しい楽しい!」
「あはは! アミュも、楽しい!」
アミュははにかんで、覚えたばかりの言葉を嬉しそうに続けた。
そんなお伽話のような本当の話に出てくる女の子、アミュとはもう会っていない。
たまに子供にその話をして寝かしつけては、いつかまた会ってみたいと信じてクロエは眠りにつく。
そして夏の終わりに近い今日、とある旅人がこの村に訪れた。
水色の美しい髪の少女とスーツの老年の男性。背の高い青年と猫耳の少女の近くには、昔森でよく遊んだアミュに似た女の子がいる。
その五人は村の酒場で昼食をとっていて、クロエは五歳の息子を連れてたまたま出くわした。
本当は子供の世話をするべきなのだが、今だけはそのよく似た女の子から頭が離れない。
「おかあさーん、早く食べないと冷めちゃうよ」
「えっ、ああそうだね。今食べるよ」
目の前のハンバーグに手をつけようとするが、どうにも箸が進まない。やっぱりあの女の子が気になるのだ。
アミュが成長しないことはすでに知っている。あれからしばらく経った今でも同じ身長同じ姿だと考えると、あの旅人の女の子は似すぎている。
「ごちそうさまー。ねえーおかあさん、早く食べてよー」
「ちょっと待っててね。ルネ、口を拭いたらメラックくんのところに遊びに行ってもいいよ。お母さん、もう少ししたら行くから」
「うん、わかった」
ルネは近くにあったナプキンで丁寧に口を拭くと、椅子から降りて店を出た。その様子を見送ってから、クロエはゆっくり席を立つ。
そして向かうのはその旅人たちの元だ。
「あの、お食事中すいません」
「どちら様?」
「わたしはクロエ・ロベッタと申します。ええっと、そちらの女の子のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「女の子? もしかしてアミュちゃんのことかしら」
「やっぱり……」
確信したクロエは、女の子の座る椅子の隣に行くと、しゃがんで顔をよく見た。
なぜか角はないが、やはり記憶の中のアミュと同じだ。
そしてクロエは微笑むと、子供のような無邪気な笑顔を顔にあらわにさせた。
「久しぶり、アミュ。クロエだよ」
アミュの目から大粒の涙が溢れ落ちた。




