【8−4】お願いだから、もっと自分を大切にしてくれ
以前、ナディアが毎日のつまらない仕事をこなしていた時、突然大柄な男がシャリエール家の屋敷に乗り込んできた。
その男曰く、「ナディア! 俺は負けてないぞ!」であった。
当然、読書の時間を邪魔されるのが面倒なので適当にあしらおうとした。
しかしナディアの名前をしつこく呼ばれているため、彼女はメイド長に引っ張り出されてしまった。
玄関の扉を開けると、男の正体はやはりボスだった。また酒の飲み比べ勝負だろう。
「あなたでしたか。私は読書で忙しいので」
ボスに目をくれず、本を読み続けた。しかし相手も大概だ。
そんなナディアを無視し、無理やり連れ出した。
「そんなこと言うな。今回も俺の奢りだ。付き合え」
「昼は禁酒しているので」
と言っているが、その気になれば普通に昼間から飲んでしまうのがナディアだ。
だけど今日は紅茶の気分なので、ナディアは腕を引っ張られながら玄関の奥で眺めているメイド長に、目線で助けを求めた。
しかし、メイド長はお灸を据えるようにと、にこやかな笑顔で彼女を送り出す。
(なんでこんな目に……)
結局、酒場に連れて行かれたナディアは、ボスに賭けを持ち出された。
「俺が負けたらお前に情報をくれてやる。お前が負けたら全額奢りだ」
「嫌です」
ボスの大事な商売道具を売るとは、とんでもない自信である。
きっとナディアに勝つため、それなりの特訓を積んだのだろう。
でも酒場に来てしまった以上、逃げることなんてできない。
ていうか、今帰ってもメイド長に何か言われるか、酒を飲んでも匂いで何か言われるかのどちらかである。
だったら酒を楽しんだ方が良い。
そんなわけで嫌々始まった勝負だが、結果はナディアがまたあっさりと勝ってしまった。
ボスも相当飲んだのだが、ナディアに太刀打ちできず完全に酔い潰れていた。
「俺の……負けだ……」
「では、報酬を」
ボスはカードを胸ポケットから取り出した。
それを三枚並べ、ナディアに取るよう指示した。
どうやら三つのうちどれかを教えてくれるようだ。
だけど、あいにくナディアは情報が欲しいわけではない。てきとうに真ん中のカードを引いて内容を見た
子供の絵である。
「それを引いたか。だが、男に二言はねえ」
苦しそうにボスは言い、ナディアは右耳から左耳に流そうとした。
しかし、その情報はナディアの脳内で急停止した。
「レイヤード家は人体実験を行なっている」
「……なんと」
レイヤード家はベルン地方の旧領主だ。いまだに彼らの影響力は高い。
しかもベルン地方、特にクレイトン城があるコルネイユはナディアの地元だ。
聞き逃すことができなかった。
「もっと詳しく教えてもらえますか?」
「……その人体実験の対象は齢十歳以下の子供だ。俺が言えるのは、ここまでだ。あとはグザヴィエのところへ連れて行ってくれ……」
ここでボスは力尽きた。
大いびきをかいて寝てしまった。
ナディアには年の離れた弟がいるが、年齢制限を大きく超えているので安心した。
とはいえ、別に仲が良いわけではなくただの気まぐれと、姉弟だから念のためだ。
少し驚いたものの、目の前の酒に溺れた屍を見て面倒臭さの怒りに変わった。
それからボスの財布を抜き取り、きっちり支払いをして、彼を魔法で物のように浮かせるとグザヴィエのいる事務所まで運んだ。
* * *
以上の内容を、ナディアは事細かくアトレたちに教えた。
「つまり、アミュちゃんは誘拐された可能性が大きいってことね」
「はい。ボスの情報に偽りはないと思います」
となると、相手はアミュが魔族であることを知っている可能性が高い。
もしそうなればアミュはより良い実験体になってしまうかもしれない。
その時、アトレたちの部屋にラスカとバルが入ってきた。
汗をかいていないため、身体を洗ってから来たようだ。
「すまねぇリュカ。俺たちも手がかり無しだ」
「もしかするとアミュ様は——ナディア様とアデリーナ様ではないですか」
「こんにちは。バルさんとラスカさん」
アデリーナは愛想良く手を振るが、顔はアトレと同じように暗く落ち込んでいた。
「じいや、ラスカ、聞いて。アミュちゃんはレイヤード家に誘拐されたかもしれないわ」
「それってどういう……」
「アミュちゃんが、魔族だってバレたかもしれないの」
ラスカとバルの顔が引き攣った。
その後、補足的にナディアが説明した。
二人もボスの情報の信憑性の高さを知っている。関連付けて、アミュが誘拐されたと言って間違いないだろう。
「誘拐って……アミュはどうなるんだ?」
「わからない。でも、今すぐ助けなきゃ」
「お嬢様、それは無謀です」
「でも!」
みんなアミュが大切なのはわかっている。それに助けることが無謀なのもわかっている。
でも、アトレにはアミュを見捨てることなんてできない。
魔族であれ、彼女は大切な仲間だ。
なら、何かされる前に動くべきだ。
アトレは置いた剣を握った。
「みんなが行かないなら、私一人で助ける」
その時、アトレの頬をリュカが強く叩いた。
咄嗟に頬を抑えてしまった。
「……えっ?」
恐る恐る顔を上げる。
猫の耳がイカの形の時、それは怒っている証拠だ。
リュカは目を真っ赤にして怒っていた。
「ごめん……」
リュカの手は震えている。
「もう、自分を犠牲にするのはやめて……」
「でも私が行かないと」
その瞬間、リュカがアトレの方を掴んだ。
リュカの涙が、アトレの胸の辺りにポツリと落ちる。
本気で怒る彼女をアトレは初めて見た。
「おまえはもっと自分を大切にすべきだ! アトレが強いのは分かってる。でも……おまえがいなくなったら悲しむ人が沢山いることも忘れないでくれ。私も、そのうちの一人だ!」
アトレの胸に頭頂部をつけて項垂れた。
「だから……これ以上、自分自身を犠牲にしようなんて、思わないで……」
静まり返った部屋に、リュカの啜り泣く声だけが響いた。
(私が消えたら、悲しむ人……)
実家で待っている両親。いつも味方でいてくれたルミネ。
それから久遠のライバルのリリアン。親友のトスカ。
そして、笑顔で送り出してくれたもう一人の親友、ラビナ。
みんな、アトレのことを待っている。
ここで突っ走ってしまえば、ここにいる全員とアミュにも迷惑がかかってしまう。
改めてアトレはハッとした。
「……ごめんなさい。リュカ」
「私の方こそ、急に殴ったりしてごめん」
リュカは顔を上げて謝った。
大人の涙こそ今のアトレに刺さることはない。彼女は本気でアトレのことを心配してくれているのだと、心からそう感じた。
リュカは袖で涙を拭うと、心に誓ったかのように言い放った。
「だからアトレ。行くなら私も連れて行ってくれ」
彼女の目は覚悟が決まっていた。
自分自身が何もできないアイドルだと知っていても、アミュを救うためにアトレを一人で危険にさせないために言っているのだろう。
だからこそ、リュカだけは危険な目に合わせたくなかった。
「ありがとう。でも、それはできないわ」
正直に言った。
それがリュカの心にどう刺さったのかはわからない。
震える手を押さえていることしかわからない。
「私はお説教が苦手だ。おまえが理解できないなら、直接言うから」
少し間が開き、リュカは大きく息を吸ってから言い始めた。
「いいか。私たちはパーティーだ。パーティーは誰か一人が強いだけじゃ成り立たない。各々が役割を持っているからこそ、パーティーと呼べるんだ。だからアトレ。おまえはみんなをもっと頼れ。動かないなら動かせ」
さっきリュカが言っていたこと。
「自分自身を犠牲にしないで」は、「みんなを頼って」と言うことだった。
アトレに足りていないことは、誰かに頼ることだった。
(そうだよね。リュカの言う通りだわ。前線に立つのは私かもしれないけど、支え無しに前線なんか立てるわけじゃないわ)
アトレは周りを見渡した。
涙で目が赤くなっているリュカに、杖を出しているラスカ。優しく見守るバルと、隣で寄り添うアデリーナ。ついでにタバコを吸っているナディア。
全員がアミュの無事を祈っているし、取り返したいとも思っている。
ならば。
「あのみんな。私と一緒に、アミュちゃんを助けに行きませんか」
全員の視線がアトレに集まった。
誰かを頼ることは悪いことじゃない。
「無謀かもしれない。でも、私はアミュちゃんを見殺しになんかできない」
誰かがいないと成功しないものもある。
「アミュちゃんを助け出すためには、私一人じゃ何もできない」
だからこそ、パーティーというものがあり、支えあう必要があるのだ。
「だから、どうか私に力を貸してください!」
アトレは立って、全員に頭を下げた。
するとリュカもアトレの隣で頭を下げてくれた。
「私からも! アミュを連れ戻したいんだ!」
それに応じたのかバルがアトレ達の前に出て、跪きながら頭を下げた。
「お嬢様、リュカ様、頭を上げてください。わたくしが間違っていました。アミュ様を捨てるなんて発言、撤回しても許されないと思いますが、このバル・ミッテラン。お嬢様について行きます」
「……じいや!」
今度はラスカがアトレ達に謝った。
「俺も悪かった。確かに無謀かもしんないが、俺たちはその無謀を成功に変えてきた。そうだろ、アトレ」
ラスカの言う通り。
復活した竜を何のノウハウもないまま二度倒し、さらにはシャリエール伯爵家の側近のクーデターも阻止した。
アトレの不安を自信に変えるような強い言葉だった。
「だから信じてるぜ、《《相棒》》」
アトレがラスカにかわした「《《相棒》》」。
彼を心から信用し、背中を預けられる仲間の証だ。
ラスカにとっても、もうスライムなんかに負けるような彼女ではないと宣言しているようだった。
「……! ありがとう、ラスカ!」
彼の顔を見て、笑顔で伝えた。
するとアデリーナも美しい杖を取り出し、アトレに見せながら話した。
「アトレ様。あたしも参加させて。アミュちゃんとはまだ仲良くないけど、あたしも協力できるはず」
アトレは知っている。
アデリーナの杖はフランクール法学校の魔法戦で、年間王者になると授けられる特別なものだと。
かつてはアトレも喉から手が出るほど欲しかった。
だけど今はそれよりも大切な仲間がいるから、もういらない。
「でも、あなたにそこまで命を懸ける理由なんて……」
そう言ったアトレに覚悟が伝わるように、アデリーナは強くアトレの手を握った。
「あたしには、リリアンがした過ちを友達として償う必要がある。これが、あたしと、リリアンの贖罪だから」
「……そう。ありがとう」
アトレは微笑んで感謝を伝えた。
「では私も、職場を守ってくれた件で手伝わせてもらいましょう」
タバコを吸い、当然の如くナディアは呟いた。
一メイドに何ができるかは知らないが、協力してくれるだけありがたい。
「ありがとう、ナディアさん」
ここにいる全員が協力して一つの目標を目指すのは何だか懐かしい。
まるで竜を倒した時みたいだ。
去年の今頃、アトレは部屋に閉じこもって死の狭間を彷徨っていた。
だけど今は違う。仲間と過ごすこの時間が何よりも大切だ。
その大切な時間を取り戻すため、アトレはその場に立ち上がる。
剣を鞘から抜き、己の顔の前に立てた。
翡翠の瞳が剣から反射し、翠緑に輝く。
そして、宣言した。
「私、アトレ・エマニュエリはここに誓う。必ずアミュちゃんを連れ戻し、またみんなでのんびり旅をすると」
剣を鞘にしまい、手を前に突き出した。
そこに各々の手が重なる。
「必ず、成功させるわよ」
全員の手が上に突き上げられた。




