【5−12】金星と月の青い君
月がわずかに昇る街の隅の高台で、ルミネは石の柵に座ってじっと月を見つめていた。
それを遠くから見ていたアトレは、なかなか足が踏み出せなかった。
いざ姉を目の前にすると怖いのだ。
だから、アトレは頭の中でアレットに言われたことを思い出した。
(踏み出す勇気……)
恐る恐る足を動かした。
重たい足は、かろうじて動き、ゆっくりとルミネに近づいていった。
「……お姉ちゃん」
「ん〜?」
いつもの優しくて穏やかな口調のルミネは、振り返らず月だけを見ていた。
だけどそれでも、アトレはいつも通りに接してくれているのが嬉しかった。
しだいに気持ちが込み上げてきて、大粒の涙が溢れた。
「……ご、ごめんなさいっ!」
ルミネの背中で頭を下げる。
「私、お姉ちゃんが気遣って、言ってくれたのにっ、その気持ちをっ、無下にしちゃって……」
「わたしの方こそ、ごめんなさい」
突然、ルミネの声がしたためビクビクしながら顔を上げた。
振り返ったルミネは、月に照らされ輝いており、彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
それに目も心なしか赤くなっていた。
「今まで黙っていて、本当にごめんなさい。勝手にアトの気持ちをわかったつもりでいたのがいけなかったわ」
「……ううん。私が悪いのよ。お姉ちゃんは私に、余計な心配をさせないように黙っててくれたんでしょ。もしそうじゃなかったら、私は今頃……消えてたかもしれない」
アトレの脳裏に、引きこもっていた時の記憶が蘇った。
あの時は何をしてもうまくいかない気がしていた。
気力も活力も起きない。もしルミネの正体を知っていたら、もしかしたらもっと早く、この世から本当に消えていたかもしれない。
でも、それを救ってくれた優しいお姉ちゃんの行為を蔑んだ。
今思うと、自分へのやるせなさが襲ってくる。
だけどルミネは、今も妹のアトレのことを助けてくれた。
アトレの旧貴族生活。どんなに辛くても、自分の境遇を誰よりも理解できて寄り添ってくれたのは、ラビナでもリリアンでもない。ルミネだけであった。
アトレを救えるのは、たった一人の大好きな姉しかいない。
だから……
「だから、ありがとう。お姉ちゃん!」
涙ぐみ、笑顔で感謝を伝えるアトレを見て、ルミネは思わず涙が溢れた。
そしてそのまま、柵から飛び降りてアトレに飛び込んで抱きついた。
「こんなお姉ちゃんだけど、許してくれる?」
「もちろん! だって、お姉ちゃんは——」
優しくてすごくて、とっても大好きだから。
* * *
「アト見える? お月様の下」
「うーん、見えないわ」
アトレとルミネは、柵の上で寄り添って月を見ていた。
金星が月の外に出るのを観察するためだ。
だけどここには、観測用の望遠鏡なんてない。
そこでルミネは、アトレに遠視の魔法を付与した。
望遠鏡を覗くように、目の前に浮かぶ小さなリングを通して月を見た。
「あっ、金星が月の下から出てきたわ!」
「ほんとね〜。これを金星食っていうのよ〜」
いざこうして現物を見ると、まるで月が思ったより近くにあるのではと感じてしまうほどだ。
それ、アトレは今、遠視の魔法が面白くて興奮している。
もっと倍率を高くできないかと遊んでいたら、突然目の前に肌色の物体が目に入った。
「お姉ちゃんが目の前に……」
「あらあら〜」
ルミネは笑顔で、アトレの顔を無理矢理空に向けた。
それにはちょっと狂気を感じるほどだ。
無理矢理動かされたので空を見渡していると、アトレはあるものを見つけた。
何やら紫で、青っぽくてキラキラした霧のような物。
「ねぇ、お姉ちゃん。このキラキラの雲みたいのって何かしら」
頭にクエスチョンマークを浮かべるアトレに、ルミネは博士のように即答する。
「それは多分星雲じゃな。アトレくん」
「せいうん? お線香?」
「星雲はね、お星様のゆりかごって言われてるのよ〜」
「そうなのかい、お姉ちゃん博士」
まさかアトレもこのノリに乗ってくれるとは思っていなかったルミネは、子供のような満面の笑みをした。
「えへへ〜。アトちゃんにやってもらって嬉しいな〜」
「当然じゃろう」
「えへへ」
「ふふっ」
「クシッ!」
寒いのか、ルミネが突然くしゃみをした。
気づけば月が高くまで飛んでいる。
ルミネのくしゃみであることを思い出したアトレは、上着のポケットから包まれた小箱を取り出した。
「お姉ちゃんこれ! プレゼント!」
唐突にプレゼントを渡されたルミネは困惑した。
だけど、今日が大切な日であることを思い出して、笑顔ではにかみながら受け取った。
「開けていい?」
「いいよ」
紙の包装を丁寧に破けないよう剥がすと、中からは高そうな紺色の箱が出てきた。
蓋を開けると、白基調の水色の柄が入ったマフラーが畳まれて入っていた。
「マフラー? ありがとう、アトちゃん!」
「どういたしまして。今日、お姉ちゃんの誕生日だったでしょ」
「そうね。今日はお姉ちゃんとアトの大事な日」
「私も?」
「だって、今日はわたし達の仲直り記念日でしょ」
ルミネはもらったマフラーを首に巻いて、白い息を吐きながら空を見上げた。
「だからありがとう、アトレ。人生で一番忘れられない誕生日になったわ!」
それからして、二人は夜通し星空を眺めた。
流れ星を見つけたり、星座を探したりしていたらすっかり明るくなってしまった。
仲良くのんびり手を繋いで家に帰ると、そこには鬼の形相をしたバルが玄関に立っていた。
まるで執事とは思えない感じで、正座をさせられた二人は、二時間近くこっぴどく怒られた。
それでも、この姉妹にとってあの夜の出来事は、忘れられないものとなった。




