【6−1】真冬の海に入る馬鹿がこの世にいるらしい
ベルソンから離れて数日、アトレたちはとある看板の前で協議をしていた。
「アトレ大臣、俺は最短距離でベルンに行きたいです」
「ラスカ男爵よ、私は海に行きたいわ。じいや書記官はどう思って?」
「わたくしは皆さんに任せます。ですが、冬の海は寒いにございます」
こんな茶番をかれこれ一時間していた。
ことの発端はこの看板が問題だった。
右に行けば最短でベルンに着く。しかし、左に行けばだいぶ遠回りになるが海の近くを歩ける。
内陸のエーベル育ちのお嬢様、アトレは海に行きたい。同じく内陸育ちのラスカは海も気になるが、せっかちなのでさっさとベルンに行きたかった。
アトレ自身、別に入りたくはないが、海というものを一目見たかったのだ。
「アトレ大臣、バルさん書記官の言う通りだぜ。冬の海はきっと荒れているぞ」
「むむむ……」
痛いとこを突かれたアトレは思い悩んだ。
そして、アトレは王手となる最高の一手をついに思いついた。
「あなたは、私の水着姿を見たくなくって?」
「興味ない」
恐ろしく即答だった。
「アトレ大臣、身売りしたため一点負けでございます」
「なんでぇ?!」
「これで終わりだな! ほら、さっさと右に行くぞ」
ラスカが煽るように言うと、アトレはなんとかしてでも海に行かせる方法を考えた。
「ラスカ、あなた魚が好きだったわよね?」
「そうだが。……別に、お前みたいにご飯に釣られるような性格じゃないからな」
ラスカが釘を刺すように言い聞かせると、アトレもそれをわかっていたようでトランクケースからとあるものを取り出した。
「釣りをしましょう!」
それはアトレが初めて釣った釣り針だった。
つまり、釣りが好きなラスカを釣るには釣りだったというわけだ。
ラスカも海釣りの誘惑には勝てないようで、しばらく葛藤した後、頭を掻いて嫌々言った。
「ったくもう。しょうがねえな、この『お嬢様』は」
「そうでなくっちゃ」
「だからと言って、お前の貧相な水着を見せつけられるのはゴメンだぜ」
「華奢と言ってちょうだい。ふん、行きましょう、じいや」
「では、行きますか。きっと半月もあれば着くでしょう」
ちょっと不機嫌なアトレは、トランクケースを持って歩き出した。
* * *
ザァっと重みのある軽快な波音を立てる砂浜を静かに歩く音。
そして辺りをチラつく真っ白で軽い雪。
そう、《《雪である》》。
こんな天気の中、海に遊びにきている馬鹿者がいるらしい。
「あはっ! 冷た〜い!」
「バカ! 水かけんなって! こっちは『体を温める魔法』を使ってないんだから」
その馬鹿者が、まさかの容姿端麗、成績優秀、そして名門フランクール法学校を主席で退学したアトレという少女であった。
彼女は、珍しく黄色い水着と白のラッシュガードを羽織っていて、髪を上げて結っている。それに、肩には水着に似つかわしくない雪が積もっていた。
その横で釣りを楽しんでいるのが、超絶貧乏症の天才魔術師、ラスカであった。
彼は冬らしく、厚着をしていた。
まるで二人の住む次元が違うようだ。
その後ろでは、なぜかサングラスを着け、雪が積もったパラソルで椅子に座りながら寝ているのが、名門旧貴族公爵家の執事、バルという男性だ。
なんと彼も「体を温める魔法」を使って水着を着ていた。
真冬の海でする格好ではないのは明らかだ。
中でも、アトレは海に潜ったり砂の城を作ったりとやりたい放題。
「ラスカ見て! ヒトデ!」
嬉しそうに言う彼女の右手には、真夏に見るような赤いヒトデが握られていた。
その様子にラスカはドン引きである。
「早く捨ててこいよ……。てゆうか、真冬に海入って楽しいの?」
アトレがポイっとヒトデを海に投げ捨てると、その場にしゃがんで砂を弄りながらボソッと呟く。
「楽しいけど……少しつまらないかな」
しょんぼりしているアトレは、どこか寂しそうだった。
ルミネと別れて寂しいのか、それとも誰も構ってくれないのが嫌なのか、ラスカにはそれが分からなかった。
なんだかかわいそうになったので、釣竿を置くとラスカはしゃがんで砂と雪を盛り始めた。
急に変なことをし出したラスカが気になったので、アトレは不思議そうに尋ねた。
「なにしてるの?」
「お前に構ってんだよ。砂の城、もっと大きいの作りたいんだろ」
アトレが作った雪が被った小さな城を指差した。
ペタペタと残る足跡を見る限り、一生懸命作ったのだろう。
アトレはラスカの盛った砂に目を戻すと、くすくす笑いながら砂を集め出した。
「案外優しいんだね」
「雪の中で遊ぶお嬢様がかわいそうに見えてな」
そうして作った雪と砂のお城は、アルノールの城壁のような立派な城になった。
完成した城を見て納得したのか、アトレは冷たい雪の上を裸足で歩くと、バルのところから大きめのボールを持ってきた。
「次はボールで遊びたいわ!」
「城ときたら今度はボールか……」
「お城はあんたが先に言ったんでしょ」
「たしかに」
そう言って、ラスカとアトレはお互いに距離をとった。
アトレは元気よくぽーんとボールを投げた。
それをラスカが下手で取り、打ち返す。
ボールがアトレの元に帰ってきたその時、彼女は高く飛び上がってボールを地面に叩きつけた。
ラスカはそれを受け止めようとしたが、運悪く顔面に直撃。
<影月の魔導師>の弟子の威力は凄まじく、運動神経のいいラスカでさえ地面に倒れ込んでしまった。
「大丈夫?!」
すかさずアトレが駆けつけた。
「いったぁ……さすが宮廷魔法使い様の弟子だぜ」
地面に倒れ、鼻血を出しながらラスカはつぶやいた。
その様子を、アトレは心配そうに見守る。
「鼻血出てるわよ。ハンカチ持ってる?」
「鼻血くらい大丈夫だから」
「いいから渡しなさい」
半ば強引にハンカチをアトレに渡した。
すると、アトレはそのハンカチでラスカの鼻を拭いた。
ひんやりとしたアトレの柔らかい手が、ふとラスカの鼻に触れた。
「ごめんなさい。変に返しちゃって……」
自責の念にかられ謝るアトレを慰めるかのように、ラスカは言葉を返した。
「別にアトレが謝ることじゃないだろ。大体、俺が取れなかったのが悪いんだから」
「でも……」
しょんぼりしているアトレを慰めるためか、ラスカは突然水魔法をアトレに優しく当てた。
無防備なアトレはそれをモロに受けて、「冷たっ」と鳴いた。
「海で遊びたいんだろ? 俺は入れないけど、こうやって付き合ってやってもいいんだぜ」
また水をかける。
なんだか嬉しくなったアトレは、笑顔で海に入るとラスカに冬の海の水をかけた。
「えいっ!」
だけど、その水飛沫すら簡単に防御魔法で防がれてしまった。
「ずるいわ!」
「しょうがないだろ。今の俺は水着じゃないんだし!」
そう言って魔法で水をかける。
「あははっ! 本当になんなのよもうっ!」
バシャバシャと水をかける彼女の笑顔は可愛かった。
普段こんなにはしゃぐアトレを、ラスカは見たことがない。
守りたい笑顔とはこのことだ。
「クシュン!」
突然、アトレが小さくくしゃみをした。
そろそろ魔法が切れてきた頃合いか。
「そろそろ戻るか」
「そうね。そうしましょう、クシュン!」
「おいおい大丈夫か? とりあえず俺の上着着とけ」
アトレはラスカから上着を受け取ると、間違って濡れたまま羽織ってしまった。
(後で怒られそうね……)
先にバルの元に戻るラスカを追いかけて、冷たい雪の砂浜の上で踊るように歩いた。
「クシュン! ……なんで私、雪の日に海で遊んでるんだろう」
ようやく我に帰ったアトレは、ラスカの大きな上着を身体に巻きつけて寒さを凌いだ。
その後、三人は風邪をひいて、近くの村で一週間お世話になったと言うのはまた別の話。




