【6−3】鯖の刺身、一皿銀貨一枚の高級品
「ごめんね……ファンにこんな姿見せちゃって」
彼女の声は女性にしては低く、声だけではアイドルのエキュートと見分けがつかない。
だけど顔が同じだった。
猫耳を垂れさせながら苦笑いしていたが、笑う表情はエキュートそっくりだ。
その時、エキュートのお腹が大きく鳴った。
「うへ〜ごめんね。私もう行くから。気にかけてくれてありがとね」
ゆっくり立ち上がりエキュートはその場を離れようとした。
アトレは彼女の姿に思うところがあり、腕を掴んで引き留めた。
「あなた、お金がないんでしょ? これから旅の仲間と食事をするのだけど、一緒にどう?」
身なりの良いアトレから言われたら誰でも怒りそうだが、エキュートは優しかった。
ファンを大事にするというのか、アトレのような旧貴族になれているのかわからなかったが、気にしていない様子だ。
もしかしたら、怒る余裕もないのかもしれない。
エキュートは丁寧に断ったが、身体は正直でお腹が鳴った。
今度はかなり低い音だ。
「私も気持ちは分かるわ。お腹が空いたら何もできないもの。だから、よかったら私たちと一緒に食べない?」
アトレは手を差し伸べた。
しばらくエキュートは悩んだがまたお腹がなると、アトレの手を取った。
* * *
「こちら蟹の作りが三つと、鯖の刺身でございます」
真っ赤な身に純白の雪のような蟹と、艶のある一番安い鯖がテーブルに並んだ。
窓際に座らされたリュカは、銀髪の少女になぜか奢ってもらうことになったが、申し訳ないので、この店で一番安いメニューを頼んだ。
とはいっても、銀貨一枚もする高級品だ。
耳を正面に向け、久しぶりの外食を楽しんでいる。
その様子を小麦色の髪の青年と白髪の爺さんが見守っているが、些か食べずらい。
その時、白髪の爺さんが口を開いた。
「エキュート様申し訳ございません。うちのお嬢様がとんだご迷惑を」
ここはエキュートを演じた方がいいのか、リュカは悩んだが素の声で話すことにした。
コンプレックスな自分の低い声で。
「いやいや。彼女には助かったよ。久しぶりに美味しい食事を取れたんだ。感謝を言うべきかな」
そういえばリュカはまだ彼女たちの名前を知らない。
少し顔を動かして銀髪の少女を見たが、彼女は蟹に夢中なようだ。
なんだか微笑ましい状況だと思っていると、白髪の爺さんは「お嬢様!」とお叱りになった。
「お嬢様、もしかしてまだ名乗っていないのですか?」
「あっ、忘れてた」
銀髪の彼女は蟹を置くと、翡翠のような瞳でリュカを見つめた。
「申し遅れてごめんなさい。私はアトレ・エマニュエリと言います。こっちの執事が私の執事でバル・ミッテラン。奥の彼が旅の仲間のラスカ・ファビウス。よろしくね、エキュートちゃん」
どうやらこの少々強引で食いしん坊なこの子は、アトレというらしい。
美しい髪と瞳、そしてエマニュエリという姓から、彼女はきっと旧貴族なのだろう。
アトレはさっきのライブで見たことがある。特徴的な髪色と瞳は覚えやすいのだ。
「エキュートちゃんはすごいのよ。いろんなところに行ってライブしている姿は、私も憧れているの」
アトレはエキュートを尊敬している。
そしてアイドルの役目はファンに夢を贈ること。
この子たちに本名を教えるのはまだ早いだろう。
「エキュートさんも一つどうだ?」
突然、正面に座っているラスカがリュカに蟹を勧めた。
正直、今にも涎が出そうなくらい美味しそうだ。でもリュカはアイドル。ファンに奢ってもらうなど……
「ほら、エキュートちゃんも食べていいのよ。だって、今は同じ食卓の仲間じゃない。一人だけ仲間外れなんかにはさせないわ」
「お嬢様の言う通りです。エキュート様も召し上がってください」
過去に自分をタレントではなく、立った一人の人間として扱ってくれた人がいただろうか。
リュカは親から離れて活動している。
親以外にリュカとして扱ってくれる人なんて見なかった。それはしょうがないことだった。
だけど彼女らは、なんだか甘えたくなるような、気持ちが安らぐようなそんな三人だ。
「あっ、ありが——」
「アトレ! この蟹味噌めっちゃ美味いぞ!」
「待って私にもちょうだい!」
好意に甘えようとした時、ラスカに声を遮られてしまった。
でも、この光景はなんだか見ていて楽になれる。
兄妹のように仲の良い二人と、執事だけど親のようなバル。いつしか、リュカもそんな関係が欲しいと思うようになった。
しかしリュカは、エキュートとしてのソロの存在。そんな関係に恵まれることはなかった。
「あの、みんなに聞いてほしい」
リュカが力強い声で話すと、三人はリュカを見た。
期待とか失望とかそんな目ではなく、友達としての目のようだ。
そしてリュカは決心した。きっと彼女たちなら、「リュカ」を受け入れてくれる。
「もしかしたらみんなの夢を壊してしまうかもしれない。でも、私はみんなに知って欲しい。……私の、本名を。そして、その名前で呼んでほしい」
勇気を出して言った言葉。
特にアトレはエキュートの大ファンだ。ファンに不幸な目に遭って欲しくない。少なくとも、これはリュカの本心だ。
そしてそんな彼女は、いかも当然のように言い放ってくれた。
「当然じゃない。だって、今はアイドルのエキュートちゃんじゃなくて、一般人のエキュートちゃんでしょ。もっと自由にしていいのよ」
出会ったばかりだけど、彼女たちといると実家のような安心感がある。
ファンだけど、友達になりたい。
そしてリュカは自分の名前を口にした。
「私は、リュカ。リュカ・エミュレット」
青い瞳を輝かせ、アトレの目をそっと見つめた。
彼女は驚きもせず、微笑んで手を差し伸べた。
「よろしくね、リュカ」
リュカは彼女の手を取って握り返した。
誰かにリュカと呼んでもらえるのは何年ぶりだろう。
それがたまらなく嬉しかった。
(もしかしたら、この子たちなら私の本心を聞き入れてくれるだろうか)
耳を横に伏せながら、リュカは自分の願いをアトレたちに託すことにした。
「なあ、アトレ。一つ、私の願いを聞いてくれないか?」
「私にできることなら、なんとでもいいわよ」
「私は、アイドルを辞めたいんだ」




